伸びた背丈のぶんだけ君は
外見のことを揶揄されるのは大層気が滅入る。戦いでは格好の的になる他、単に城を歩いていてもその体躯は視線を集めるからだ。注目される最大の理由は、乙女が女であるということ。乙女は主君、道三とのやり取りを終え廊下を歩いている途中、次第に苛立ちを抑えられなくなっていた。
噂が耳に入ったのだ。あれほど背の高い女に並ばれてはこちらの立つ瀬がなくなる。おまけに先の戦いでは武功を挙げたというが、あんなようでは嫁の貰い手もあるまい。というものである。
どうということはない妄言だ。身の丈約六尺、男勝りな内面と共に外見を馬鹿にされてきたことは何度もある。常ならばそのような話があったと聞いても無視しているのだが、直接目の前で話された上睨みを利かせればすぐに黙るなど軟弱にすぎると乙女は思った。同じ斎藤家臣の風上にも置けない。引き攣った笑いを浮かべその場を収めようとする男を見て、乙女は思わず殴りかかりそうになった。殴った所で自分が咎められるだけでなく道三の顔に泥を塗ることは明らかで、すんでの所で堪えたものの怒りの矛先は定まらないまま彷徨い続けている。
「おい、乙女」
「……何ですか、義龍様」
足早に歩く乙女とは対照的に、正面から歩いてきたのは悠長に歩く義龍だった。あからさまに機嫌が悪い乙女を見て、義龍は意地の悪い笑みを浮かべる。仮にも主君の息子であるが、乙女から見た義龍は取り繕う必要もなく、気兼ねなく話すことができる唯一と言ってもいい男だった。
「親父から何を言われたのか、気になっただけだ。まだ何も言わねえうちからそんな顔で睨むんじゃねえよ」
「道三様からはこの間の戦についてお褒めいただいただけです。義龍様にとってはそれだけでさぞご不快なものかもしれませんけど」
義龍が悪いわけではないのだが、乙女の言葉には棘が滲み出ている。苛立ちを隠そうとしない乙女を面白がる義龍への呆れも少なからずあった。こういった性分があってこその義龍であるので、今更何も言うことはない。むしろ変に気遣われるよりはこういった態度で向かってこられるほうが良かった。
「ま、そんなことだろうとは思ったけどよ。俺には構わず他の奴らを可愛がる親父の気持ちは分からねえし、分かろうとも思わねえが……お前がそうやってイラついてんのは、見過ごせねえなあ」
早く帰りたいという気持ちが正直なところである。だが男と並ぶ身長の乙女でさえも霞むほど義龍は背が高く、到底力では敵わないためただ突っ立って彼の言葉を聞くしかない。普段ここまで上を向いて人を見上げるということは中々ないことだ。その点で乙女は義龍のことを好んでいる。それに、義龍といれば応じる価値のない陰口さえ聞こえなくなるだろうからだ。
「なぜですか。もっと道三様への悪口を聞かされると思ったのに、私に構うなんて珍しい。私は早く帰りたいんですよ。私を悪く言う人間と同じ空気を吸うのは耐えられませんから」
「なんだあ、またお前にふざけたことを抜かす奴がいるのか? この間締めてやったってのによう」
「……は? 締める?」
乙女は言い終わって、はっとして口を噤んだ。義龍に向かって砕けた口調で話すなどいつぶりだろうか。いや、それよりもだ。
この男は何を言った? 締める? 乙女は義龍の言動を理解できないがゆえに怒りを忘れた。あるのは困惑と、締めるの意味が乙女の想像通りならば……というサッと血の気が引くような感覚だった。
「そうだ。お前のことを悪く言う奴をのしてやった。お前を悪く言うなら俺様を倒しやがれってんだ。その度胸もねえやつにお前を蔑む資格はねえよ。さっきお前を怒らせたのは誰だ? 最近仕官した奴らには特に思い知らさねえと……」
全く知らなかった。暴力で解決するのは根本的な解決には至らないように思うが、結局そう言ったところで義龍が本分を変えるわけがないのだ。義龍はそういった性格から、家中にも敵を作りやすい。その度に荒れている姿を眺めてきたものの、その荒れる原因に自分が含まれている可能性が急に現れてしまった。無駄に敵を増やして、良いことなど一つもないというのに。
「……いや。義龍様が本当にそうしているのならば、先程の輩にもそれは伝わるでしょう……なぜそこまでする必要が、」
「単純に俺が気に入らねえってだけだ! こんなに細え女にびびりやがって貶める奴らなんぞ、目に入れたくもねえ」
通りすがりの女中であればひっくり返ってしまいそうな大声を出す義龍にも、乙女は動じなかった。義龍様と比べれば誰もが子供のように細く小さいじゃないですか、と乙女は喉までその言葉を浮上させたが、実際に口に出すよりも前に乙女の体は宙に浮いた。
「義龍様! 下ろしてくださいよ!」
俵を担ぐようにして、義龍は乙女を抱えあげた。まずい、このような姿を誰かに見られたならば尊厳に関わる! 乙女の顔は次第に赤くなっていくが、義龍がそれを見ることはできない。足をばたばたさせてもがくこともできなくはないが、みっともないだけだ。乙女は甘んじてこの体制を受け入れている。
「はっ、やっぱりお前は、昔から小せえままだな。あん時は俺の後ろをずっと着いてきて可愛げもあったが、今じゃそれもなくなっちまった。無愛想な奴だぜ」
「義龍様に馴れ馴れしくなんてできないですよ。私はもう子どもじゃないんですから」
昔から義龍の背中は大きい。昔から変わらず乙女は同い年の娘の中では最も身長が高かったが、義龍もまた男児の中で飛び抜けて背が高かった。背だけでなく力も大きいもので、他を寄せつけない彼の姿は随分と眩しく見えたものだ。背が高く淑やかでない女は、それだけで嘲りの対象となる。男であれば、と何度思ったか分からない。その苦しみに、何度悩まされたか分からない。だが今こうして軽く抱えられていると、まだ自分は紛れもなく女なのだと思う。それは女であることを否定したくなるものではなく、むしろその逆だ。女であることを、そのままでもよいことを肯定されている気がした。
「お前のことを子どもだとは思ってねえよ。ご立派に敬語なんか使いやがって」
「そんなの、当然ですよ。お立場があるんですから。私は義龍様に従いますし……無礼なことはできません」
「全く、お堅いこった」
「……ただ、私のことは私で解決しますから。義龍様がどうにかする必要はありませんよ」
「俺の気が済まねえんだよ! それに、ああいう奴は大体俺様の悪口もついでとばかりに言ってやがる。殴って分からせるほかにねえぜ」
乙女を抱えたまま義龍は歩く。いつもと寸分変わらない足取りに、乙女はひっそりと嘆息した。早く帰りたいという気持ちも、苛立ちも次第に消えていく。何だかんだで、この気性が荒くてすぐに機嫌を損ねるこの男といるのは嫌だと思えなかった。
「ただでさえ私の周りに人は寄ってこないのに、義龍様のせいで余計に人が遠ざかっていく気がします。このままだと」
「ま、お前に嫁ぎ先がねえんだったら俺が貰ってやるぜ」
「冗談はおやめください」
「嘘じゃねえよ。それに、お前に見合う男は俺くらいしかいねえだろ。そこら辺の奴よりお前の方が強い。だがそんなお前よりも俺のほうが強えんだからなあ」
「それも、そうかもしれないけど」
「だろ? 俺の部屋で話の続きでもするかあ?」
乙女は豪快に笑い飛ばす義龍の声を聞いて、本当にそんな未来があってもおかしくない気がすると思った。義龍の隣にいれば、普通の女でいられる気がする。どうにもならない外見と、今更変えることもできない内面そのまま、ありのままであったとしても。
「……うん。ありがと、義龍」
自分で歩けるから降ろしてくれ、などと野暮なことは言わなかった。
これも特権なのだ。義龍は自分以外にこんなことをしないということを、乙女は知っている。兄妹同然に育ったから知り得ることだった。義龍の背中が大きい理由を悟る。何だか、こうなることを運命づけられていたのかもしれないと乙女は思った。
(20250825)