青い鳥を造ってあげる
「お前は、乙女……! 頼むから、見逃してくれ……!」

目の前にいるのは、捕縛された敵将だった。一度は受け入れられた降伏を拒絶され、もはや彼が辿るのは死のみ。それを導くのが乙女の役目。それは彼女自身が強引に引き受けたことだった。

「……できない」

「お前は、あの魔王に……くっ、ろくな死に方、しない、」

乙女は刀を抜き、男の首を掻き切った。血が吹き出て、戦装束をびしゃりと汚した。男は顔馴染みだった。

男には火薬の匂いが染み付いている。乙女も同じだ。鉄砲の扱いに長けた、金で動く傭兵。それが彼らであり、乙女もまたその一員だった。

頭領はこの木津川口で起こった戦いで信長を大層恨むだろうな、と乙女は思った。彼が憎む人間は信長、そして彼の命令に従って民兵や降伏した将をも殺すような、残虐な織田の家臣たち。その中に自分も含まれてしまっているのだと思うと、変な気分になった。どうせ傭兵稼業も多くの恨みを買う。孫市はどれだけ金を積まれようとも、今の信長には従わないだろう。だがどれだけ義を掲げ雇われ主を選んだとしても、所詮は薄汚い傭兵なのだ。人殺しである点に限って言えば、どこにいようとも変わりはない。乙女は今更孫市の元に戻るつもりはなかった。

だが、そうであっても信長の行いは残虐にすぎる。彼を信奉する秀吉も兵糧を確保すると言って退いていった。無辜の民を殺さなければいけないこの戦場から、目を背けた。誰だってそうだ。だが、誰かがやらねばならない。殺さねばならない。

「私は魔王に魅入られてなどいない」

絶命した男を見下ろす。男に声は届かない。乙女は自分に言い聞かせるように言った。

「私が魅入られているのは、光秀様だけだから」

光秀にこんな後暗いことをさせるのは、忍びなかった。ただそれだけの理由で、乙女は顔馴染みを殺した。

綺麗事かもしれない。光秀とて、数多の命を葬っている。あの長篠で大量の鉄砲を調達したのも光秀だ。戦のない世の中を築くためと言いながら兵を容赦なく斬り伏せる姿も知っている。それでも、光秀にはできる限り光の及ぶ地に立ち続けてほしいのだった。

光秀にはその価値がある。価値、なんて言葉で表すのも烏滸がましい。光秀のことを単に敬愛しているというだけでは自分の気持ちが治まらないことも自覚している。だがこれは抱いてはいけないものだ。だから、せめて光秀にとって一番便利な人間でいようと、乙女は自分にできることならばどんな仕事も引き受けている。汚れ仕事であってもだ。光秀がそれを好まなくても、役に立てるのならば何でも良かった。

暫くの間、もういなくなった男の声が頭から離れなかった。罪の意識に苛まれたのではない。魔王の手先だと思われるのは、やはり心外だと思った。仕事はまだ残っている。乙女は血振るいして、刀を鞘に戻した。



「光秀様」

帰還した乙女を見て、光秀は眉を顰めた。

「遅くなりました。見苦しい姿で申し訳ありません」

縛られた人間を屠るのは容易だ。だがそれでも尚抵抗しようとする人間は後を絶たない。縄で縛られても暴れようとする昔馴染みを、何も考えずに斬った。乙女は多くの血を浴びた。自分のものでない血を浴びるようになったのは、光秀に仕えてからだ。それまでは余程のことがない限り、刀など使わなかった。刀を使うように、その腕を磨くようになったのは、光秀に憧れたからだ。乙女がそう言った時、光秀は今そうしているように眉根を寄せたことがあった。

だが、この戦いで人を殺めたのは光秀も同じ。この戦は彼にも暗い影を落としているはずだ。彼は逃げなかった。この惨状から。雑賀衆、そして毛利の軍勢は大きな打撃を受けた。光秀は織田の人間としてそうなるように仕向け、見届けている。自らの身を第一にして、必要以上のことを何もしないという選択肢もある。一介の部下に対し、これ以上構うこともない。だが光秀は、そうしないということを乙女は知っている。なぜならば、優しすぎるからだ。光秀がこれから何を言うのか、大方の想像はつく。自分のことだけ考えていればよいものを、この人はそれを選ばない。臣下の、民の、人々の痛みを全て自分のもののように考える。そういった部分に乙女は惹かれている。強烈に。だが表立ってそれを示す意味などないということもまた、分かっていた。

「……いえ。あなたが無事で何よりです。ですが……」

「何か問題でもありましたか」

光秀は首を横に振る。乙女はわざと察しの悪いふりをした。気休めにもならないが、光秀のその先の言葉をすぐに聞こうとは思わなかった。

「……雑賀の人間を、降伏した将兵を殺めたのは……あなただと聞きました。中にはかつての仲間もいたのだと。私がそれを知っていれば、止めることができたというのに。私が彼らの生を奪うことも……やぶさかではなかった」

光秀は明らかに無理をしている。その言葉は決して嘘ではないのかもしれない。だがあまりにも、優しい嘘に近しい。そう思っても乙女は言わない。言えるはずがない。全ては彼の優しさから出た言葉だ。それを否定するのは、光秀を、ひいては彼を崇拝する自身を否定するように感じられるからだ。

「気にしません。かつての同胞とも言えど、今は敵。彼らを殺すのは、敵味方、両方の人心掌握の面から見て間違っていたでしょう。事実、頭領……いえ、雑賀孫市は怒りに狂っていることでしょうから。ですが、信長様の仰ることに逆らう訳にもいかない。それに……一応の、理はありますよね? 根絶やしにせねばいつどこで寝首を掻かれるか分からない」

可能性の芽は、できるだけ摘んでおくほうがよい。それは残酷なことのように思える。事実、そういった行いは光秀の心に罪悪を抱かせている。だがそう思わざるを得なくなった経験が乙女にはある。

乙女はかつて傭兵として協力した先で、雇い主の裏切りに遭った。自分たちは捨て駒にされた。少数であること、孫市は別の戦地にいること。初めから舐められていた。信用などされていなかった。捨てられる前提だったのだ。自分たちに勝ち目など……そう気づいた時には遅く、仲間の多くは命を落とした。乙女は逆上し雇い主を殺そうとして、失敗した。

そのとき対峙していたのは織田軍。劣勢の中で生き延びるため、逃げようとした乙女は光秀を見た。一目見て、乙女は光秀に降ろうと思った。何者にも縛られぬはずの傭兵が、初めて縛られるのも悪くないと思った瞬間だった。一見戦場には似つかわしくないようにも見えるこの男が、自分と同じように戦っている。誰とも分からぬ血で刀身を汚し、この戦場を憂いを帯びた目で見つめている。許されないのならばそこで斬られるのも良いと思ってしまうほど、一瞬のうちに目を奪われた。

「なればこそ、私が血を被るべきでした。あなたから雑賀衆という本来所属するべき寄る辺を奪ったのも、私なのですから。あなたが背負う咎ではありません」

幾つもの刀傷を負ったまま、火縄銃を大事そうに抱える女を見て光秀は惑いながらも手を伸ばした。乙女は当然、その頃から光秀の為だけに戦っている。本拠地である紀州に戻ろうとも思わなかった。だが光秀は違う。乙女を自らの手の届くうちに閉じ込めていることをずっと後悔している。光秀はあの時、彼女の手を取らずに黙って見逃すこともできた。本来、傭兵は自由に生きることができるものだ。だがそうしなかった。光秀は彼女から自由を奪った。乙女が伸ばされた光秀の腕を掴んで、離そうとしなかったからだ。

その悔恨はきっと、光秀から消えることはない。乙女からすればそのような感情は特段必要のないものである。子ども同然の女を振り切ることもせず、未だに己の選択が正しいものであったかを悩み続けている。だがその感情を捨てることができない光秀のことを、乙女は好ましく思っていた。人を殺さなければならない、生き続けることはできないという過酷な生き様を貫きながらも、決して人間であることを辞めようとしない。自分が傍にいなければいけないと強く思わせられるのだった。

「いいえ。私が殺さなければならなかったのです。光秀様がその手を汚すくらいならば、私が殺します。……誰であっても。あなたにはそれだけの恩がある」

「ならば私は、余程罪深い男であるといえるでしょう」

「罪を感じるような人でなければ、私は光秀様のことをここまで慕っていませんよ、きっと。だからこそ私がいるのです。あなたが全てを背負う必要はないのですから」

戦場を駆ける度に乙女は感じる。彼のような男に、この乱世は似合わない。だが乱世を統べることができるのは恐らく、信長のような男だ。罪の意識などというちっぽけな煩悶に惑うこともなく、ただ先を見続けている。信長には世界を欲しようとする気概がある。だがそれだけで世界が回るとは……乙女は思えなかった。自らに流れる傭兵の血と、自身が殺したかつての同胞が、そう言っている気がした。

「……その通り、かもしれませんね。この光景はあまりにも惨い。戦いの終着を一人で抱えるには大きすぎる」

光秀は未だ乙女の言動と行動全てには納得のいかない様子だったが、一応の肯定は示した。

乙女も、光秀と同じように毛利軍の軍艦を見下ろした。大砲に撃たれ、船も人も壊滅的な被害を受けている。

「私のしてきたことは、正しかったのか……そう思ってしまいます。この先に我が理想の世が、本当に待っているのかと」

そう思うならば、いっそご自身の手で。……とは言えなかった。乙女にそのようなことを言う権限はない。だが仮にその時が来ても、光秀の為だけに戦いたいと思った。



戦は終わった。その後の乙女は、元々雑賀衆に属していた人間として諜報活動に重きを置き戦っていた。その途上で小さい刀傷は幾つも負ったが、大した怪我にはなっていない。まだ光秀の為に戦い続けられる。乙女はほっとした。

酷い戦いだ。光秀のいう戦なき地平は、果たして実現するのだろうか。

乙女は海に足を踏み入れる。膝下で揺れる水面。戦で負った汚れ……土や血、そして心にできた澱みが、ともに洗われていく気がした。

海は、乙女にとって馴染み深い。戦いを知らなかった頃、十ヶ郷に居た頃の話だ。加太の海に入った幼き日のことは、よく覚えていた。加太から見える海と木津川から見える海というものは、単にどこからそれを眺めるかという違いにすぎず、海という大きな視点から見れば同じものである。川の流れの終着点は等しいのだ。今更故郷に大きな感慨を抱くこともなかったが、あの海にも多くの血が流れて落ちているのだろうかと思うと若干は複雑な気持ちになるのだった。

「海は好きか」

聞き覚えのある声に乙女は振り返る。そこにいたのは元親だった。

「元親様」

光秀が信を置く男。元親を信頼する理由はそれで十分のはずだが、彼の発する言葉には言葉だけでは伝わらない隠された意図が含まれているような気がして、何を問われたとしてもすぐに答えることができないのだった。どんなに意味のないように思える言葉であっても、彼が真に伝えようとしている真理には辿り着けないような気がするのだ。好きか嫌いかでいえば嫌いではないが、彼の相手をすることが得意かそうでないのかを考えると、苦手であるというしかない。個人への好悪という問題で片付けられるものでもない。

「光秀は、俺が促すまでその体を潮に濡らそうとしなかった」

乙女が質問に答える前に、彼は同じようにしてじゃぶじゃぶと音を立てながら海へと歩みを進めた。

「光秀様らしいですね」

「……お前はどうだ、乙女」

乙女のすぐ隣まで、元親はやってきた。こうなれば、無駄な言い訳をする必要もない。誤魔化しても意味がないだろう。言葉通りに受け取って、返答する。

「海は好きですよ。小さい時から身近にありましたから」

「上等。……お前は、海が似合いだ。俺の見立ては間違っていなかったようだな」

「見立て……? どうであれ、私には似合いませんよ。今更、光を浴びて輝くことはできません」

戦場の鬱屈とした空気に反して、海は太陽の光を受け煌めいている。何度見ても、そこには澄んだ美しさがある。汚い仕事でも平気で受け入れる自分とは大違いだと乙女は思う。

「いいや。お前がそう決めつけているだけだ。自らの辿り着くことが可能となる限界を、頂点を、お前自身が信じていない。だからそのようなことを言えてしまう」

やはり、元親の言うことは難解で理解し難い。押し黙る乙女に、元親はふっと笑いかけた。

「お前は光秀のことを信じているのか。あの男の意思を、お前は正しく理解しているのか」

また唐突な質問が突きつけられる。乙女は元親を見上げたが、常と同じように微笑を浮かべているだけだった。

「信じていますよ。あの方がいなければ今の私はありません。お優しい光秀様のためならば、私は誰が相手でも戦います」

元親は何も言わず乙女を見つめる。先の質問も今のこれも、何を意図しているものなのかさっぱり分からない。乙女が同じようにして目を逸らさずにいると、元親の腕が彼女のほうに伸ばされた。反射的に目を瞑る。

「……っ! 何ですか、急に」

元親の掌は乙女の頭上にある。かと思えばそれはゆっくりと下ろされ、優しい手つきで頭を撫でる。まるで子供のように扱われていると思って、無性に恥ずかしくなった。光秀と出会った頃ならともかく、そこまでのことをされるほどの餓鬼ではない。

「甘いな。お前がそうして自らの心と体を痛めれば痛めるほど、光秀の心もまた同じように傷ついていく。それを知っていながら、お前は死地に往く。……お前があの男のためにできる最大限の献身は、戦うことではない」

「……そうは言っても、私は戦うことしか能がありません。光秀様もそれはお分かりの上です。ずっと昔からそうだったのですから。だから私は常々、光秀様が負い目を感じることはないと申しているのです。それに、私が他に何を成せるというのですか」

「お前自らが考えることだ」

「私自身って……そればっかり」

元親は掌を離した。それ以上彼は何も言わず、くるりと背を向け海から離れていった。

悪い男ではないということは分かる。光秀と話す姿を遠目から見るだけでもそれは伝わっていた。だが、彼とのやり取りで納得がいくことは少ない。翻弄され、何も答えを得ることがないまま放たれる。それの繰り返しだ。乙女は同じように海に背を向けたが、そこから一歩も動けないでいる。

「……一つ、言い忘れていた」

元親が足を止めた。振り返るつもりはないようだった。

「何ですか」

「近々、お前宛に書状が届くだろう。よく読んでおくといい」

「……私に?」

「差出人は、俺だ」

「なら、手紙など書かずに今仰ればいいじゃないですか」

「お前の返答を待つ必要がある。この場で答えを出せなどと無茶を言うつもりはないのでな」

「私がずっと、あなたが満足する言葉であなたの発する問いに返答していないから、嫌気が差したのですか」

「いいや、違う。……今は何も考えるな。その時が来れば、お前は自ずと答えを出すために動くだろう」

元親の背中が遠くなる。乙女に追いかける力はなかった。単に戦いで疲労続きだったということもあるし、こういった元親とのやりとりは心をさらに削った。

自分が戦うことそれ自体を、光秀があまりよく思っていないということくらい知っている。それでも彼に尽くすにはこの方法しかないのだ。乙女は元親の姿が見えなくなってから、ゆっくりと歩き始め海から出た。濡れた脚に風が当たる。やけに冷たく感じた。



乙女に送られてくる書状など、大抵はつまらないものばかりだ。

金で動く傭兵だったということを聞きつけてか、金を積むから何某をを殺してくれ、などといった答える価値のない依頼が届く。同じく、今よりも良い待遇で迎えるから自分に仕えないか、といったものも。

金では動かない。どうせ駒として、ごみのように扱われて捨てられるだけだ。光秀以上にこの身を捧げるに値する人間はこの世にいない。

そういった書状は全て破り捨てた。二度と見たくもない。酷い時には、送り主の名を見ただけで炎の中に投げ棄てたこともある。だが元親から約束通りに送られてきた書状にそのような扱いをすることもできず、乙女は渋々書状を開いた。

最後まで読まないうちに、乙女は愕然とする。元親への怒りと、不信感が湧き出た。いつものように破り捨ててしまいたいとさえ思う。これを破ることは、元親だけでなく光秀にも申し訳が立たないような気がしてできなかった。

書状に書かれていたのは、あろうことか元親が乙女を妻として迎えたいというものであったのだ。

戦場に立つという、乙女が生きるための術を奪われるだけでなく、光秀から己を引き剥がそうとする。考え難い所業だ。乙女は、あの日元親が言った言葉の意味を理解した。あの日の発言は、全てこの為の布石だったのだ。

腹が立つ。単に縁談を持ちかけるだけに飽き足らず、今まで一度もそのような素振りを見せなかったにも関わらず、到底理解のできない語彙を用いて自分への愛を示していると思われる言葉が書き記されているという点も、乙女の憤りを冗長させた。

そんな言葉で動くと思うのが間違っているというものだ。光秀に対する乙女の情は揺らがない。主君として敬愛する気持ちも、それ以上のものも。

「乙女。浮かない様子ですね」

「……光秀様。どうして私のところに」

書状を雑に畳んで、乙女は光秀に向き直った。

「部下を労うのは主として当然の責務です。特にあなたは、先の戦いで活躍したのですから尚更。それに、怪我を負っているとも聞き及びましたから」

光秀は家臣が戦傷を負うと、その本人だけでなく家族にまで手紙を書く。そのような心遣いは時に甘いと称されることもあった。

乙女も、本当にその通りだと思っている。平気で動き回れる人間相手に見舞う必要などあるまい。だがその甘さこそ、光秀が光秀である所以だ。

「大した怪我ではありませんよ」

「しかし、それにしては元気がないように見えます。何かあったのですか」

言おうか言わまいか。悩んだのは一瞬。光秀に嘘をつくなど考えられない。乙女は口を開いた。

「……元親殿から書状が送られてきたのです」

「元親殿があなたに?」

「はい。……私を……妻に、したいと。……その……光秀様は、どう思われますか」

光秀から目を逸らすなど、言語道断。そう今までは思っていた。だが乙女は、語気を弱めると共に、視線を書状へと落とした。

光秀にこの婚姻を賛成されたならば、自身の居場所がなくなる。そう感じてしまったからだ。

「……元親殿は、私が最も信頼する友人といっても過言ではありません」

「……知っています」

「しかし、こういった件に関しては私がとやかく言うよりも……あなたの意思をただ示すということが何よりも大切でしょう」

光秀は何も、間違ったことは言っていない。だが中立の立場をとる彼を見ていると、より元親に言われた言葉が乙女の脳裏で鮮明に蘇った。

「私はずっと光秀様の為に、あなたの為だけに戦い続けたいのです。ですが、私が身を固めれば、あなたの憂いの一つは消える。……そうですよね?」

木津川口でもそうだった。それ以前も、もっと遡れば光秀に拾ってもらったときからずっとだ。

自分の存在が、戦おうとする意思を持っていることが、光秀の負担になり続けている。乙女が銃と刀を捨てれば、きっと光秀は喜ぶ。分かっているのだ。

「……私は、あの日あなたに出会った日のことを忘れることができません。あなたのような少女が人を殺め、それを是とする世の中をさらに憎らしく思った」

「光秀様から見た私は、ずっと子どものままということですか」

「子ども……と言ってしまうと、語弊があるかもしれません。ですが、守らねばいけない存在だと強く思います。凄惨な戦場から遠ざけ、庇護するべきなのだと」

光秀から見れば、所詮娘と同じようなものなのだ。対等な立場で寄り添うことは、部下としてさえも叶わない。その先には一歩も進めない。その先に進みたいと願うことさえ許されない。全て分かっているはずだったが、改めて言葉にされると乙女は何も言えなかった。

「私は愚かな人間だ。未だそれを選べず、あなたを解放することができない。私以外の何者かであれば、それを選べるかもしれない。その一人が元親殿である可能性は、無きにしも非ずだと思います。……今すぐに答えを出す必要はありません。私はどの選択も……あなたが熟慮した結果ならば、尊重しましょう」

光秀の言うことも、乙女は理解できる。光秀のことを、誰よりもその目に焼き付けているからだ。女という理由だけで、戦場に立つのは圧倒的に不利となる。彼は決して愚かではない。ただ優しさを捨てることができないだけ。部下を駒として見ることができないだけ。だから部下は誰であってもその身を案じ、見舞いの言葉や品を届ける。

それと同じだ。同じようにして自分を案じているだけなのだ。人並みの、普通の女としての幸せを願っているだけなのかもしれない。元親ならそれができるかもしれないと考えてしまう光秀の気持ちも分かる。

どうせ抱いていても意味がない想いだ。愛を伝えることができない代わりに、武働きで尽くしてきただけなのだ。しかし、乙女は光秀への想いを昇華しなければいけないときが迫ってきたと感じた。






光秀はすぐに答えを出す必要はないと言ったが。とんだ見当違いだ。そのようなことを悠長に考えている暇はなくなってしまった。乙女は思い悩む光秀を見て、この人が天下を統べたならば、と想像したことが確かにある。進言することはできない。この世界を手に入れるのは信長だという揺るぎない思いは乙女に限らず、織田家の人間なら皆がそう思っていることだろう。

だが光秀は、信長を弑するという決断を固めた。信長が築く世では、光秀の理想を形作ることはできない。乙女もそこに異論はない。乙女が気に食わないのは、彼がそう決断した最大の要因として元親がその叛意を促したということだ。

元親の考えていることは分からない。彼も光秀と共に信長の元に向かい、共に反逆者となるというのだから余計にだ。自身への求婚といい、何を目的としているのかも定かでない。直接問いただそうとも思ったが、元親と二人になれそうな時機を見つけることができなかった。

日が落ちる前の話だ。光秀が本能寺に向かおうとする直前のこと。後少しで、自分達は謀反人となる。だがその先で光秀の理想が実現する。乙女が刀の手入れをしていると、障子がゆっくりと開かれた。

「久しいな、乙女。書状の答えを聞かせてもらおう」

このような状況であっても平静を保つ元親を見て、乙女は一気に血が上るのを感じた。

「……それどころじゃありませんよ、元親様! あなたは一体何をしたいのですか、光秀様のことも唆して……!」

立ち上がって元親に抗議するも、元親は笑みを崩さず乙女の口元を掌で覆った。

「唆したのではない。光秀の内に眠る魂を呼び覚ましただけだ……それに、光秀の理想は俺の理想そのものでもある。ゆえにお前を俺のものとしたい」

「……」

やはり、元親が自身を娶ろうとしているのは。光秀の、自分を戦場から遠ざけるという望みを手っ取り早く叶えることができるからなのだろうと乙女は考えた。どこまでもおかしなことを言い、実行しようとする男だ。乙女は覆われた掌を無理やり引き剥がした。

「私が愛しているのは光秀様だけ。私はあの方の為なら、死ぬことも厭わない。それなのに……! あなたが私に言い寄るのも理解ができない。私に何を望んでいるのですか!」

「前に言ったな。お前は海が似合いだと。お前が光秀に抱く恋情ごと、お前を愛そう。あいつを愛するお前だからこそ、俺はその魂に惹かれている。強く!」

「……頭がどうかしていますよ、元親様は!」

女は政略の道具だ。愛などなくとも、ただ無理やり攫って妻にすればいい。偽ればいい。何もかもを。だが元親の言っていることは嘘ではないのだろう。光秀がいつ何時も清廉に、ありのままの真実を口にしているように。

乙女は精一杯の悪辣な言葉で元親を誹るも、びくともしていない様子だった。

「それでいい。全ては阿呆にしか成せないことだ。俺も、お前も」

その時、元親がどこかに合図をするのが見えた。

嫌な予感がする。刀を手放さずにいるべきだった。乙女がそう後悔するのも時すでに遅く、自身の後ろに影が忍んでいたことを今になって察知した。

「……!?」

後ろから、何者かに羽交い締めされた。乙女が抜け出そうともがくもびくともしない。元親を睨んだ。

「お前は、俺たちに着いていくことはできない。隠れ家を用意させた。お前はそこで待機する定めだ」

「どうしてです! 私は……光秀様と共に、全てを背負うつもりなのに……」

「これが光秀の望みだからだ。安心しろ。事が終われば俺はお前を迎えに行く。それまでの間、決断するといい。猶予はあるだろう」

「……そんなことを言って死んでいくような人間を、私は沢山見てきましたよ」

「光秀とお前、そして俺自身が共鳴し続けている限り、俺は生き続ける。安心するといい」

元親には、何を言っても敵わないと思った。彼の口ぶりからして、このことは恐らく光秀も承知しているはずだ。

結局、何を言おうとも逆らえるはずがないのだ。

「その言葉……本気にしますよ」

「……上等。俺は光秀の望みを叶える。その上で、お前の返答を聞くために再び相見えよう」




元親はそう言って去っていった。

他人を愛する女をわざわざ迎え入れるなど、正気ではない。しかし、この秘めた想いを断ち切ることができるのもまた、元親ぐらいしか存在しないのかもしれない。

そう考えたならば。元親が言葉通りに自分を迎えに来たのならば。彼からの求婚に応じるのも悪くないと……心のどこかでそう思ってしまうのだった。

ありえない。本当に、ありえない話だ。乙女は元親が遣わした男に連れられて歩いていくのだった。


(20250821)
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