君を守らないと誓います
※史実部分とゲーム部分の都合のいい部分だけを採用&捏造。利根坂敗走後の話=死ネタ。夢主も義景もかなり性格が悪い。全体的に不穏。


織田軍の猛攻は止むことはない。利根坂では多くの将兵が死んだ。その中には乙女の見知った人間もいる。皆壮絶な最期だった。

こんな戦で死ぬなんて馬鹿みたいだ、と乙女は義景の撤退を支えながら思った。初めから勝ち目などなかったからだ。この出陣に賛成した将兵が次々と死に、その報告を聞く度に義景が眉を顰めるのを乙女は間近で見ていた。

義景は優しい。民から慕われる道理はある。だが甘かった。越前を守りがたいがために上洛を拒み、巡り巡って今越前は崩壊の前途を辿っている。民の心を掴むだけでは国は守れない。将兵の心は姉川、そしてこの度の利根坂の敗戦により離れていく。寝返る者の仕業で戦場は混迷を極めている。

信長は残虐な人間だ。あのような男に媚びへつらう道理もまたないが、彼に勝る力が義景にあるというわけでもない。

義景がかつて目をかけていた光秀達も、今や容赦なく刃を向けている。一乗谷の美しい自然は踏み荒らされる。民は見せしめのように殺される。乙女は彼らの戦いぶりも目に入れていたが、こんな恩知らずだとは思ってもみなかった。この場で彼らを討ち取ってやろうと思ったが、そのような余裕はなかった。

長政と盟を結んでいたことを含めて、義景の見る目のなさに呆れた。義景は戦場で光秀と会話を交わしたというが、内容まで聞く気にはなれなかった。

「乙女」

「はい」

「城に戻ります。まだ私たちは屈するわけにはいきません」

「はい」

従順だった。義景はこのような状況であるにも関わらず平然としている。

その表情はいっそ不気味にも思えた。

城に戻ったところで何も成すことはできない。だがこの場に留まるわけにもいかず、必死に馬を走らせる。

籠城しようにも、兵力、兵糧共に不十分だ。特に 乙女はその事実をより深く知っている。義景には分からないことまで、彼女は知っているのだ。

義景様は、死んだ将兵と同じくらい愚かな人だ。上洛命令を拒んだのも、無謀だと分かっていながら出陣したことも。

愚かな人だからこそ、乙女は義景のことが好きだった。平穏な理想郷を夢見る一人の男のことを、乙女は好いている。

乙女は、自身の命令ならば否応なく従う部下に目配せした。この部下も中々悪運が強い。

後は景鏡が上手くことを運んでくれるのを祈るだけだった。義景の血族だというのに、よくやる男だった。

「義景様は、もし信長に民や兵の命を保証するから降伏しろと言われていたならば……そうしていましたか」

「降伏などできませんよ。媚びる必要などどこにもありはしません」

「降伏することで安寧が保たれるとしてもですか」

「私には私の理想があるのです。それを体現することが私の使命。信長殿であっても、誰であってもそれは成し得ない。私でなければならないのです」

武士の本分は国を豊かにすることだ。私腹を肥やすのではなく、民のことを第一に考えることが大切だと義景は言っていた。

あまりにも、欲がない。例えば上杉謙信の言うような……「正しき」を広げようとする意志もない。越前の安寧を、日ノ本の安寧とするほどの使命感はなく、必要以上に保守的で、それは時に偽善のように乙女には聞こえた。だがこの言葉を聞くと、その欲を極限まで押さえ込んでいたに過ぎなかったのかもしれないと思った。

この男も結局は民の為だと言いながらも、自らの好きなように政を行っているだけなのだ。民が安寧を享受しているのは結果論に過ぎない。

だが、義景という人間に巣食う欲の一面を垣間見ることができた。このような窮地であるからこそ本音を引き出すことができているといえる。

降伏することで安寧が保たれるのだとしてもそうすることを選ばずに戦い続けるということは、時に蛮勇と化す。きっと、彼はそうなったとしても尚戦うと言うのだろう。

乙女も、欲深いほうではない。義景に恩賞を賜ろうとも、必要以上のものであれば固辞してきた。

義景の傍にいること、彼と話すこと、それだけで十分だった。だが逆に言うと、何をするにも義景の傍でなければ気に食わなかった。そういう意味では、乙女も欲深いと言える。彼が光秀達を受け入れた時も、乙女は内心嫉妬の炎を燃やしていた。

義景の先の発言を受けて、乙女の持つ義景への執着はさらに強まった。







城には僅かな将兵が残っていた。出陣前にいたはずの人間が見えなくなっており、それだけで事の重大さを物語っている。主の帰還を待たずに逃げ出したか、寝返ったか。

「本当に籠城なさるおつもりですか」

天守に向かう義景の背中を追いながら乙女は尋ねた。

「援軍が来るまでは。越後から謙信殿が来て下さるその時まで耐え続けます」

「無謀ですよ、きっと」

「ならば、あなたは敵に降るのですか?」

「……私は、義景様のお傍に。例え天守に敵が攻め寄せようとも、私が斬ってさしあげましょう」

乙女は義景から表情が見えないことをいい事にして、嘯いた。

天守の一室には、誰もいない。義景と乙女のみがいる。乙女は、自分はこの瞬間のために生きてきたのだと強く実感した。

共にいることを許されている。これほど喜ばしいことはない。絶望的な状況にも関わらず、どんな戦場でも味わったことのない高揚感を得た。この心優しく容姿も性格も所作も全てが美しい男のことがどうしようもなく好きであると思った。逃げる最中で乱れた髪も、煤汚れた戦装束も、義景自身が持つ美しさを阻害するには至らなかった。そんな些細な穢れを纏っていても、その表情はやはり涼やかで、余裕を保ったままだ。

義景の理想は自らの手で越前の安寧を保つことだが、乙女の理想はこの男そのものだった。この気持ちは何物にも代えがたい。義景に対して抱くのは主君としての敬意だけではないという現実を改めて直視した。

ここには二人きりしかいない。そして、義景は乙女のことを信用している。

実行するならば今この時だ。義景は微塵も疑っていない。

「義景様」

乙女は刀を静かに抜いた。切っ先を義景に向ける。

「何でしょう」

振り返った彼は動揺しない。命を握られているというにも関わらず。それどころか、いつものように優雅な微笑みを見せた。

それでこそ我が主なのだ。胸がどくりと高鳴る。主君を裏切る恐怖からではない。この男を、多くの民から慕われる男を、たった一人の女が屠り我がものとする。これは自分にしかできない行為だ。乙女もまた、笑った。悦びという言葉には収まらない感情が体を震わせていた。このまま彼を、その命を刈り取るのだ。

外から聞こえる怒号。ここにいてもはっきりと分かる。乙女は、織田への寝返りを企てる景鏡に協力を持ちかけた。彼と乙女の部下は今、この城を包囲している。

どのみち、義景に退路や希望、なんてものは初めから存在しないのだ。義景に忠を尽くし、彼を守る将兵の数は少ない。このまま時が経てば、この天守にも敵が攻め寄せてくるだろう。信じていたはずの人間に裏切られ、その事実すら飲み込めないうちに死んでいくのだ。それを実行するのは自分でなければいけない。横槍が入ってくる前に、彼を殺さなければいけない。どうせ、二人きりで逃げてたとしてもどこかで死ぬことは分かりきっているのだ。 だからこそ、他の誰にも義景は奪わせない。殺させない。死してもなおきっと、彼は美しいのだろう。

それを見届けてから、乙女は自害するつもりだった。彼の首を捧げて生き残ろうとは思わなかった。乙女にとっては越前の安寧よりも、遥かに朝倉義景という人間の存在のほうが大切なものだからだ。最期にこの男が見るものが、自分であれば。自分が最期に見るものが、この男であればいいのだ。

「裏切り者。私の首が欲しいのはなぜですか? 景鏡のように、私の首を戦果として信長殿に降伏しようと考えているのですか?」

義景の笑みが深くなる。それを見て、まるで時間が止まったみたいだ、と乙女は思った。のの地でたったこの場所だけ、喧騒から取り残されている。

義景は全て知っていたのだろうか。初めから乙女と景鏡の裏切りを、知っていた上でこんなことを? 分からなかった。

「あなたを愛しているから。あなたが欲しい。どうせもう勝ち目はないのです。ですが、他の誰の手にも殺させない。介錯だってさせない。あなたの瞳に映るのは私だけでいい。私を目に焼き付けて、あなたは死んでいくのです。だから、今ここであなたを殺す」

言ってしまった。

ずっと義景に焦がれていた。妻に、と望む勇気はなかった。傍にいるだけで十分だった。しかし、十分でないからこそ嫉妬をした。もし愛を伝えていたならば、そのような関係性であったならば。城に籠って確証のない援軍を待つよりも、二人でどこかに落ち延びようと持ちかけていたかもしれない。二人でいることができるのならば、身分を、権力を、全てを捨ててもいいと思えるからだ。

たらればの話など、意味がない。過去には戻ることなどできない。だからこの死地は、乙女にとって絶好の機会だった。裏切り者と謗られようがどうでもいいのだ。どうせ乙女も死ぬつもりだからだ。

「……あなたに殺されるならば、それも悪くないのかもしれませんね。どのみちもう長くはない。これもまた運命でしょう」

「あなたの理想はあなたにしか成すことはできない。そう仰っていましたよね。良いのですか? 民も兵も蹂躙されている。この地は平穏を失う。あなたが生きることを諦めることで、それは早まってしまうと言えますよ」

義景は、向けられている刀に躊躇せずに乙女に近づく。刃を指先で掴み、自らの首元に押し当てた。鋭い刃は少し触れただけで柔い肌をすっと切り裂く。首元からは血が流れた。それでも義景は笑っている。あまりにも常と変わらぬそれは、かえって正気を失っているようにも見える。

「最期くらいは、あなたの望みに応えてあげてもいい。そう思ったまでてす。ずっとあなたは私のことを愛していた。けれども私は、たとえ仮初であってもその想いには応えなかった。否定も肯定もせずに……あなたにはずっと臣下としてのみの役目を与えてきた。……なぜだか分かりますか?」

乙女の、刀を握る指が初めて震えた。

やっぱり、義景様は全てお見通しなのだ!

「……義景様。知っていたのですね。とても嬉しい。なぜだか分からなくたっていい。私、義景様のことが大好きなんです。それ以外に何もいらない。あなたの美しい姿を見届けてから私は旅立ちたいのです」

乙女は義景を崇拝している。それは異性として見ているというような一般的な範疇に収まるものではない。

しかし、もし本当に一人の女性として彼に扱われていたならば?

夢みたいだと思った。この場で夢想すれば益々、ここで義景を名実共に自分のものにしたいと思った。

「あなたは愚かで、可愛らしい。私に恋慕しながらも、その想いは叶うことがない。真摯に仕えながら私に関わる全ての人間を妬んでいることも、その気持ちを抱きながらも臣下であり続けようとしているところも、今この瞬間のように、命を奪うことでしかあなたは私を手に入れることができないところも」

私は、そんな馬鹿なあなたを愛していますよ。だから何も応えなかったのです。

義景が、臆する事なく刀を握る乙女の手に触れる。彼の首筋からは未だに血が垂れている。乙女の手の震えは既に収まっていた。

殺そうと乙女が思えば、簡単にできる距離だ。

殺さないのですか、私を。義景が嗤う。乙女はもう、それどころではなくなっていた。

真実か虚実なのか、そんなことはどうでもいい。愛していると。その言葉が、一番欲しかったのだ。乙女は刀を捨てた。たったそれだけの言葉で揺れ動かされるほど、義景のことを愛しているのだ。

生き残る気力が湧いたわけではない。これならば、義景に殺されるのも悪くないと思った。

「……義景様。私たち、相思相愛だったのですね。なんて意地の悪いお方なのでしょう。それならばもう何も悔いはありません。あなたにならば殺されてもいい。だって、私はあなたのもので、あなたは私のものでもあるのですから」

動機が何だったとしても、裏切りは事実。裏切り者として粛清されても、結局最期に見るのは義景の姿なのだ。彼に愛を囁かれた思い出を胸に死んでいくのならば、それでいい。

「先程までは威勢よく私が欲しいなどと言っていたというのに。幼稚で、愚鈍であるからこそあなたは可愛らしい。私はあなたを殺しはしませんよ。そこまで甘やかすつもりはありません」

「ならば義景様は……」

「私は今から腹を裂きます。あなたは介錯を務めなさい。その手で私の首を落とすのです。あなたの望みは叶うでしょう。私にも武士としての意地があるのです。 私は曲げる訳にはいきません。それに、あなたが同じことを願っていたように……あなたが死する目前、最期に目にするものが、私であればいい。そう思ったまでですよ」

乙女が歪んだ執着を抱き続けていたように、義景も乙女に対して捻くれた愛を抱いていた。その愛は、乙女が義景の首を斬ることで、乙女が兼ねてから語ったとおりに義景の死後自害することで成就される。

義景は、懐に隠していた短刀を取り出し、抜いた。姿勢を正して座り、刃を腹に向ける。

「……そうですよね、義景様。あなたは私を殺すなんてことしない。……それに、あなたもそう思っていてくださったのですね。ならば、喜んでその首を落として差し上げます。あなたの死してなお美しい姿を見ながら私は逝けるのですね。ああ、本当に嬉しい」

乙女は落とした刀を拾い、再び構えた。



終わってしまえば、一瞬のことだ。

乙女は、やっぱり義景は美しくて聡明で、全てを捧げるに相応しい人だと思った。

義景の腹を裂いた短刀を首元に当てる。

喧騒が大きくなって、やがて何も聞こえなくなった。


(20250706)
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