これ【来世では、幸せになりましょう】の続編。現代転生ネタ。
乙女は生まれ落ちてこのかた、平凡な毎日を送ってきた。
それが狂ってしまったのは、日が沈んだとある日の帰り道、変な男に絡まれたことがきっかけだった。
「あんたの前世、占ってやろうか」
影から現れた男が行方を遮る。乙女は動揺しながらも毅然と振舞おうと務めた。
「なんですか急に。そんなの必要ありません」
「この俺に対して、その態度ねえ。いくら頼みとはいえ、これは骨が折れる。だからご本人が会いに行ってやれと俺は言ったのに。自分だけが想っているだけなら辛いだけだ、なんて言うから仕方なくやっているだけなんだがねえ」
人通りの少ない道だ。これ以上まともに付き合ってもいられない。乙女はよく分からないことを言う男の顔を見ずに通り抜けようとするが、男の言葉が歩むことを停止させた。
「あんた、前世で良くない死に方をしたな。……だが今生を真っ当に生きていればまた出会えるさ。まあ、あんた次第だが」
「……何の話ですか」
前世で何をしたかなど、どうだっていい事だ。乙女はオカルト的な事象には興味がない。そういう人間として生きてきた。しかし、この男の言うことはでたらめではなく、真実をそっくりそのまま伝えているようにしか感じられなかった。意味が分からないからといって彼の話をはぐらかすことは簡単だ。しかし、すぐにそのための言葉を発することはできなかった。
その一瞬の隙を、男は見破っている。暗い夜道の中、男の表情は不思議と鮮明に見えた。
「思い出さなければそれまでだが、きっとあんたには思うところがあるはずだ。俺の直感でしかないがね」
思うところ。ないとは言いきれなかった。
既に乙女からは男の言うことを拒否できる程度の意志の強さが失われていたのだった。呆然と立ち尽くす乙女に「また、近いうちに」と言い残し去っていく男の後ろ姿。それを見ていると、確かにあの背中は見覚えがあるような気がした。
不愉快なことに巻き込まれてしまった。しかし、どの道向き合わねばならぬことだったのだろうと乙女は思った。
なぜならば。
「思い出してくれましたか」
男の姿が見えなくなるまで動けずに立っていた乙女の頭の中で声が響いた。先程まで話していた男の声ではない。
周囲を見渡すもそこにいるのは乙女だけだった。
「私はずっとあなたのことを想っています」
男がこの場にいれば、この声の正体はすぐに明らかになったかもしれないのに。
乙女は頭の中で響く声を無視して帰路についた。そんなはずがないのに自分の後ろを誰かが付きまとっている気がした。
それからというものの、乙女はあの夜脳内に響いた声に悩まされ続けていた。
不快なことこの上ない。何をするにも気が散ってしまう上、いつ声が聞こえるか予測がつかないせいで過度な緊張状態を強いられている。
「私はずっとあなたと一緒に歩めるものだと思っていました」
そんな声が聞こえた。自宅に一人でいるときだった。思わず冷や汗が出る。乙女はこの声を聞く度に心の動きを乱されていた。時にはコップを倒してしまい、テーブルの上を水浸しにしてしまったこともある。
それでもこの声そのものを気持ちが悪いと思うことはなかった。声が聞こえることと、声そのものの心地良さは全くもって別だった。
男の声は常に平静を保っていて、取り乱すことは一切ない。こちらとの会話をしているということでもなさそうだった。ただ漠然と、一人でどこかに向かって語っているようだった。
きっとこの声の正体はは、あの日男が言っていた「また出会える」はずの男なのだろう。
今まで生きてきた中でこんな声は聞いたことがなかったし、未だにどんな姿、形を持っている人間なのかも分からない。
「あなたと共にいることが私の幸せなのです」
「幸せになりましょう」
しかし、このように重ね連なる言葉を聞き入れていれば、前世で一緒になるはずだったのになれなかったのだろうという察しはつく。
秘密を知る男に早く会わねばならない。そう思っていてもなぜだか巡り会うことはなかった。
こんなことになるくらいならば、怪しいと思いながらであっても連絡先を交換しておけばよかった。あの日あの男に出会ってからこんな目に遭ってしまうことになったのだ。乙女は声の主に思いを馳せた。
この男が実在するとして、本当にこのようなことを思っているのだろうか?
幻聴というものは現実を映すものではない。全て虚実の可能性も無きにしも非ずだ。
乙女の疑念は晴れないままだった。夢の中でくらい姿を見せてくれてもいいのに。そう考えたこともあったが簡単に叶うはずもなかった。せめて声以外のことが分かれば、思い出す手がかりとなるかもしれないのに。乙女は眠りについた。その日の夢は平凡なものだった。
断片的に聞こえる声の正体がはっきりとしないまま、乙女は歩いていた。いつもと変わらぬ帰り道だ。
「おい、あんた」
幻聴ではない。振り返ると、見覚えのある男が一人。
「またすぐに会うつもりだったが……思ったより遅くなって不甲斐ないねえ。だから本人が行けと俺は言ってはいたんだが。……前会ったときと、あんたの表情が随分と異なってるな。何か身に覚えはあったのかい?」
やっと会うことができた。微かに光明が見える。なぜ会いに来てくれなかったのかを問うほどの関係性でもないのだが、過程はどうあれ結果が全てだ。乙女は男の問いだけに答えようとする。
身に覚えはある。あるにはあるが、だから何だというのか、と言いたくなってしまうようなものでしかなかった。
「……私、思い出せませんよ。聞こえては、いますけど」
「聞こえる?」
「男の人の声が聞こえます。あなたと会った日から、時々頭の中で……聞こえるんです。多分、前世……? のことが関係しているのかもしれません。……あなたが言う、私がまた出会える人なのかもしれません」
声だけだから、分からないですけど。乙女の言葉を怪しむこともなく、男はスマートフォンをいじりだす。
こんな妄言受け入れられるとは思っていない。そういった覚悟はしていたものの、男は乙女の言葉を拒絶しなかった。
「声だけ、だとあんたが見たところでピンと来ないままかもしれないが……一旦、これを見ろ。あんたに話しかける声の主がもしあんたの前世に関係する男だとしたら、正体はこれだ」
スマートフォンの液晶が明るくなる。そこにいたのは紛れもない美青年だ。薄く微笑みを浮かべている彼は、絵画のような美しさがあるようにも感じられた。
「……何か既視感はあったりするか?」
「分からない。分からないままですけど……綺麗な人だなあって思います。この人からあの声が発されているのだと考えると、納得がいくというか……」
男は小さくそうか、とだけ言ってスマートフォンを仕舞う。
「あんたがそう言ってくれてよかったよ。声の主とこの男が同一人物だとして……この男はあんたに、なんと言っていたんだ?」
「ああ……『私はずっとあなたと一緒に歩めるものだと思っていました』『あなたと共にいることが私の幸せなのです』と。そう言っていました」
「男の幸せは、あんたといることだ、と……」
怪訝な顔を見せる男を見て、乙女は困惑する。
何ら疑問を持つような発言ではなさそうなものだが、どうも違ったらしい。
「あの男は……あんたにはこう言っていたはずだ。『私が消えてしまうとすれば、あなただけでも幸せになってもらいたい』ってな。そうせざるを得ないほどの状況だったからだ、あの頃は。まあ、実際のところはあんたと過ごす時間が何よりも大切だってことは分かっていただろうがね。……あんたの聞こえた言葉は、男の本心というよりは、あんた自身の本心なのかもしれない。あんた自身も、今生で幸せになることを願っているんだろう」
全く、何で俺がこんなこと言ってんだ。そう言いつつもどこか嬉しそうに話す男を見て、乙女はやっぱり困惑し続けるしかなかった。
幻聴は、自分を映し出す鏡のようなものだったのかもしれない。
自身の中に眠る前世の記憶が、叫んでいたのかもしれない。
叶わなかった夢を叶えんとするがため。幸せになるという夢を現実のものにするために。
「……二人で幸せになることが、私の運命ということですか」
「……そういうわけだ」
乙女はほっとして、やっと笑みを見せた。
夫婦は似るものだとよく言うが。笑い方は良く似ている。彼女の表情を見て、男も肩の荷が下りたような心地になった。
男は、賈クは……乙女がかつて、精神を病んで自害したのだとは言わなかった。
言う必要などどこにもないからだ。
前世と今世は違うものだと分かっていても、乙女が「声が聞こえる」などというものだから、内心ではまた同じことが繰り返されるのかもしれないと焦りを抱えていた。
だがこの様子では大丈夫そうだ。乙女の言う声の正体は、荀イクの声を通した乙女自身の言葉と思いだったのだから。
「私、会ってみたいです。確信を得るため、そして叶えられなかった夢のために」
「そりゃあそうだ。彼にも伝えておくとしよう。連絡は俺の方から。手配が出来次第だ。いいな?」
「はい…!」
その日の夜。乙女は再び、声を聞いた。
「来世では幸せになりましょう」
写真の中の男の声のようでもあるし、自分の声であるような気もした。
結局のところ、その思いは二人して感じていた、願ってやまないものだったのかもしれない。そう思ってその日は眠りについた。
夢は見なかったが、深い眠りにつけたような気がした。
数日が過ぎ、男からの連絡があった。写真の中の男……つまり、前世で互いを愛していたはずの男と会える準備が整ったらしかった。
待ち合わせは、とある喫茶店。
その当日、乙女は妙にそわそわしていた。ここまで来て思っていたものではなかったなんてことにはならないと思っているものの、この世では初対面なのだ。
しかし、いい意味で乙女の不安は裏切られることになる。
店に向かう道中の話だ。
乙女にとって、あまり馴染みのない場所だった。
本当にここであっているのだろうか。乙女は慌ててスマートフォンを取り出したのだが、道のど真ん中という事もあり、通行人にとっては邪魔な位置に立ってしまった。
「……っ、すみません」
急に立ち止まった自身に非があるのだ。乙女は謝るのはこちらの方ではないかと思い顔を上げた。
「……文若様」
自然とその名が出た。「様」を付けるなんて、普段ならば考えられないことだ。
だが、乙女にとっては違和感などないのだつた。
文若様。そう呼ばれた彼は、驚きつつもすぐにその表情を歓喜へと変化させた。
写真で見た笑顔そのままの表情で、通行人がいるのも構わずに乙女をすっぽりと抱き締める。
「今生では幸せになりましょう、乙女殿」
20250630