ただひとつの火がきみだった
死んだ母親の傍で、逃げ出すこともせずにこちらを見ている。殺せるものならば早くそうしろとでも言いたげな視線を向ける、大層生意気な女だと三太夫は思ったものだった。

戦で田畑は踏み潰され、家屋は燃え多くの人が死んだ。全てを燃やしつくせと命じたのは三太夫自身だ。内通者の手引き、暗殺、諜報、命じられたものならば何でもやる。それが忍びとして育ち同じような人間を束ねるまでのし上がった彼の仕事だった。

炎で何もかもが焼け落ちようが、三太夫にはどうでも良かった。寧ろ、この地獄の中で苦しめばいい。それはかつて三太夫自身も味わったものだ。自らの受けた地獄のような日々を、彼は清算することができていなかった。全ての苦しみは、己だけでなくこの世の誰もが背負うべきものなのだとさえ思っている。だから、この地の人間を根絶やしにすることに何の抵抗もなかった。

目の前の女はまだ子供だ。傍らに倒れている母親は三太夫の手勢が殺した。女は今にも倒れ落ちてきてもおかしくないほど炎に包まれている家屋の前に立っている。三太夫は憎らしげに女を見ている。

「……あなたがこんなことを?」

女の声はやけに無機質だった。

「俺はお前たちを助けに来ただけだ。……だが、遅かったようだな」

三太夫は平気で嘘を吐く。そこに後ろめたい気持ちなどない。

「私はこれから、どうすればいい? お母様は私のために殺された。私、まだ生きたい」

三太夫は善人のように振る舞うことができる。適当にやり過ごして、この女をあしらって、さらにこの地を血で染め上げるために暗躍せねばならない。

そのはずだったが、三太夫は女に過去の自分を見てしまった。

武士に故郷を滅ぼされ、家族や仲間を殺され、一人で血反吐を吐き、泥を啜ったかつての日を鮮明に思い出した。女はまさに過去の自分そのものだと思った。伊賀の里に拾われ忍びとしての技を叩き込まれ、やがてその力が見込まれ一軍を率いるまでになった三太夫の、少年の日の姿がそっくりそのまま映し出されているようだった。見るもの全てが憎らしく、それでいて散った者に殉ずるくらいならば華々しく刺し違えたい。復讐をしたい。その為には生きなければならない。女はそう訴えているようだった。

「お前の母親を殺した奴が憎いか」

女は首を振って、是を示した。

「……そうか」

三太夫は女を抱えた。元から裕福な暮らしを送っていたわけでもないのだろう、やせ細っていて軽く持ち上げることができた。女は三太夫の背にしがみつく。倒れている母親を見下ろしていた。

「俺もお前と同じように、動かなくなった血族を置き去って逃げたものだ」

女の、背を掴む力が強くなった。良い手駒が手に入ったと三太夫は思った。復讐心は人を駆り立てる。自分と同じように、武士を憎み育つだろう。良い右腕になるかもしれない。





女は忍びの技術を三太夫に教えられながら育った。三太夫を慕い、そして忠実な部下として戦場にも赴いた。

だが少しだけ、ほんの少しだけ三太夫のあては外れてしまった。

「……乙女、ちゃんと食ってるのか」

織田家に従う忍者集団として三太夫は働き、多くの米や物資を報酬として受け取っている。伊賀の人間はその恩恵を大いに受けていた。それは乙女とて例外ではない。乙女が三太夫に連れられてから初めて飯を食べた時、彼女は人生でこれだけ米を食べたのは初めてだと呟いた。

やはり似ている。三太夫も伊賀で拾われるまでは路頭に迷い、久方ぶりに味わった飯の美味さに涙を流したものだった。

だが今の彼女は、随分とやせ細ってしまっている。背は十分に伸びた。食べ盛りは過ぎたとはいえ、これは異常だと三太夫にも分かった。

「食欲がありません」

乙女は名を名乗らなかった。仕方がないから、三太夫自ら名を付けた。乙女という名前にさしたる意味はない。伊賀の忍は本名を持たない人間が多くいる。

「……お前がそうだと、俺は不安で夜も眠れねえよ」

甘い言葉を囁くことも、三太夫は仕事の一つだとしか思えない。だが乙女へ言った言葉は全てが嘘というわけでもなかった。駒を失うのは困る。この女は戦略的に重要な意味を持っているのだ。そんな言葉を三太夫は己に言い聞かせる。それだけではないということを分かっているはずだったが、三太夫は心の内でさえもそのようなことを浮かべなかった。

浮かばなかった、というほうが正しかった。そうすることで、もう感じなくなったはずの罪から逃れようとしているのだ。






「……百地様」

「何だ」

「私はもうお役に立てないでしょうね」

「……」

三太夫は武器の手入れを乙女の近くでしていた。彼女を見守っていないと、不安でしょうがなかった。起き上がった乙女の手首は異常に白く、ぽきりと折れてしまいそうなほど細い。顔色も大層悪い。彼女は死期が近いのだ。幾田の死体を見てきた三太夫がそう思ってしまうのだから、もうこれは避けられないことなのだろう。

「俺は、ずっとお前がいるものだと思っていた。俺の後ろを着いてくるお前は可愛くてなあ……」

どうして可愛いと思ったのだ。三太夫ははっとした。自分と同じ存在。それは身代わりのようなものだ。同じように武士をいずれ貶めるものとして、その尖兵とするはずの女だったというのに。

「親はふつう、子よりも先に死ぬ。ですが私は、親よりも先に死のうとしている」

「俺は親じゃねえよ。それを言うなら、お前の親はあの時、お前のために命を落としたんだろう。自然の摂理そのものには沿っている」

「……あれは母親ではありませんから。私は、自分の本当の名前すら知りません。あの方はずっと私には酷く当たっていた。最期の瞬間だけ、 母親のように振舞った、それだけで」

乙女は激しく咳き込んだ。三太夫はそれこそ親のように近寄って背中を摩る。

「だがお前は、母親を殺した奴が憎いと、」

「だって、そうすれば百地様は私を連れて行ってくれると思いましたから。……例え使い捨てにされようとも。だって、私が住んでいたところに火を放ったのはあなた達でしょう。ああでもしないと、私はあなたに殺されていた」

早口に話しながらも苦しそうに息をする乙女の体を、今にも生命を散らそうとするその姿を見て、三太夫は自分のことのように感じ入り冷や汗を流している。乙女の言葉は、それに拍車をかけた。

この女、ずっと知っていて俺に従っていたのか。

三太夫に、罪の意識はない。そのはずだった。だが乙女に限っては、あの時のあの行為は紛れもなく罪だったのだ。

「さぞ俺が憎いだろう」

「いいえ」

「……俺に嘘はいらねえよ」

「嘘ではありません。あの方が最期の瞬間母であったように。百地様は私にとって父でした」

「……俺を憎めよ、憎めばいいだろう」

「百地様の痛みも、存じていますから。私は幸せでしたよ」

三太夫は、何も言い返すことができなかった。自分が酷く小さく醜い存在かのように思えた。

武士への憎しみは、生涯消え去ることはない。武士は誰であっても、惨たらしく消えるべきなのだ。

だが乙女は、忍という存在を憎まなかった。あまりにも純粋だ。無垢だ。

「さいごにお願いしてもよろしいですか」

「……ああ」

「お父様とお呼びしたいのです」

「それでいいんなら、な」

「良いのです。……お父様」

再び咳き込んだ乙女を、三太夫はぎゅっと抱き寄せた。

まだ小さかった頃の乙女と対して変わらぬ体だった。それほど彼女は病に冒されているのだ。

「百地様は、自分のあるべき道を歩んでくださいね」

それは、最早呪いのような言葉だった。三太夫はこの娘を、どうして駒として使おうとしていたのかと思った。ただ近くにいるだけで、彼女は既に役目を果たしていた。三太夫は今この時になってそう思い知らされたのだった。

(20251107)
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