帰りを待つのが夢でした
「私の夫は死にました。川で溺れて。本当なのかどうか、私はずっと疑っているのですけど」

「……なぜそれを俺に言う」

近頃良く顔を合わせる乙女という女は、突拍子のないことをよく高虎に言った。

二人は城下を歩いている。傍から見れば夫婦に見えるかもしれない。だが二人はただの同僚で、何もやましいことはしていないし、互いにする気もない。だから居心地が良いのも確かだった。

高虎は乙女に虚言癖があることも熟知している。くだらない事でこの女はすぐに嘘を吐くのだ。この食い物は苦手だから食えと押し付けられた高虎はそこまで言うのならばと口に運んだ。当然のことだろう。だが乙女は、次の瞬間にはなぜ私の食い物を勝手に食うのだと怒るのだ。その声色が自然なもので、寸前に嘘を吐いていたとはにわかに信じ難い。なぜそんな訳の分からないことを言うのだと高虎は尋ねても、乙女は人当たりのいい笑顔を浮かべて誤魔化すだけでろくな答えを言わないのだ。

高虎でなければとっくに匙を投げている。彼は乙女のことはもう「そういう女」でしかないのだと自分に言い聞かせていた。真面目に向き合う必要すら本来はない。虚言癖さえなければごく普通のまともな人間なのだということは明らかで、戦の腕も立つし、仲間を裏切るようなことは一度もしなかった。

裏切った時のために、高虎が半ば監視のように宛てがわれているという節もあった。高虎は乙女を殺すことになったとしても躊躇わないだろうと一目置かれているのだ。事実である。彼は必要以上の情は抱きたくないと考えていた。彼自身様々な主君の元を渡り歩いて来ているから、自然と用心深くなっているのだ。

こういった経緯があるものだから、今回も高虎はお得意の虚言癖が披露されていてもさして気にしなかった。だが彼女の顔はいつもの笑みひとつ、その素振りすら見せない。

「信じてませんよね、私のこと」

「当たり前だ」

「それが、本当のことなのですよ。多分、ここに来てからは誰も言っていなかったと思うのですけど」

乙女に配偶者が確かにいたという話など、高虎は全く知らない。彼女は嘘を吐く割にはあまり自分のことを開示しなかった。本当なのは剣術だけだった。それだけは手合わせ、そして戦における実際の腕を見てきているから信じることができた。

「本当だとして、なぜ俺に言う。……俺がそんな話を信じるとでも」

仮に真実だとして、慎重に扱わなければならないような情報を高虎に言う意義も見いだせない。乙女はいつも肌身離さずに身につけている脇差の柄を急に触りだした。

「こんな往来で何をする気だ」

高虎の声が小さくなった。まさか、辻斬りするわけでもあるまい。

「……何も。この脇差は夫の形見です」

「今日のあんた、いつもにも増してどうかしているな」

乙女は口を開けて、何かを言おうか言わまいか迷っている。高虎はさして口を挟むこともない。やがて乙女は戸惑いながらも再び話始めた。

「高虎殿は、かつて明智殿ご謀反の際に討たれた津田信澄殿の奥方を匿ったことがあると噂で聞きました。未亡人の心を、少しは分かってもらえると思った次第ですよ」

「……また随分と昔の話を」

「じゃあ、あれは本当のことなのですね」

「なぜお前が知っているのかは追求しないでおいてやる。それとこれと、関係があるようにも思えんが」

「だから、言った通りです。今日話すことは全て本当ですよ。私は嘘を吐くことで保身してきましたが、あなたになら少しは本当のことを言ってもいいと思った。私はその日も夫を待っていた。でも帰ってこなかった。私が私を騙して偽ったのはそこからでした」

高虎は主を何回も変えて生き延びているが、嘘を吐く暇も隙もないと思っている。津田信澄は、高虎がどれだけ働いていてもずっと冷遇していた男なのだ。出世のためだとしても、嘘を吐いたからどうとでもなるものではなかった。しかし、乙女は嘘を吐くことでその身と名誉を守ってきたのだろう。そう高虎は解釈した。いつの間にか、虚言を虚言だと思わなくなっている。

「……俺は、全てを信じた上でもなお、お前に優しくなどできんぞ」

「分かっています。でも高虎殿はそれを知って態度を変える御仁でもないでしょう?」

「そうだな。よく、分かっているようで何よりだ」

「私は夫のことを忘れることはできませんが、夫の帰りを待つことと同じくらい、戦場で高虎殿が無事であることを祈っているのですよ。あなたのように理性的な人間は、失いたくない」

息をするように嘘を吐くような人間の言葉だ。どこかで問いただせば、彼女の夫が本当に実在するのか、誰なのか、いずれ分かるだろう。

いつもの彼なら、そうした動きに取り掛かっていたはずだ。高虎は乙女に態度を変えるような人間ではない。それは自分でも揺らがないものだったはずなのに、彼はもう以前と同じ目で乙女を見ることはできなくなっている。

その脇差を奪い取ってしまえば彼女はどうなるのだろう。彼女を川に突き落とせばどうするのだろう。この話を聞いた上で彼女を突き放すようなことをすれば、二度と真実を吐くことはできなくなるのだろうか。良からぬ感情が渦を巻いていることなど、乙女には分からない。

「俺も、あんたのことは嫌いじゃない。失うには勿体ないものだ」

この女を手篭めにすれば、死んだ夫とやらの名を叫ぶのだろうか。目の前にいる男のことは見て見ぬふりをするのだろうか。高虎はよぎる欲を押さえ込んだ。乙女が女であるということ、そして自分の醜悪さに、腹の底から絶望している。

(20251108)
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