生命のダンス
哀れだと家中の人は言う。
別に、見下しているとか、馬鹿にしているということではない。
それは、客観的な事実を言っているだけに過ぎないのだ。実際、乙女自身もそう思わざるを得ない。
乙女の右足の腱はざっくりと斬られている。それをしたのはこの家の主だ。乙女は這いつくばって燭台のほうへ近寄る。
それを持っているのがこの家の主であり乙女の夫だった。炎は揺れ、男が座ると同時にその位置は定まった。
男の顔がぼんやりとしている。
「……あの。おかえりなさい」
乙女は無理やり笑顔を作った。
男はじっと乙女の右足を見ている。
「何か……私はおかしなことをしたでしょうか」
下手に出るのがすっかり習慣となってしまった。昔はそうではなかった。もっと対等であったどころか、乙女のほうが口はよく回った。今は影も形もない。
「……何も。ただ」
「ただ?」
「それを見ていると、お主は本当に外に出られぬのだな、と思ったまで」
「旦那様がしたことですよ。……旦那様は将軍様にご執心で私のことなんか、どうでもいいと思っていたのに」
乙女も初めの頃は、ひとりの女として嫉妬もした。寂しく帰りを待つ日もあった。
今となっては、自分に愛情を向けていたはずのこの男のことが理解し難い存在と変貌している。自らはろくにここに帰ってこない日もある。旦那様、として乙女に尽くすことは減った。乙女がどこで誰と話そうと、男がとやかく言えるような資格はない。それほどの仕打ちを乙女にしている。
「お主が身共のことを考えぬ日があるのだと思うと、恐ろしい」
「……あまりにも臆病すぎますわ、それは」
皮肉である。近頃の乙女にしては、この発言すら思い切りのいいものだ。
彼がその身の丈に見合わぬ嫉妬を乙女に向けていると彼女が知ったとき、短刀は宙を舞いその白い足首を赤く染め上げた。
尋常ではない。乙女の目が他人に向くことを誰よりも男は恐れているのだ。男は乙女よりも主命を重んじるが、乙女にはそれを禁じた。不対称である。全くもって、釣り合っていない。しかし受け入れざるを得ない。足を引き摺ったままでは逃げられないからだ。
結局、乙女は男のおかしな執着心をその身に引き受けている。乙女には夫しかいない。彼の足に腕を伸ばして、どんな瞬間であってもそれに縋るしか生きることはできないのだ。
「……お主は何も考えずともよい」
「嘘だと言うことを、私は知っていますよ。
家中の者がしきりに噂しているのですから。この先の未来が明るくないということを……」
家中に蔓延る噂、そして乙女の本能がそう予感させている。そうして、この足の代償も払わずに敬愛する主のために殉じていくのだ。乙女の為に戦い死ぬなど、一時も思い浮かべることはないのだ。
……一足先に死んでやろうか。
乙女は燭台を倒そうと手を伸ばした。
が、すぐに阻止される。手首を掴まれ、ぐっと捻られた。
「……痛いですよ、旦那様」
「この腕も折ってやりたいものだ。お主はただ大人しく過ごしておれば……何もしまいというのに、」
男の死期が近い。中原へ歩みを進める馬の足音が乙女には聞こえる。
女には分かる。男が自らの腹を短刀で斬り裂く姿が。
それを望む己が、確かにそこにいるのだ。
(20251120)