運命の女
秀吉の養女だと名乗る女が三成の元を訪れたのは、天下を二つに分けた大戦が始まる直前のことだった。
見知らぬ人間ではない。だが彼女がどこで生まれどのようや経緯で秀吉の養子となったのか、三成は詳しいことを知らないのだった。
どこぞの神主の娘だという噂だけは耳にした事がある。三成も元は寺の小姓をしていたから、彼女にしても不思議なことではない。
とはいえ誰にも嫁がず、彼女がいることによる政治的な意味は三成を持ってしても何も分からないままだった。
「何の用ですか、乙女様」
乙女は常に動物の頭の骨を持っている。それは呪いに使うものらしい。自分を呪い殺そうとでもしているのかと三成は邪推した。
今や、徳川方に付くことを決めた人間の中には三成のことを恨んでいる者も多い。乙女がそうであるという可能性もある。三成が彼女を丁重に扱いこうしてもてなしているのは、秀吉と縁があるからというものに過ぎず、決して心の底から敬意を表しているということでもなかった。
「大方、あなたの事ですから私があなたに危害を与えるとでも思っているのかもしれません」
乙女は出された茶を臆せずに飲んだ。
「こちらが乙女様に何か施すわけでも、ましてやその逆もありません。……あなたができることと言えば、こちらを惑わすことだけでしょう」
三成は嫌悪感を隠さずにいる。乙女は反して、薄らと唇の端を釣り上げていた。
「つれない方。私はあなたに真実を伝えに参っただけですよ」
「……真実?」
彼女の虚言には乗るものか。そう強く思いながら三成は返答する。口先と心は、必ず一致していなければならないというものでもあるまい。乙女のことを信じるわけではない。三成は自らに言い聞かせている。
「ええ。……私には分かります。あなたは家康……には勝てない」
「何故です。家康に勝つために全てを磐石なものへと、堅固なものへと備えてきたはずだ!」
戦を知らぬ小娘に愚弄される謂れはない。根拠のない中傷に翻弄されるはずなどないと思っていても、三成はつい声を荒らげてしまった。
乙女は三成の怒号にも瞬き一つしない。本当に生きているものなのかと疑いたくなるくらいに、彼女は無機質な表情を宿している。その笑みは仮面のようだ。
「でも、私は良いのです。あなたが生きていても、死んでいても、あなたが私のものになれば。それをずっと望んでいます」
「……どういう意味ですか。この体はあなたのものではない。秀吉様ただ一人にお仕えするためのもの、そしてあの人の志を受け継ぐための……」
「分かっています。ですから、私はあなたを手に入れることができないのです。私は呪いを使っても生きたあなたを縛り付けることはできない、けれども、私はあなたのことを、」
「訳の分からぬことをいう姫君だ。……お引き取り願いたい」
「……家康には勝てませんよ、あなたは」
「そのお言葉、生憎ですが聞く気にはなれません」
三成は乙女を振り切って、彼女を屋敷から追い出そうとした。これ以上妄言に付き合ってなどいられない。
「戦を続けるなら。私はあなたの首の前であなたを呪いましょう。あなたを私のものにするために……」
女はそう最後に言い残した。あの女の言うことは、全てが三成にとって理解不能なものだ。
三成は乙女のものではない。そんなこもは真っ平である。
ただ、彼女が頑なに三成の敵、家康を呼び捨てることには妙な親しみを覚えてしまうのだった。
女は、六条河原で首を見ている。見物人が途絶えるまで女はその場を離れなかった。
彼女が持っているのは動物の骨……それは猫の頭部のものだった。
まじないの言葉を唱える。手に持っていた骨は、なんの力も加わっていないにも関わらずヒビが入った。
そうして男は目を覚ます。首が動き出すわけでも、閉じた瞼が開くわけでもない。だが女には見えている。鉢金も陣羽織も、その背に刻まれた大一大万大吉の文字も砂埃一つ付いていない。
「……やっと私のものになりましたよ、三成様。ずっと、ずっとお慕いしておりましたというのに。そのために私は秀吉様に近づきましたのよ。秀吉様も三成様も、何も分かっていない。私のことも、この国が辿る趨勢のことも」
男は口を開いた。その声は女にしか聞こえない。男は女の陶酔しきった表情を見てぞっとしている。自らのこの末路に臓腑がせり上がりそうなほどの衝撃を受けている。彼が最期まで諦めなかったのは生きることだ。首を切り離されるその瞬間まで再起を図っていたのだ。それは死してなお現世に縋り付くことではない。蘇ることではない。それを女は承知の上でいる。どうあっても自らを女として見なかったこの男に強い恨みと憎しみと愛を向けている。
「この首も、私のものであればよいのに」
女は目の前の男を横目で見ながら、想像以上に思い首を持ち上げた。何の温度も存在しない唇に口付けする。男は激しく嘔吐いたがそこには何もない。男の体内には何も残っていない。女は「私の言葉を聞かなかったのがあなたの罪だ」と言った。男は女の首に手を伸ばしたがその手はすり抜けるだけだった。
(20251202)