番犬
戦が始まる前夜。陣中で乙女は、銃を抱えながらぽつりと呟く。雲の隙間から僅かに月光が差し込んでいる、そんな夜のことだ。

「あの雇い主は、」

抑揚がなく、感情の起伏が感じられない声色だった。

「うん?」

孫市は彼女に曖昧な返事をした。大方、彼女の言いたいことは分かっている。雇い主が信用に足る人物かどうかを聞きたいのだろう。

「……従うの」

「まあ、今のところはな」

孫市もどこか思うところがあるのか、複雑そうに答えた。

「……そう」

乙女はそれきり、黙った。相変わらず無愛想な奴だ、と孫市は思う。彼女が声を出して笑ったことはおろか、笑顔の一つも見たことがない。

女性は皆女神のようなものだと考えている孫市だったが、乙女に対してはその風貌や性格を崇めることは出来なかった。

それは別に、乙女が醜女であるとか、そんな理由では無かった。彼女は、孫市が女神として扱うにしては少し幼い。

それに加えて、戦に光を与える女神のような存在として、彼女のことを見ることが出来ない理由があった。その理由については、二人が初めて出会った頃まで遡る。

孫市と彼女が出会ったのは、数年前のことだ。

雑賀衆は金で動く。そうは言いつつも、孫市はどれほど金を積まれても動かないこともある。全ては孫市次第だ。が、雇われ戦う立場である以上、各地を転々とすることが多い。

その途中で立ち寄った先で、賊に襲われていた乙女を助けたのが孫市だった。その時の事を孫市は良く覚えている。

乙女は父親と共に行商人として渡り歩いていた。賊は金品だけ狙うのならば、まだ良かった。乙女の父は、彼女の目の前で無惨にも殺された。糸が切れた人形のように地面に崩れた彼女は、それから感情を顕にすることはほとんど無くなった。

だから孫市は、彼女が笑っていた姿を、一度も見たことがないのだ。「笑い方が分からない」のだと、彼女は言った。乙女が笑っていた頃の話は孫市には想像が付かない。元からそのような感情など存在しなかったかのように思えるのだった。

あと少しでも、早く助けに行くことが出来ていれば。孫市は今も悔やんでいる。

彼女には帰る場所がない。孫市はせめてもの情けとして、彼女を「弟子」という形にして雑賀衆に迎え入れた。

乙女を連れて帰れば、「また女を連れてきた」と仲間は孫市を揶揄した。孫市の女好きは周知の事実だ。孫市が否定すると、仲間達は珍しいものを見るような目で二人を見た。それほどまでに孫市が口説いたわけでもない女を連れてくるのは稀なことだったのだ。

乙女のことなど、無理に連れて帰る必要はないはすだ。孫市もそう思わないこともなかった。が、乙女を見ると故郷、紀州に住む子ども達ののことを孫市は思い出すのだった。

紀州の子どもには、孫市自らが銃の扱い方を教えている。自分の手で戦う手段を持たない子どもは戦に巻き込まれたならば、為す術はない。乙女も、故郷の子どもと同じだと孫市は感じた。傭兵となって使い捨ての兵として生きろと言いたいわけでは無い。ただこの世の中では、戦い続けねばならないのだ。故郷を、自分を守るためには、戦う術が必要なのだ。故郷がない乙女を守ることが出来るのは、己の体のみだ。

乙女が一人で生きることが出来るまで。……そして、出来れば、失った笑顔を取り戻すまで。それまでは面倒を見ようと孫市は思ったのだった。彼女を雑賀衆の御神体として、または寵姫として扱うつもりはさらさらない。孫市にとって彼女の存在は異質だ。だが、不快なものではなかった。

「……孫市」

一人で生きる手段の為と言っても、目の前で父親を殺された彼女に人殺しの方法を教えるのは、酷かもしれなかった。

しかし、乙女は銃を見つめながら初めて孫市の名を呼ぶ。

「私も、孫市のように戦いたい」

彼女がどういった意図でそう言ったのかまでは分からない。だが、無理に知る必要も、彼女が話す必要も無いだろうと孫市は思う。それに躊躇なく大の大人を呼び捨てするほどの臆面の無さがあるならば、きっと大丈夫なはずだ。

「ああ……いいぜ」

そう言って孫市は乙女の頭をくしゃくしゃと撫でた。彼女は抵抗せずにそれを享受する。笑うわけでも、涙を流すわけでもない。ただ一言、「父も良く、同じことをした」と呟いた。

悲しかったら、泣いてもいいんだぜ。孫市は心の中でその言葉を留めた。父親の死は、彼女から悲しみすらも奪ったのかもしれない。だからこそ銃を扱おうとすることにも躊躇しないということなのか。

早く笑って暮らせる世の中になればいいものだと孫市は思いながら、乙女を名実ともに弟子として扱うことを決めた。


それから数年の月日が経ち、今に至る。

相変わらず乙女は笑わない。涙を流している姿も、少なくとも孫市は見たことがなかった。初めて出会った頃は長かった髪は、もうずっと短く切り揃えられている。遠目から見れば、美少年と言っても差し支えがないほどだ。

乙女の銃の腕前は、孫市も認めるものまでに成長していた。どこにその才能があったのかは分からない。天賦の才かもしれないし、変わってしまった彼女の性格が銃を扱うことに執着させたのかもしれなかった。事実、彼女はどんな時でも銃を手放さない。

孫市の命令にはそれがどんなものであっても従う。孫市もそれを知っていて、 乙女に指示を下す。弟子というよりは、最早右腕、もしくは懐刀だった。乙女は孫市にしか従おうとはしない。命令を違えることも、彼のことを出し抜こうとはしない。ただ淡々と与えられた任務をこなすだけだった。

「明日も早いんだから、あんまり無茶はするなよ。この辺は寺だけじゃなくて空き家も多いから、お前も適当に休んだほうがいい」

当初孫市は乙女を一人にはしておけないと思ったのか、同じ部屋に寝泊まりすることもあった。しかし、流石に乙女と同じ部屋に寝るにしては彼女は成長し過ぎていた。こういう時、本当の父親ならどうするものなのかということを、孫市は知らない。知る必要などないと孫市は思っていたが、乙女のことを思うと複雑になるものであった。

「孫市は」

「んー、俺は少しやりたいことがあってな。適当に休むから……心配するんじゃねえぞ、いいな」

孫市は乙女の頭をぽんと優しく叩いた。それを休みに行けとの合図ととったのか、乙女は孫市に背を向けて歩き出していく。

「どうやってこいつらから身を引くか……」

乙女を見送って、孫市は今後のことを考え出した。金だけで雇われてやるほど、甘い存在じゃない。そうは言っても生きる上で必要なのは金だ。そう思って雇われたのはいいが、どうも舐められている気がしてならない。嫌な予感はある。しかし、決定打が足りないのだ。

「おい、あんた。一緒に居る女はあんたの飼い犬かい」

「あ?」

嫌な予感は、やはり間違いではなかったらしい。孫市はそう思いながら話しかけて来た男を睨む。

「おお、怖い怖い。御大将があんたに言うには、一緒に居る女を嫁にくれるならばあんたらが生活するほどの金は安泰だって……がはっ」

男が最後まで声に出すよりも前に、孫市は銃床で男の胸を殴る。

金は出すから、乙女を差し出せということか。孫市は怒りが湧いて出るのを感じた。腰を抜かし息を荒らげる男を放って孫市は陣地から離れる。

乙女の身に何か起こっていないかを一刻も早く確認しなければいけない。本当に乙女を手に入れたいのならば、どんな手を使ってでも彼女を大人しくさせるはずだ。

一人で寝床にありつけというのは、我ながら失策だった。孫市は足早に乙女を探しに行く。

「おいおい、そんなのありかよ」

見つけ出した乙女は、平然とした様子で立っていた。その周りには、倒れた男が二人。

「……孫市」

振り返った乙女は、息を切らしている。しかし傷一つ付いていないようだった。

「どこか怪我はしてねえか? ていうかこいつら死んでんのか」

乙女が無事であったことは、喜ばしい。だが孫市は複雑だった。

「怪我はない。……こっちの男は、銃で頭を殴ったから、気絶してるはず。……こっちは、短刀で刺したから、分からない」

乙女に人殺しの技術を教えているのは孫市だ。その力が発揮されていることは、喜ばしい結果のはずである。しかし、孫市は乙女が遠い所に行ってしまったような感覚を覚えた。

「そうか……こいつら、お前に何をしたんだ? 俺が命令しているわけでもないのに、殺そうとしたんだから、余程のことだろうが」

孫市が指示しなかったことを乙女が自発的に行うことはほとんどなかった。殺さなければいけないほど酷い仕打ちを受けたのだろうかと心配に思って、孫市は問う。雇い主が乙女を嫁に貰いたいと思っているらしいということもあり、気がかりであった。

「……私のことを、孫市の犬だと罵った。それだけじゃない。孫市のことも……金で動く汚い人間だと、侮辱した。それが……許せなかった」

孫市のことも。そうか、そういうことだったのか。孫市は乙女の頭を、弟子にしたあの日のようにくしゃくしゃと撫でた。

「ありがとな。……お前は確かに、俺の犬かもしれねえ」

彼女自身の意思で取った行動は、孫市の為だったのだ。孫市は笑みを零した。

「どうして」

先程乙女を犬だと蔑まれたことを孫市は棚に上げて、彼女のことを犬だと言う。だがそれは、彼らとは異なり彼女のことを称えるものだ。

「犬は犬でも、忠実で警戒心が強くて、勇敢な紀州の犬さ……俺の誇りだ」

乙女は、ただの犬じゃない。それは何よりも、孫市が知っているのだ。

「そう……私は、孫市の誇り……ふふ」

乙女が、初めて笑った。月明かりに照らされて、笑顔が輝く。

「そうだ。お前は俺の誇りだ」

笑う乙女を、美しいと心から孫市は思った。

乙女を弟子としたのは、彼女が自分で意思をし、生きる手段を手に入れるまで支えようと孫市が思ったからだ。

乙女は、自分の意思で戦うことが出来るまでに成長していた。

しかし、孫市は乙女を手放すなど今ではもう考えられないと思った。乙女をどこかの男の元に嫁がせるなど、考えるだけで悪寒が走る。

自分の意思で孫市から離れたいのだと言われたとしたら、どうしようか。

孫市は雇い主との関係をどうやって断ち切るかよりも先に、乙女との将来のことについて思いを馳せた。

乱世は続く。二人の旅路も、まだ続いているのだ。

(20240212)
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