かがり火よ、永遠に
関ヶ原は、西軍の敗北に終わった。

その報は人里離れた村で過ごす乙女の元にも届いた。否、届けられた、というのが正確である。

乙女は三成の遺した小姓の話を黙って聞き、静かに涙を流した。きっと三成は捕らえられ殺される。今この瞬間にそれが執行されている可能性も、否定は出来ない。

乙女は三成を想いながら、自らの境遇を呪った。戦場で死ぬことも、せめて敬愛した三成と共に処されることも叶わないのだ。

彼女は極めて無欲であったが、生きることに執着していた。生きるために、金を積まれればどんな戦いにも参加した。戦いの才は、あった。だから味方には女神と敬われ、敵には悪鬼と蔑まれる。そんな評判にも興味を持たずに、ただ武器を振るっていた。

そんな彼女の心境が変わり始めたのは、三成に出会ったことがきっかけだった。

「傭兵風情に、何ができるというのだ」

初めて会った三成は彼女に対し、面と向かってこう言った。後先のことを考えずに、思ったことをそのまま言ってしまう。不遜な人間というよりは、思ったことを素直に言った結果、それが不遜な態度や言動だった。そんな印象を乙女は受けた。

不思議と、不快感は感じない。むしろ、放っておけない。そんな感情が乙女に沸き起こった。

頭は良い。卓越した頭脳のほか、冷静であり忠実。ただ、言葉足らずで良く人に誤解され、衝突することも多い。そんな様子を見て、そんな三成の元で生涯を終えたいと思ったのだ。

武働きなら、私がやるから。そう言った乙女に対して少し不満げに、俺を舐めてもらっては困ると彼は言い張った。乙女は苦笑いする。無理をする必要はないのに。そう思いながら。

複数の戦場を乗り越える中で、次第に彼は乙女に対して態度を和らげていった。彼女の才を三成も認めたようだった。

戦場で乙女が怪我をすれば、いつものような平常心を失ってまで彼女に寄り添い、敵に向かって激高した。冷徹に見えるが、本当は熱い志を持っているのだ、三成は。その優しさを万人に見せることが出来れば、もっと彼は生きやすくなるだろうに。器用であり不器用でもある彼の本質を知る度に、乙女は彼と共に歩む覚悟を強くした。

素直に言いたいことを言って敵を作るのに、本当に自分が言いたいこと……仲間への感謝や喜びの気持ちは余程の事でないと言わない。だから誤解されてしまう。

しかし、そんな彼のその時々の表情全てがname#にとって宝のようなものだった。いつも唇を尖らしていると思えば、ふとした瞬間に頬を緩めて恥ずかしそうに笑う。

それを見る度に、この人に着いてきて良かったと乙女は思っていた。自分が傍に居てやりたいと、思っていた。

彼女を取り巻く状況が変わってしまっても、それは確固たるものだった。やがて天下は二分されるだろう。それでも、我らは戦わねばならない。

だが世相の変貌よりも、彼女自身にに襲いかかってきた悲劇が、全てを変えてしまった。

気づいた時には手遅れだった。戦場に立たなければいけない彼女の身を、病は容赦なく蝕んだ。
体全てではない。病は彼女から、視力だけを奪った。

「三成。私、あなたの顔ももうはっきりと分からない。戦えない私は、もうあなたと居る価値はないのかもしれない」

見舞いに来た三成は、どんな表情をしていたのか。それすら彼女にはもう分からなかった。

「乙女……お前は欠けてはならない……大切な存在だ。だから……そんなことを、言うな」

三成の声は震えていた。

泣いているのか。三成が。乙女は聞けなかった。聞くのは野暮だろうと思ったからだ。三成にとっては、乙女が全てではない。左近や吉継といった頼れる同士はまだ沢山居る。三成を放っておけないと思い、彼と共に最後まで歩もうとしている人間は、乙女だけではない。

だからこそ、三成が自分の為に時間を割いて見舞い、涙まで流しているのは驚きだったのだ。それと同時に、自分がまだ彼と居るに値する存在であることに安堵した。やはり、彼に着いてきて良かったのだ。乙女は改めてそう思う。

同時に、生きることに執着していた自分の小ささを恥だ、と思った。

どうせならば、自分の為に生きるより、三成の為に命を使いたい。戦場では約立たずだとしても、まだやれることはあるはずだ。生きている限りは。

「三成……ありがとう。私の命は、私だけじゃなく、あなたのものでもある。だから……」

どんな事でも、やり遂げるから。

三成が何を思ったのか。声に出さなければ、分からない。声に出さないから、衝突する。

それでも良いと思った。乙女は三成の命令ならば、何にでも従おうと覚悟を決めた。

「俺は、全ての人が笑って暮らせる世を再び築く。そこにはお前も居るということ、忘れるな」

乙女は微笑んだ。三成も笑ってくれただろうか。光を映さない瞳は、三成にどう映っていたのだろう。それを知ることはもう、二度とない。

そうして時は過ぎる。決戦は避けられないものになっていた。乙女は戦場に立つ、もののふだ。今までずっと、そうして生きてきたのだ。目が見えなくても、戦に赴きたいという気持ち、簡単には消えなかった。

それでも三成に負担を掛ける訳にはいかない。だがたった一度だけ、乙女は彼に願った。「決戦の地に立ちたい」 と。

病に体が侵されていたとしても、武士ならば己の体を戦闘に捧げたいと思うものなのかもしれない。実際に、今孔明と謳われた軍師も、陣中で死ぬのが本望として戦いの最中に旅立った。

だが乙女は軍師ではない。

武働きなら、任せて。彼女は自分がかつて三成に言った言葉を反芻した。武働きしか出来ないのだ。目が見えなければ、意味が無い。その程度のことが分からないほど、乙女は馬鹿ではなかった。

だからなのか。乙女は三成の言葉を受け入れることが出来た。彼は彼女の要求を呑むことはなかったのだ。ただ一言、「それは出来ぬ相談だ」 と彼は言うのみ。涙を見せて乙女を見舞った態度とは打って変わったものだった。

左近が「ちょっと冷たすぎやしませんかね」と言っているのが、乙女の耳にも入る。それほどまでに三成の声色は冷たいものだった。それでも乙女は三成を信じていた。自分を疎ましく思った訳ではないということを。自分を見捨てる訳ではないということを。きっと彼なりの考えがあるのだと。

それは、結果的に今乙女が隠居している理由に繋がるものだ。

三成はある夜、乙女を見舞いに供すら付けずにやって来た。彼女が願いを打ち明けてから、数日後のことだった。

三成が置かれている現在の立場は、命を狙われていてもおかしくない身である。それでも彼は一人で来ることを選んだ。乙女を思いやる気持ちがないならば、そのようなこと出来るはずもない。乙女は三成の誠実さに、心の底から感謝の意を表した。そして、やはり三成のあの態度にも何らかの理由があるものだったのだと確信した。

「お前は、どんな事でもやり遂げると言ったな」

意を決したような声色だった。彼は天下を二分する闘いに挑もうとしている。かつての天下人の遺志を継ぐために。

乙女は頷いた。三成が成そうとしていることに協力するためならば、もはや何でも良かった。

「理由は聞かずに……従ってくれ。お前を人の手の届かない所に送り届ける」

乙女は再び、頷いた。暗闇の中、無言のままに。三成はきっと、苦虫を噛み潰したような顔をしている事だろう。理由を聞かれたくないということは、何か後ろめたい理由があるという事だ。それでも乙女は文句の一つも言わなかった。彼の言葉に、ただ従うだけ。なぜなら、この命は三成の為にあるのだから。

「分かった。三成に従おう」

三成は小さく、ありがとう、と呟いた。邪な感情は伴わない、純粋な声色だった。

「俺は……必ず勝つ」


これが今生の別れになってしまうのか。

「乙女様……」

小姓は、何も喋らずに涙を流す乙女に寄り添う。三成に仕えていた彼も、この報に堪えていることだろう。自分がこうしてはいけないと思いながらも、乙女は拳を握りしめることしか出来なかった。

三成は何を思って自分をこの辺境へと送り届けたのか。なぜ三成は勝てなかったのだ。様々な疑問や悔しさ、怒りが混ぜこぜとなって彼女を襲う。それでも彼女には、どうすることも出来ない。酷くもどかしい夜だった。

意気消沈とは正にこのこと。三成の行方は依然として知れなかった。それでも腹は減る。乙女は目が見えないながらも器用に箸を持ち、食べ物を口に運ぶ。武器を振るうにしてもそれなりの才能が必要であるが、そう言った手先の器用さがこんな所に影響を及ぼしているのだと乙女は初めて知った。

知らないことばかりなのだ、世の中は。三成の思惑も、分からないまま。小姓達が乙女の知らぬ間に何をしているのかも。

それでも夜になれば眠くもなる。生きているとは、こういうことだ。三成は、どうしているのだろう。答えが出ないことばかりだ。

鬱屈とした毎日を送ること、どれくらいの日が過ぎたのか。

再び小姓は情報を乙女にもたらした。

三成は六条河原で斬首されたというものである。残っていた僅かな希望……生存の可能性すら、絶たれてしまった。終わりの見えない暗闇のように、乙女の心を黒く覆う。

「筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり」

三成はそう遺したらしい。三成ほどの男が、かがり火とともに消えゆく……つまり、死を受け入れたというのか。乙女は到底信じることが出来なかった。

敗北の知らせを聞いた時よりも、信じ難いと感じた。三成ならば死しても志を果たそうとするだろう。彼女にはそう思えてならなかった。

「かがり火を、灯して」

不思議と涙は零れなかった。その代わりに、小姓に言ったのは、かがり火を焚くこと。

「乙女様……」

小姓は何か言いたげだったが、すぐに準備に取り掛かるとして部屋を出た。

乙女の視界に映る闇は、もう炎を宿さない。それでも、かがり火を焚かなければいけない気がした。かがり火さえ消えなければ、三成の意思はまだ生きている。炎よ、燃えろ。乙女は願った。

「準備が、出来ました」

ありがとう。礼を言って乙女は、支えられながら部屋の外まで歩き、火が灯されるのを待つ。

暖かい。乙女は暗闇に囚われている。それでも、炎の温もりは明確に感じることが出来た。

炎は、こんなにも暖かいものだったのか。

「乙女様。あまり外に居られると体に障ります」

「いいの。お願い、もう少しだけ……」

秋の風が吹き、炎が揺らめいた。小姓が心配の言葉を掛けつつも、やる事があるのか乙女の元を離れた。それでも尚乙女はかがり火を見ていた。



眺め続け、ふと乙女が気づくと、そこにはただ炎が燃えているだけの光景が見えた。

夢でも見ているのだろうか。乙女は目を凝らす。炎が揺れる向こうに、人影が見えたのだ。

「三成……?」

人影は炎に紛れて、輪郭もはっきりとしない。だが乙女は確信した。あれは三成なのだ。

「三成!」

乙女は呼びかける。何度も何度も叫んだ。炎を通した三成の姿は、漠然としない。それでも名を呼び続けた。

「かがり火が消えない限り、あなたの意思は消えない」

乙女は絞り出すように声を発した。私、泣いているんだ。三成の死を聞いた時には流れなかった涙が、留めなく零れ落ちた。

「乙女……ありがとう」

はっ。三成の声が、乙女の耳に木霊する。あの日三成の頼みを聞き入れた時と同じ言葉を、彼は発した。

揺れる彼の姿は、こちらを振り向いていた。汚れひとつない戦装束を纏っている。その顔は僅かに微笑んでいた。

ああ、三成ってこんな顔をして笑っていたんだ。乙女の心にはそう刻まれた。目が見えなくなる瞬間に見えたのが彼の姿で良かった[V:8212][V:8212]


「乙女様……乙女様……」

声を掛けられると同時に肩を優しく叩かれ、乙女は目を覚ました。

「今宵は冷えます。そろそろお戻りになられたほうが」

小姓の言う通りだ。乙女は立ち上がり、未だ燃ゆるかがり火を後にした。

やはり、夢だったのだろうか。いや、夢に違いないのだ。目が見えない自分が炎を、ましてや三成の姿を見るなどありえないのだから。

「三成の、幻を見たの」

三成に仕えていた彼になら言ってもいいだろう。乙女は打ち明けた。小姓は彼女のことを疑わずに、ただただ頷いた。

「……三成様の志は、まだ生きているのですね」

小姓は言う。

「三成様はきっと、乙女様に真実を伝えられなかったことを悔やんでおられる。伝える時なのかもしれません」

乙女がこの地に送られた理由を。

乙女はただ一言、続けて、と言い話の続きを待った。

「この地は、三成様が治められている地。あの方は、この地の人々に慕われております。あの方は何があっても諦めない。それでも人ですから不安にもなります。もしものことがあった時、三成様がこの地に逃げ込めるように、そして私達や乙女様が少しでも平穏に過ごせるように、計らってくださったのです」

そうか、だからなのか。三成のことだから、必ず勝つと言う思いは真実だ。それでも、万が一の可能性を考えていた。それを悟られたくなかったのだ。そして乙女のことを思いやっていたということも。

肝心なところで素直になれない、三成らしい行動だと乙女は思った。

「三成……」

この身が露と共に消えゆくまで、三成の思いを継いでいこう。それがきっと、三成への餞となる。乙女は脳裏に浮かぶ、三成の幻を思い描いた。

かがり火は、未だ燃え盛っている。それは乙女の心の中にも、灯されていた。

(20240319)
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