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遅くにすまない。確認したいことがあった。起こしてしまっただろうか?
いえ。大丈夫です。どうされました?

金縁のソファーに座る団員服のエルヴィンは、初めて出会った時のことを思い出す。あの時は緑のマントに身を包んでいた。
幾らか疲れが見えていて、仕事終わりに来たのだとわかった。酒の匂いもしない。
…仕事なんてしたことがないから、その疲れに寄り添うことがうまくできなかった。ただ、ドアの近くにいたモーガンに目配せして、紅茶を淹れさせた。

彼と君は目配せだけで通じ合えるのだな。

退室したモーガンを目で送りながら、エルヴィンは言う。

彼は私が生まれた時からいましたから。親よりも私のことを知っています。
いい執事だ。
ええ。それで、急用とは?
ああ。婚約の件だが、私はあまりに配慮のかけた申し出をしてしまったことに気づいた。
配慮?
ああ…。

エルヴィンが言葉を切ると、モーガンが紅茶をトレイに乗せて持ってきた。疲労に効く紅茶と、生チョコレートが小皿に乗せてある。
エルヴィンはモーガンに礼を言った後に、席を外してもらうように頼んだ。
モーガンが退室した後、心細くなった。私は膝の上で拳を作りながら、エルヴィンを見る。

考えていなかったんだ。仮に、君が俺を夫として認め、仮に好意を抱いてくれたのならば、私はどれ程応えられるのか。逆に、私が君を愛してしまったら、君は私を愛せるのか。

私は君が結婚というものに否定的でいながらも、結婚を強要される立場であるから、私を隠れ蓑にして、夫を持ちながらも自由に生きてもらえればいいと考えていた。愛が芽生えるもいうことは、考えていなかったんだ。

愛せるのか?…エルヴィンの質問に頭がこんがらがった。私は、エルヴィンを愛しているとは言えない。そこまでお互いを知らない。でも、もし、愛し合えるのなら、嬉しいだろう。
…でも、聞けば、エルヴィンが私を愛せる自信がないように聞こえてしまった。私は悲しくなりながら、勇気を持って聞いてみる。

エルヴィンは、私を愛する自信がないの?
…それは、…わからない。
……。
正直にいうと、私は仕事に追われる毎日だ。今だってここに来られる時間はこんな時間だ。明日も朝7時には兵舎についていなければならない。それに、調査兵団である以上、死はつきものだ。いつ死ぬとも限らない。
だから…どっちなの!?
……。

歯切れの悪い答えについ感情的に問い詰める。そうすれば、いつも淡々と答える彼が、言葉に詰まって視線を落とした。
私はまた、ガッカリした。

そう。要は、エルヴィンを愛さないように結婚生活を送ればいいのね?
……どうした?大丈夫か?
お金だけ渡して、私は1人でここにいればいいんでしょ?
泣いているのか?

悔しい。切ない。虚しい。寂しい。ジワっとした、熱い目。歪む視界の中でエルヴィンは驚いていた。そして、顔を背けて立ち上がろうとしたら手を引かれて胸の中に閉じ込められていた。

…っ!?

もがいてみても、軍人らしく強い力で私を逃がさない。口紅が彼のシャツについてしまうのに、彼は厭わずに私を抱きしめている。

すまない。俺は、女性の扱いに慣れていない…君には失望されっぱなしだろう。幻滅されても仕方がないと思っている。君の本心もわからずに、身勝手な決断ばかりしてきた。
…エルヴィン、あなたモテないでしょ?
…そうだな。あまり記憶にない。
ばか。
ああ。俺は馬鹿だ。

そう、彼は変人だと思った。機械的に物事を決めて、それは最善の道なのに気持ちがなくて、どこか寂しく置いていかれた気持ちになる。万が一惚れた場合…なんて考えをしないで欲しかった。まるで惚れるわけがないと決めてかかっているようで、つらかった。惚れちゃダメなの?って噛み付きたくなる。

…エルヴィンに、惚れたら困るのなら破棄して。婚約なんて破棄して。すぐに。

私の涙声の後に返事はなかった。うまい言葉で逃げることもなく、どうすれば良いのか黙って考えている沈黙。私は目を閉じて待っていたら、一度彼の胸が大きく高鳴るのを聞いた。

俺は、いつ死ぬともわからない。目的のためならば、団員たちの命を捨てる覚悟もある。もちろん自分の命さえ。君を幸せにできる約束はできない。それでも、いいのなら、婚約は破棄しない。君ともできる限り向き合おう。
…エルヴィン?
だが、言っておくが女性の扱いはあまり慣れていない…。だから、君はまた幻滅することもあると思う。俺よりももっとマシな男がいると思う。それでもいいのか?

トクトクと、彼の少し早い脈拍が体に伝わる。私は彼を見上げてうなづいて、強気で言い返した。

女性の扱いを学びなさい。私相手に軽率な提案をした罰よ。

エルヴィンは、大きな目を丸くすると、顔をそらして、ハハッと笑った。
その、少し楽しそうな笑い声に涙が引っ込んで笑顔が浮かんだ。





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