#05 救い




 蔓延する霧の中、頼りにできるのはもう己の勘だけ。作戦会議で見た陣形を思い出しながら方向感覚を失わないよう意識を集中させて馬を走らせる。土がぬかるんでいるせいで全速力を出せないのがもどかしい。

 雨の匂いに混じって微かに鼻腔をくすぐる血の匂い。ここら辺、たしか次列二・運搬班がいるはず。

「全滅……」

 そこら中に転がる死体。巨人の食事跡だ。足跡はそのまま次列四・伝達班、つまりフラゴン班の方へと続いている。
 もしも右翼へ向かう途中、壊滅的な被害が見受けられた場合はエルヴィン班も追って支援に向かうとのことで、約束していた通りその合図である音響弾を打ち上げた。
 耳を塞いでも残るその残響に頭が痛くなる。果たしてこれは音のせいか、雨のせいか、それともーー。

「ナマエ……?」
「……リヴァイ。ここで何を、」

 そんなの愚問だ。きっとこの悪天候の中、エルヴィンさんが巨人に殺されてしまっては元も子もないからこの状況を利用してフラゴン班を離れてきたのだろう。でも今はそれどころじゃないんだよ。リヴァイ。
 私の視線の先にある同志たちの死体と大きな足跡を見てリヴァイも顔色を変えた。

「フラゴン班に合流する。あなたの目的は知っているけど、今はそれよりも大事なことがあるはず」
「……っ!」

 リヴァイは下唇を噛んで私から一秒遅れて馬を走らせた。



 ⌘ ⌘ ⌘



 みんな死んだ。私たちは必死に馬を走らせたけれど、誰一人として助けられなかった。目の前で寂しそうな瞳でリヴァイに片手を上げたファーランの顔が、目蓋の裏に焼き付いて離れない。転がったイザベルの頭、フラゴン分隊長の左脚、サイラムは底に傷がついたガスシリンダーしか遺してくれなかった。私たち訓練兵時代から五年もずっと一緒にいたのに、薄情だなぁ……。


 壁内に帰還しても夕飯なんて食べる気になれなくて、食堂に行かず屋上への階段を登った。
 フラゴン班に配属された当初はよくサイラムと二人してフラゴン分隊長にどやされて、愚痴を言いながらこの階段を登ったっけ。もう、彼と肩を並べて歩くことはできない現実を突きつけられた。

「…………リヴァイ」

 屋上で見つけた背中は、サイラムよりも少し小柄な彼のものだった。大切な家族を彼の手から奪ってしまった罪悪感は、一生、消えてはくれないだろう。

「ナマエか。夕飯はどうした」
「その言葉、そっくりそのままお返しする」
「…………」

 黙り込んだリヴァイの隣に、人二人は座れるであろう距離を開けて腰掛けた。
 そうだよね。家族を、仲間を失って呑気に食事を摂れるほど、私たちの心は廃れていない。壁の外でも地下街でも、仲間を失うことなんて初めてじゃないはずなのに。だけど今回ばかりは、失った人と過ごした時間がお互いに長すぎたみたいだ。

「…………ごめんなさい」

 独り言のように呟いた。リヴァイは身動ぎひとつせず、ただ何も言わずにそこに佇んでいる。

「私が、選択を間違えた。フラゴン班に残っていれば、誰か一人くらいは助けられたはず。代わりにサイラムがエルヴィン班に行っていれば、少なくともサイラムは、」
「俺だ」
「……え、」
「間違えたのは……俺だ」

 いつもより一トーン低いその声には悔しさが深く、深く滲んでいた。私たちを包むのは沈黙と、泣きたくなるくらい美しい星空。
 私たちが壁外調査を終えるのを待っていたかのように帰還するとすぐに止んだ雷雨はすっかり形を潜めて、晴れ渡った空に無数の星が広がっている。ここって無駄に眺めが良くて嫌になっちゃう。

 ーー私たちはお互い、同じ痛みを抱えてる。悔しくて、哀しくて、胸が張り裂けるみたいに痛い。自分たちのたったひとつの選択が大切な人の命を握り潰してしまったのだと、知っている。でも、それでも。

「…………どんなに後悔しても、失った人は戻らない。死んだ人はもう、帰ってこないのよね」
「ああ。クソみてえな世界だ」
「本当。クソみたい」

 彼に倣って呟いたその一言に、石像のように動きを止めていたリヴァイがゆっくりと私の方を向いた。

「おい。口が悪いぞ」

 いつも通りの顰め面。それがなんだかひどく温かくて、負けないくらいあつい雫が私の頬を伝った。
 情けない顔でリヴァイの方を見れば、その横にはイザベルとファーランが笑って座っているみたいに見えた。ふと、私の両隣にもよく知った気配を感じた。フラゴン分隊長と、サイラム……。

 リヴァイが立ち上がったのでそちらを見ると、そこにはもう、彼を慕っていたあの二人の姿はなかった。私の隣にも、誰もいない。そんなの当たり前か。

「行くぞ」
「行くぞって、どこに……?」
「飯だ。壁の中で餓死するなんて情けねえ真似はできねえだろ」

 差し出された手を握って、立ち上がる。彼の手は少し冷たかったけれど、確かに生きているその体温を簡単に手放すことはできなかった。

「……おねがい。もう少し、このまま」
「ああ」
「階段を降りて、廊下に出るまで……それまで、」
「ああ」
「リヴァイ」
「なんだ」

 ぎゅっと握り返してくれるその不器用な優しさに、私の心はなんとかその形を保った。

「ありがとう」

 うまく力の入らない顔で笑顔を作れば、リヴァイはいつにも増して不機嫌そうに、そして哀しそうに顔を歪めて、それから、強く私を抱きしめた。

「……そんな風に、笑うな」

 耳元で吐き出されたその声は少し掠れていた。





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