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「お、信介ー!」

 文化祭の準備で騒がしい校舎内でもよく通る声で俺を呼んだのはアランだった。その隣にはみょうじさんの姿もあって、二人の手にはホームセンターのロゴが入った大きなビニール袋が二つずつぶら下げられている。買い出しの帰りか。と納得してみょうじさんへと視線を向けると、彼女は目が合った瞬間にピクッと肩を揺らして視線を泳がせた。

「えっと、私は先に、」
「みょうじさんのクラスはボーリングなんやって?」

 先に戻る。と言われてしまわないうちに"みょうじさんの"と強調して言葉を被せると、みょうじさんはきゅっと真一文字に結んだ唇をもだつかせた。なんやその顔、かわええ。

「せやねん!結構ええ感じやで。どデカいピンも作ってん。なあ、みょうじ」
「あ、うん。いい感じ……」
「北のクラスはどうや?」
「もう終わったで。簡単な演劇やし、俺は裏方やから。運ぶん手伝うで」
「えっ、へいき、」

 みょうじさんの両手からビニール袋を奪って、自分の手へと移った重みに思わず顔を顰める。これ、女の子が持つには重いやろ。ただでさえみょうじさんは指大事にせなあかんのに。

「信介に甘えとき!お前が持つって聞かんから持たせとったけど、ほんまハラハラして敵わんかったわ……」
「だって、教室に残っててもペンキ塗り以外させてもらえないし、買い出しくらいちゃんとやりたかったんだもん」
「そらそうやろ!みょうじの手は世界の十本指やぞ!」
「絶妙にださい……」

 ああ、そういうことか。俺が心配せずとも、どうやらアランも他のクラスメイトたちも、みんなみょうじさんの手を気遣って文化祭準備をしているらしくて安心した。みょうじさんはアランのネーミングセンスに若干不服そうやけど、みょうじさんのピアノが聴けへんくなんのは嫌やし、なにより、みょうじさんをあんなしあわせそうな笑顔にするのはピアノしかないやろうから。

 そのまま二人と一緒に二組まで歩いて荷物を届けると、俺は誇張なしに二組の全員からありがとうと感謝されて、途中まで荷物を持っていたとバレたみょうじさんと持たせてしまったアランは「なにしとんねん!」と女子に囲まれて怒られていた。暑い中買い出し行ったのに災難やなあ。と思いながらもアラン曰く"世界の十本指"を大事にしなかったことに関しては自業自得やと思ったので助け舟は出してやらなかった。

「みょうじさん、ちょお、こっち」

 説教が落ち着いた頃合いを見計らって右手でみょうじさんを呼び寄せると、さっき俺を前にして逃げようとしたことは忘れたのか、不思議そうな顔をしながらも大人しくこちらに寄ってきた。警戒心が強いのか弱いのか……。こっちの方が俺的には都合ええんやけど、誰にでもホイホイついてってまいそうで恐ろしいわ。

「手出して」
「片手?両手?」
「どっちでもええよ」

 気にするところそこなん?とおかしくて小さく笑うと、みょうじさんはちょっぴり拗ねたように唇を尖らせながらも両手のひらを差し出した。今日も今日とて、かわいいを撒き散らしとるなぁ。無自覚に振り撒かれる愛嬌とそれにどっぷりハマっている自分に内心呆れながら、ジャージのポケットから取り出したアーモンドチョコレートの箱をみょうじさんの手の上にそっと置いた。大事な手やから、努めてやさしく。

「遅くなってもうたけど、手伝いと演奏のお礼や」
「えっ!そんな、いいのに」
「世界の十本指ひとり占めして何も払わんのは、なあ?」
「大袈裟な……でもこれ好き。もらっていいの?」
「おん。みょうじさんだけのために買うたから」

 初めて演奏を聴かせてもらった日、みょうじさんが持参していたのと同じお菓子だ。好きなのかと聞いたら「お菓子の中で一番好き!」と眩しい笑顔を向けられたことを思い出す。ほんの一週間ちょっと前の出来事なのに、まだみょうじさんへの恋心を自覚していなかったあの日は随分と昔のことのように思える。それは、みょうじさんが好きやと気づいてから、長年、代わり映えしなかった俺の反復・継続・丁寧の繰り返しの日々にみょうじさんという大きな存在が現れて、見える世界が大きく変わったからなんやろうな。

「……北くんってちょっと、やっぱり、チャラい」
「この間はそんな風に見えへんて言うてくれたやん」
「人の心は移りゆくものなのです」
「みょうじさんはいつから哲学者になったん?」
「北くんがチャラ男になった日から」
「それ返してもろてええ?」

 さっき渡したばかりのアーモンドチョコレートに向けて右手を差し出すと、みょうじさんは手に持っていた箱をパッと背後に隠してむん、と唇を丸めた。それがかわいくて図らずもふっ、と笑ってしまう。

「冗談や。一度あげたもんとったりせえへんよ」
「……北くんはチャラいしいじわる」
「そんなん言うんみょうじさんだけや」

 どちかというと、なんて言葉は必要ないくらい、硬派だとか堅物だとか、そういう言葉ばかりあてがわれてきた俺にそんなことを言うのは本当にどこを探してもみょうじさんしか居ないと思う。

 ぷくりと頬を膨らませるみょうじさんに満足して微笑んでいると、すす、と近寄ってきたアランがみょうじさんになにやら耳打ちをした。みょうじさんと同じクラスで仲がええってだけでも羨ましいのに、距離がちょっと近すぎるんとちゃうか。なんて、同じクラスでもなければ特別仲がいいのかもいまいちわからない俺には言う資格もないので黙り込む。

 アランに何を言われたのか「どうして?」と首を傾げるみょうじさんにアランは「ええからええから」と肩をパシパシ叩いて笑う。まったく、ほんまに、妬けてまうな。一人やきもきしているとみょうじさんは数秒悩んだ末に、北くん。と俺の名前を呼んだ。

「ん?」
「そない意地悪したらあかんやろ?」
「う……」

 記憶の中では生まれて初めてあげた唸り声にアランは至極ご満悦で、みょうじさんはびっくりした顔で固まったかと思えばフン、と口で言って得意げな顔をするものだから二連続で体力を削られて俺は右手を額に押し当てた。