「ねぇってば」
「…あ、何」
「全然聞いてねーな」
「ワリィ」


袖を強く引かれて漸くみょうじと目が合った。酷くげんなりした表情を見て我に返る。一体今まで何の話をしてたっけ。というか俺こいつと話してたっけ。それ以前にまず、


「ここ何処」
「あたしの家から10分くらい歩いたとこ」
「は?」
「とっくに通り過ぎてんですけどマイハウス」
「言えよ!」
「言ったわ!」
「聞こえるように言え!」
「いつもメガホン持っとけってことでオーケー?」
「すまんかった」
「最初っから言えよ」


少しだけ頭を下げて謝ると、軽い力でチョップが降ってきた。しかし店からここまで何を話していたか、というか自分が何を考えながら歩いてきたのか全く思い出せない。そんな中でもこいつの家までの道のりを間違うことなく来れたんだからそこは褒めてほしい。まぁ、通り過ぎたけど。


「疲れてんじゃないの?」
「いや、そうでもない」
「別に帰りは一人で平気だから、今度から真っ直ぐ帰んなよ」
「変な奴ついて来るじゃん」
「…ウン、マァネ」
「いーの、ちょっと今日は考え事してただけだから。気にすんな」
「ふぅん。そんならいーけど」


それじゃぁまた月曜日に、といつも通り小さく手を振るみょうじに同じように振り返して、帰路につく。なんだかなぁ。店を出てからはあいつと二人きりだったってのにずっと落ち着かなかった。チラついたのは佐々木よりも三沢の顔で、その度に胸がザワザワと波を打つ。なんだこれは。俺は三沢に恋でもしたのか。呆れるくらいに阿呆な考えに乾いた笑いをこぼす。気を紛らわすために開いた携帯は目に痛いほど鮮やかなページを映し出した。あぁ、アイスクリーム屋。寄ってくの忘れたな。


「花巻オース!」
「おー」
「うわっ、暗っ!」
「お前は朝から元気だねぇ」
「そりゃお前、土日で合計30時間も寝れば元気にもなるわ!」
「俺ら受験生だって分かってる?」
「そういうお前も同じくらい部活やってんじゃん」


確かに、と倉田の言葉に頷く他ないが、それはそれで癪だから腹を軽く一発殴っておいた。月曜の朝っぱらからこのテンションについていくのは正直面倒くさい。昨日はみょうじはバイトが休みだったらしく連絡は来なかったのだが、たったそれだけの事が俺の豊かな想像力を刺激してそれはそれは大変だった。幸い練習中は他のことを考える余裕などなく集中できていたけれど、着替えを終えてこの後は何を食べに行くかと及川たちと相談していたときにそれは突然訪れた。「みょうじちゃんのバイト先行っちゃう?」からかうつもりで言ったのであろう及川の台詞に返事をしようとして浮かんだのは土曜日の出来事。そういや三沢、あいつに勉強教えてもらってるとか言ってなかったか。それも毎週。俺がいたことで決行されなかったお勉強会が、もしかしたら今日行われているかもしれない。二人だけで。図書館で?どこかのファミレスで?ハンバーガーショップで?いや、中学からの付き合いだって言ってたし、もしかしたらどちらかの家でとかもありえるかもしれない。いずれにしろ何処であろうが楽しそうに笑う二人の絵は簡単に想像できてしまう。考えてみれば俺がみょうじとそれなりに話すようになったのなんて本当に最近だし、今日までの間に色んな表情のみょうじを見つけてきたけれど、その何倍、何十倍も一緒にいた三沢は同じだけ沢山のみょうじを見てきたことになるはずだ。俺しか知らないと思っていた顔も、実は何度も三沢は見ているかもしれないし、俺の知らないみょうじを三沢は知り尽くしているのかもしれない。そんなとりとめの無いことを思うともう飯どころではなくてさっさと家に帰って風呂に入って寝てやった。おかげで身体はいつも以上に元気だが精神的には絶不調だ。この何にも考えてなさそうな気の抜けた顔のクラスメイトが気に食わなくて、もう一回倉田の腹を殴った。「なんなの?!」と涙目で抗議してくる倉田には気持ちのこもっていないゴメンネを贈っといてやろう。


「そんで朝日奈はいつ彼氏と別れんの?」
「あんたホント最低だな。別れねぇよ」
「そういう小野寺はいつ彼女にフラれんの?」
「バカ!お前、バカ!みょうじイズ馬鹿!なんてこと言うんだ!」
「あんたのがバカじゃん」


相変わらずの騒がしさだ。席からじっとりとその人の輪へ目をやると、偶然にも、みょうじと目が合った。こんなことは初めてだ。予想外のことに身体が固まってしまって見つめ合う形になる。頼むから早く逸らしてくれと念を送れば、あろうことかみょうじはにこりと笑って見せた。お前、何してくれちゃってんの。完全にフリーズしてしまった俺を余所にみょうじはこっちに向かって歩いてくる。話に夢中になっている集団の中、三沢だけがその姿を目で追っていた。


「花巻おはよー」
「…はよ」
「なに、低血圧なの?」
「ご機嫌ナナメなの、今日のタカヒロくん」
「倉田なにしたの?」
「俺がなんかしたの前提かよ」
「だって…ねぇ」
「その顔ヤメロ」


蔑むような目を倉田に向けるみょうじを下から見る。お前、昨日何してたの。そんな何でもない会話さえ始められないくらい、その言葉には色んな意味が詰めこめられている気がして結局飲み込んだ。体調が悪いのか聞いてきたみょうじに小さく首を横に振って返すと、彼女は「ふぅん」と残してまたあの輪の中へ戻っていった。


「はーなーまーきー」
「なにー」
「バスケやる?」


昼休み、松川の向かいの席で携帯をいじる俺を呼ぶ声はみょうじのものだ。ゆっくり振り返ればみょうじはもうすぐそこにいて、やる?ともう一度言った。また三沢達とバスケか。こいつらも好きだな。昼休みくらい休めよ。


「今日はいーや」
「低血圧だもんね」
「ちげぇよ」
「まぁいいや、なんか知らないけど元気出せ」
「適当だなお前は」
「ホラ、糖分蓄えたら元気百倍かもよ」
「アンパンヒーローかよ」


花巻はシュークリームモンスターだから、どちらかと言えばアンパンヒーローの敵だね。訳の分からない設定を楽しそうに言ってから、手に持っていたらしい白いビニール袋を机に置いて教室を出て行った。これでも食っとけってことか。中身を取り出すと、松川が小さく吹き出した。


「何さっきの会話。狙ってた?」
「なワケないっしょ」


先程のやり取りを思い出しながら、「ミニあんドーナツ」と書かれたパッケージに目をやる。そこで漸く、今日初めてちゃんと笑えた気がした。


ネガ、
ティ・ヴヴヴ