「いやー、全部綺麗…」
「改めて見るとほんとすげーなぁ」
「どーしよ、どれから食べよう…食べるの勿体無い…」


テーブルに広がる夢のような光景に目を輝かせる。小さなカップに入ったケーキやオシャレなシャンパングラスに入っているムース、ショートケーキひとつにしたって生クリームがほんのりピンクに色づいていたりして、さすがホテルのデザートブッフェだけあると感心していた。それぞれをじっくりと見定めて手を伸ばすもすぐに引っ込めて、小さく呻くみょうじは未だ最初のケーキを選べずにいるらしい。


「あ、花巻どれか食べたいのある?」
「ん、いーよ。お前が先に選びな」
「い、いいの、今日は花巻が主役だから!」
「なんの?」
「えーと…た、たんじょうび、」
「俺1月だけど」
「細かいことはいんだよ!主役は花巻!」
「意味分かんないけどじゃぁコレ食う」


良く分からないが主役に任命されているらしいので、みょうじが一番最初に手を伸ばした小さな円柱型のケーキを手にとった。チョコレートのスポンジの間には濃いピンクのクリームが挟まっていて、天辺にはブルーベリーとラズベリーが二つずつと、三日月型の薄いチョコレートがあしらわれている。俺の皿に場所を移すそのケーキから視線を外さないところをみると、未練はあるらしい。しかし吹っ切れたのか、迷っていたもうひとつの方をとり自身の皿へ置いた。不思議なもので、さっきまでは何とも思わなかったのに、彼女の手元に置かれた途端にその正方形の白とベージュのケーキが物凄く美味しそうに見えてくる。俺がそっちにすればよかった、なんて。彼女が俺のケーキを恨めしそうに見ていた理由が分かった気がする。


「いただきます!」
「いただきます」


丁寧に手を合わせてから、銀色に光るピカピカのフォークを手に取った。味の想像がつかない目の前のケーキの端っこをほんの少しフォークに乗せ、口元へ持っていく。食いつく前にチラリとみょうじを見れば、同じように銀色を口の前で静止させて俺を見ていた。声にはださないが、せーの、のタイミングで同時に口の中へ運ぶ。数回租借して、再び俺達は見つめ合い視線で感動を送りあったのだった。


「こいつはやばいな」
「やばいしか言えないのが悔しいほどにやばいな」
「お前のそれ何」
「ミルクティークリームのホワイトチョコケーキ」
「くれ」
「なんだと」
「俺それと迷ってたんだよ」
「絶対嘘じゃん、迷わずそのチョコのやつ取ったくせに!」
「これも一口やるから」
「よかろう」


自分の前に置いてあるケーキの皿を横に避け手を伸ばす。しかしみょうじはそんな俺の手なんて見えていないかのように、自然に、あまりにも自然にその白と薄茶のケーキをフォークに乗せ俺の顔の前に差しだした。何してんだお前は。一瞬怯むも、甘い香りに勝てるわけがなく誘われるがままに食らいついた。


「やばいでしょ」
「やべぇ」
「あたしあとでもっかいコレ食べよ」
「残ってっかな」
「……今取ってくる!」
「おい待て走るな転ぶぞ」
「子供じゃないから平気です!」
「いいから座れ、これ食うんじゃねーの?」
「食う」


勢いよく立ち上がったかと思えばすとんと大人しく座ったり、こいつはなんだか忙しいな。それほどまでにケーキが好きだとは。新たな発見だ。早くしろと言わんばかりに見つめてくるみょうじに急かされながら彼女と同じように、といっても俺の一口とこいつの一口には随分差があるようで、だいぶ豪快な一口分をみょうじに差し出した。女子はこういう時恥ずかしがって大口なんか開けないもんだと思っていたが、相手はなんと言ってもみょうじだ。難なくパクリとケーキを口でお迎えし、俺の手元を離れていく。もぐもぐと口を動かして飲み込んだあと零れた言葉はまたしても「やばい」の一言。さっきから俺達の語彙力は何処へ行ってしまったんだ。日本語は他にも喋れたはずなのに、ここへきてからはほんの数種類しか使っていないような気がする。主にやばいとか、やばいとか。


「俺次これー」
「あっ!ちょ、それあたしが食べようと思ってた!」
「いーじゃん、また一口やるって」
「だめ!それは全部食べたい!」
「はぁー?今日の主役俺なんだろ?」
「譲んのは最初だけだから!」
「うるせぇ、早いもん勝ちだ」
「よし分かった、勝負しろ」
「おう、かかって来い」
「問題です、佐々木の下の名前は何でしょーか」
「知るか」
「正解は拓海でしたー!はい、あたしの勝ち。お寄越し」
「じゃあ半分やるよ」
「半分…」
「いらないなら俺食うけど」
「負けたくせに!」
「何を言おうとケーキは俺の手中だからな」
「性格悪っ!」
「え、それ、あんな問題出したお前がいう?」
「仕方ないから半分でガマンしてやるよ」
「何様だ」
「ハリアップ」
「…ハイハイ」
「いただきまー、」


フォークの先がみょうじの口に収まる寸前、す、と手を引いた。へぁ、なんてどっから出たのかマヌケな声がみょうじの口から転がり落ちる。こみ上げた笑いが鼻から空気となって抜けていった。それに気づいた彼女は眉間に深い皺を作って俺を睨む。全然怖くないのが残念なところだ。お前は本当にもう、俺のイタズラ心を擽るプロだな。そんな顔されて大人しく引き下がるとでも思っているのか。だとしたらそれは大きな大きな間違いだからよく覚えておいた方がいいぞ。あ、いや、忘れてくれるのが一番だけど。俺としてはね。


「んがー!!」
「…ぐふっ…」


数回、差し出しては引いてを繰り返し遊んでいたら、とうとうキレたみょうじが両手で俺の手首を掴んで固定し、漸くケーキにありついた。その必死な行動があまりにも面白くてツボに入った。ひぃひぃ言う俺とぷりぷり怒る彼女、そんな俺らを見ていたらしい周りの老夫婦やおば様方も小さく吹き出していた「仲が良いわねぇ」と目を細めて言うお婆さんにはさすがに恥ずかしくなり、二人揃って
気持ち悪いほどに照れながら何とも言えない返事をして、肩を窄めてなるべく小さくなりながら次のケーキにそれぞれ手を伸ばした。


「そういえばさぁ」
「んー」
「花巻って、下の名前なに?」
「お前超今更だな」
「佐々木に紹介するとき、そういえばなんだっけって思ったの今思い出した」
「タカヒロです」
「へー」
「リアクションうっす」
「カッコイーとか言うべき?」
「いや、いい」
「じゃぁいいじゃん」
「それもそうだ」
「あたしはみょうじなまえだよ」
「知ってるわ」
「まじ、知ってたの」
「佐々木がずっと言ってんじゃん。俺のなまえって」
「お前のじゃねぇ」
「俺に言うな」
「つかここに来てまで佐々木の話はいいよ!」
「それな」
「あたしら同じクラスの割になんにも知らないよね」
「おー。でもお前、俺に2年の途中からずっと彼女いないって知ってたじゃん」
「あー、それは周りの女子の話を聞いてたら勝手に入ってくる情報」
「なにそれ怖い」
「花巻クン、今彼女いないんだって!マジ?いっちゃいなよ〜!って可愛い子たちが話してるよ」
「女子ってそういう情報どっから仕入れてくんの。プライバシーって知ってる?」
「いいじゃん人気者。ひゅーひゅー」
「思ってねぇな」
「うん」


カラカラと笑いながらみょうじが言う。それをじっと見ながら、投げかける言葉をあれでもないこれでもないと頭の中で必死に探していた。訪れた折角のチャンスを逃してなるものかと聞きたいことを探すのだが、いざこういう時になると何にも思い浮かばないのだから俺の脳は完全にポンコツだ。好きな食べ物とか得意な教科、キライなものとかよく見るテレビ番組とか、もっと他愛ないことにすればよかったと後悔したときには既に遅くて、聞くまいと胸の奥底にしまったはずの言葉が飛び出していた。


「お前、日曜日なにしてたの」
「へ?」
「日曜」
「家でゴロゴロしてたけど。なんで?」
「三沢と勉強してたんかと思ってた」
「嫌だよ、折角のホリディに勉強なんか」
「でも毎週土曜にやってんだろ?」
「三沢があまりにもアホだからね。可哀相だからみてやってんの」
「へぇ」
「てか何で知って…あ、佐々木か」
「おー」


あくまで興味なさげに、を装っているがきちんとできているだろうか。日曜は三沢といたわけじゃない。それが分かると共に全身の力が抜けていき、思っていたよりも答えを聞くのに緊張していたらしいと気づく。耳に全神経を注いでいた為か手に持ったフォークはずっと皿の上のラズベリーを転がしていた。いらないならちょーだいよ、とすかさず飛んできた声に顔を上げれば、みょうじはみょうじでフォークにさしたオレンジを俺に向けていた。交換しろ、ってことか。


「オレンジ嫌いなの?」
「嫌いじゃないけど、ラズベリーに比べたら順位は落ちるね」
「ふぅん」
「花巻はラズベリー嫌い?」
「いや、今は気分じゃなかっただけ」
「ふーん」
「そういやお前って中学どこなの?」
「青葉台」
「松川と一緒じゃん」
「そういえばそうだったかも?」
「知らないのかよ」
「あんまり。うちの中学から青城来たの三沢くらいしか知らないからなー」
「ずっと一緒なんだっけ」
「そー。小学校から」
「及川と岩泉みてぇな」
「あんな名コンビじゃないけどね」
「あれらは異常だからな」
「あれら。言い方」
「いやだって、去年の文化祭、」
「あー!あれはスゴかった!スゴすぎてひいた!」
「だろ?」
「あ、あとさあとさ、体育祭のバスケも凄くなかった?」
「あの試合、今の1年にも語り継がれてる」
「まじか」
「うん。俺の後輩みんな知ってた」


握っている銀色は最早振り回されているだけで本来の役目を果たさずに、相槌に合わせてくるくると空を切るばかりだ。同じ校舎へ2年も通っているのに、クラスが違うとそれぞれが過ごしている学校生活というのは当たり前だが全く違っていて、まるで全然違う高校の話を聞いているようだった。いつの間にやらテーブルに置かれていた紫と薄黄色のシャーベットは従業員がお口直しにと持ってきてくれていたらしいが、そんな声は頭を通過するだけで記憶になんて残っていない。底の方はすでにとけて液体と化していた。


「あーあ。全然食べれなかったね」
「ほんとにな」


すっかり暗くなった道をゆるゆると歩く。結局話に夢中になってしまった俺達は二回目を取りに行くどころか、最初に持ってきたケーキたちすら食べきることなくホテルを後にした。席を立ったとき、シャーベットはジュースへと姿を変えていた。残念、とこぼすみょうじを見下ろしたけれど、顔はしっかり笑っていた。勿体無いことしたなと答える俺の顔もたぶん、同じような表情なんだと思う。電車を使えば10分もかからずに来た駅へ戻れるけれど、それをせずに歩いているのはきっとまだまだ話し足りなかったからだ。たっぷりと40分ほどかけていつもの駅へたどり着き、そこからさらにゆっくり時間をかけてみょうじの家まで向かった。いつだったか、こいつとなら話すことに困らなくて済むのにと思いながら赤井さんと帰っていたことを思い出す。あの十分なんかより、ここまでの1時間はずっと早い。


「いやー、よく歩いたね」
「ほんとだよ」
「疲れた?」
「運動部なめないでくれます?」
「そーでしたね」
「じゃ、また来週な」
「うん。あ、花巻、」


ポケットに両手を突っ込んで踵を返したところで呼び止められ、振り返る。俺を見上げるみょうじの髪が、右から吹いた風に流されて顔の下で揺れていた。


「今日、楽しかった?」
「あー、うん。結構、てか大分」
「そっか。ならよかった!」
「なに、急に」
「あんた月曜から元気なかったじゃん」
「…あぁ、まぁ」
「頑張るのもいいけど、ぱーっと気分転換するのもいいって店長が言ってた」
「店長に惚れそう」
「子持ちだし男だよ。諦めな」
「冗談に決まってんでしょ」
「本気だったらひくわ」


あーぁ。ありがとなって、割とマジメに言おうと思ってたのに。こいつはそういう空気を壊すのが得意らしい。あっという間にいつもの雰囲気になってしまって、そんな恥ずかしいことなんか言えなくなっちゃったじゃんかよ。くしゅんとみょうじのくせに可愛いくしゃみをしやがったから、さっさと家に入れと肩を押す。一度閉まった扉は再び申し訳程度にひらき、顔を半分出したみょうじから「気をつけて帰ってね」と言われてしまったから、今日のことを思い出しながら歩くのはやめて、夜道に気をつけながら帰らなければいけないらしい。しかしまぁ一人になってしまえばやっぱり考えてしまうわけで、何を話したかなんてことよりもころころ表情の変わるみょうじばっかり思い出していた。なんだ、俺はあいつの話を聞きながら顔しか見てなかったのか。道理で何を話したのか殆ど覚えていないわけだ。今は周りに誰もいないし暗いから、こみ上げた笑みは隠さずに唯一残っているみょうじの言葉を何度も何度も頭の中で転がした。あいつはオレンジよりラズベリーの方が好きらしい。


きみがくれた
金曜日