「花巻、弁当は?」
「あー、今日は購買」
「俺ら食堂行ってっから」
「おー」


欠伸をかみ殺しながら、教室の向こうの廊下から声をかけてきた松川に返事をした。このまま机に突っ伏して寝てしまいたい気もするが、腹は減っているのでそうもいかない。ぐ、と両手をあげて伸びをしてから、立ち上がり財布を尻ポケットにつっこんだ。松川たちは食堂か。あそこはいつも混雑しているからあまり行きたくはないが、かといって屋上で一人で食べるのは気が乗らない。なぜならあの赤井さんもよくそこで昼をとっているのを知っているからだ。しかし教室は教室で騒がしいし、どうしたものか。そんなことを考えながらのろのろと歩いているうちに、バーゲンセール会場さながらの購買部にたどり着いた。人の群がりから一歩はなれた位置で背伸びをして、陳列されている商品のラインナップを確認する。今日は珍しくメロンパンの在庫が多い。焼きそばパンは安定の売り切れ。まぁ俺は焼きそばパンよりも、そのふたつ隣にあるクロックムッシュの方が好きだから問題はない。腹にたまらないから、という理由でよく売れ残っているので特に焦る必要もないのだ。あとは適当に余っているものを買えばいいかと足のつま先の力を抜いていく。浮かせていた踵を半分ほどおろしたところで、見知った生徒が人波にのまれ溺れているのを見つけた。


「なにやってんの」
「お、あ、はなま、き」
「おわ、」


気づいたら戦場に特攻し、ガタイのいい男子生徒ふたりに挟まれもがいていたみょうじの右肩を引いていた。俺を見上げた目と目が合ったのは一瞬で、波に押された小さな体は簡単にバランスを崩し俺との距離をあっさりゼロにした。


「つ、つぶれる」
「一旦退くか」
「そうして」


前から後ろからぎゅうぎゅうと圧迫され相当苦しいのか、喉を潰したような声が懐から聞こえてくる。みょうじを腕の中に抱えたまま迫り来る生徒たちを掻き分け、戦線を離脱した。


「ボロボロだな」
「東京の満員電車のようだった」
「乗ったことあんの?」
「ないけど」
「ないのかよ」


群れを抜けたところで手の力を緩めてやると、よたよたと覚束ない足取りでみょうじが体から離れていく。散々もみくちゃにされた所為か、前髪があちこちにうねっていた。まさに、ボロボロだ。


「ブッフェの時の勢いはどこ置いてきたのお前」
「甘いものにしか発揮できないから」
「つかえないのな」
「ほっといてください」



乱れた髪を直しながら俺を睨みあげる。それから大きく息を吐き、もともと半袖のシャツをさらに捲り上げた。何をするつもりか、なんてのは愚問だ。たった今溺死寸前のところを救助されたばかりだというのに、こいつは果敢というか無謀というかとにかく頭が悪いんだと思う。大股で歩き出すみょうじの腕を掴んで引き戻すと、ものすごく怪訝な顔をされた。


「俺行ってくるから」
「えっ」
「その顔いますぐやめないとこのまま鼻とるけど」


せっかく買ってきてやると言っているのに、こいつは顔全体で見事なほど疑いを表現してくれた。失礼にもほどがあるだろ。人差し指と親指でみょうじの鼻をつまんで小さく左右に揺すると、眉をハの字にして「すみませんでした」と一言。その謝罪に免じて解放してやると、鼻はつままれた箇所だけが赤くなっていた。


「何がいいの」
「メロンパンとミルクティー」
「りょーかい」


少しだけ混雑は緩和されているとはいえ未だ戦場であることに変わりは無い。自分の図体のデカさを最大限に活かし前へ前へと歩みを進める。幸い、今最前列を陣取っているのはいずれも女子で、彼女たちの頭の上から腕を伸ばせばすぐに商品に手が届いた。しかし残念ながら俺が掴んでいるコレが一体何なのかは分からない。女子生徒からは「え〜、どれにしよう」とこの殺伐とした空間にいるとは思えないほど暢気な声があがった。


「意味が分からないです」
「これが何かも分からなくなったか。病院行く?」
「うるさいよ、病院いくのはあんただよ。なんなの、これ」
「これって、パン」
「私頼んだのメロンパン!これじゃない!」
「旨いからいーじゃん、ハムチーズサンド」
「あとなんでほうじ茶?!ミルクティーは?!」
「売り切れだった」



左右の人差し指と中指を広げて同時にボタンを押した結果がそれだったんだから仕方がない。恨むなら自動販売機を恨め。ちなみに俺はパックに入った葡萄ゼリーだ。一応ストローはついているものの、飲み物ですらない。なぜそれになったかというと、俺がいつも飲むカフェオレはパンが並ぶ棚の一番端においてあって、まぁやはりそれらも最前でまごついている女子たちのお陰で何も見えていなかったのだが、いつもそうだからといつもの場所に手を伸ばして、パックを掴み、おばちゃんに渡した結果こうなった。どうして今日に限って場所を変えたんだ、おばちゃん。何故そこにゼリーを置いたんだ。


「じゃぁゼリーの方がいいのかよ、ん?」
「ご愁傷様ざまぁみろ」
「折角買ってきてやったのに、可愛くないこというのはこの口ですかー?」
「そこ口じゃない!鼻!ってかやめてもげる!」
「もげろ」


先ほどと同様に鼻をはさみ、強く引っ張る。今度ばかりは抵抗を見せたみょうじの手が俺の腕を叩き落とした。数秒のにらみ合いの末、どちらともなく肩を落とし手にした今日の昼飯を見つめる。戦利品のパンは予定より1つ少ない。帰りのコンビニは必至になりそうだ。


「まぁ…とりあえず、ありがとう」
「おー」
「じゃ」


みょうじは踵を返して教室とは真逆の方へ歩きはじめる。三沢たちは3時間目の後の休み時間に早弁をして、昼休みになった途端体育館へ走っていったが、みょうじが向かっている方は彼らがいる方向とも違っている。彼女は一体どこで昼食をとるのだろう。いやまぁ、あいつが何処で食おうが関係ない話ではあるけれど、でも、気になってしまうんだから仕方がない。自身の気持ちに抗うことなく、振り返り細い手首を掴んだ。


「え、なに?」
「どこで飯食うの?」
「美術室、だけど…」


美術部でもないのに、美術室?俺の顔にそう書いてあったのか、「あそこいつも鍵開いてるし、誰もいないから静かでいいよ」とみょうじが答えてくれた。なるほど、美術室。そんな穴場があったとは。


「ひとり?」
「うん」
「…ふーん」
「…花巻も、行く?」


何故視線をを合わせないのか。俺の目はそんなに顔の左側には寄っていない。こっちに顔を向けて、よくその表情を見せてほしい。きっとお前はまた、俺の悪戯心を多いに擽る顔をしているはずだから。返答がないことに不安を感じたのか、みょうじがゆっくりと、伺うように下から俺を見上げた。あぁホラ、やっぱり。いじめてやりたくなる顔してる。


「俺と一緒がいいんでしょ?」
「……いーです、ひとりで行きますバーカバーカ」
「及川みたい」
「あんたも及川もバカ!」


一歩一歩に力を込めて歩いているからか、床がかすかに揺れる。バカはお前だし及川は完璧とばっちりだ。いきり立っている後ろ姿が面白い。早足なくせに俺が大股で数歩進めばあっという間に追いついてしまう。真っ赤な横顔が髪のカーテンから見え隠れしていた。


「足らん」
「うっそ、2つも食べたじゃん」
「3つで丁度いーの」
「よくそんな食べれんね」
「育ち盛りだから」


独特な匂いが充満していること意外は、美術室は中々に快適だった。日当たりはいいし、他の教室からも離れていて騒がしくも無い。美術部員が使っているのであろうイスの上のクッションを拝借している為、床での座り心地も問題ない。これで満腹になっていたら言うこと無しなのだが。さすがに小ぶりの菓子パン二つじゃ腹にはたまらない。気持ちは既に部活の後のコンビニに向いていた。


「それじゃぁこれを恵んであげよう」
「お前の昼じゃん」
「あたし育ち盛りじゃないから平気」


そんな俺を哀れに思ったのか、みょうじがサンドイッチを一つ差し出してきた。三角からあふれそうなほど詰め込まれているタマゴが俺を誘っている。ちらりとみょうじを盗み見る。食べるか、食べないか、どっちだ、と目がうろたえていた。無意識のうちに口角があがる。普通に受けとるのではつまらないんじゃないのか、ともうひとりの俺が笑って言った。


「じゃ、遠慮なく」
「はいドーゾ」


サンドイッチを持つみょうじの手に自身の手を重ね、そのまま口元へ運んだ。かぶりついた唇の両端に、ペースト状になった黄身がへばりついたのが分かる。それを舌で舐めとって、さらにもう一口。勢いあまって、みょうじの指の先を唇が掠めた。


「ひっ、」
「普通に美味い」
「ちょ、っと、待っ、あんた、何?!」
「何って、なに」
「い、いいから、離して早く!」
「分かった」


ガツガツと食いつくと、みょうじはなお一層慌てた声を出した。「そうじゃない!早く食べてってことじゃない!」と喚いているが、その間にサンドイッチは最後の一口になり、それも俺の口の中へと消えた。残ったのは何も持たないみょうじの手。これにも口をつけたらこいつはどうなるのだろうと一瞬考えたが、横でジタバタ暴れている姿を見て、それは勘弁してやろうと思った。そんなことしたらこいつは失神してしまうかもしれない。


「おーい、なまえチャン、こっち見てよ」
「絶対許さない」



彼女の白さを
責めてはならぬ