「マッキー、下にお客さんだよー」
「は、客?」


着替える手をピタリと止めて及川を見る。いつものあのニヤけた顔を向けてくるもんだからなんとなくだ誰か分かってしまった。スグ行く、とだけ答えていつもの倍のスピードで着替えて部室を出る。いやいや今何時だと思ってんの、もう20時半過ぎけど。自主練してること言ってなかったっけ。いやでも一緒に帰った日もこの時間まで待ってたしな。なんなのアイツほんとに。走り出しそうになる足をどうにか抑えて冷静を装う。いつもの通り行くんだ。決して嬉しい気持ちとかそういうのは見せるな。あくまで普通。いつもどおり部室であいつらとくだんねぇ話してぐだぐだしながら着替えて今出てきたんですよ感を出せ。どんなだよ!あぁもうマジで頭沸いてるとしか思えないよね、高嶋相手にこんなんなるとか誰が予想しましたか。高鳴る心臓をごまかすために口笛でも吹いてやろうかと唇をすぼめて空気を吸ったとき、階段の下に見えた影がゆらりと動いた。


「あっ」
「…あ、」


なんという展開。まさかすぎて中途半端に開いた口がめちゃくちゃマヌケと思う。


「あの、ごめんね、急に…」
「いや、別に平気だけど。どしたの?」
「えっと、その、一緒に帰りたいなって、思って…」


俯く顔がどんな色かは薄暗くて分からないけど、恐らくきっと100点満点の女子の顔をしているんだろう。目の前にいる赤井さんという娘はそういう娘だ。見た目も性格も俺の好みどんぴしゃだったんだから。


「あー…」
「ごめん、迷惑だったよね…!ごめんね、やっぱりいい!」
「や、いーよ。ってか、こんな暗い中一人で帰せないでしょ」
「…ありがとう」


なのに、ガッカリしているのは何故だ。こんな嫌な言い方しかできないのは何でだ。そんなの簡単だ、期待していた人物と違っていたから。そしてその人物は、みょうじだったのだろうから。


「最近、忙しいの?」
「んー、特に。前とあんま変わんないね」
「そ、そっか…」
「なんで?」
「…あんまり、ラインできてないから」
「あー、ゴメン。眠くて寝ちゃうんだよね」
「そう、だよね。疲れてるもんね」


何度目の沈黙か。俺はまったく問題ないが、というかむしろ疲れてるから喋るのも億劫だしありがたいんだけど、隣でそんな落ち込まれながら歩かれてもいい気はしない。トボトボ、なんて効果音がピッタリだ。空を見上げるふりをして頭の中で会話を探す。みょうじと帰ったときはこんなことしなくてすんだのに。


「赤井さんていつも帰りこの時間なの?」
「あ、うん」
「へぇ。一人?」
「ううん、普段は先輩か友達が駅まで一緒に来てくれるの。危ないからって」
「ふーん」


危ないから、ね。随分大切にされてんのね。まぁこのビジュアルだし、危ない目に合う確立もそこら辺の子よりは高いか。そーいやみょうじはいつもどーやってバイト先から帰ってんだろ。あいつチャリ通じゃなかったはずだし、学校終わってから仕事ある日は21時までって言ってたよな。一緒に帰ったとき思ったけど、駅から家まで意外と遠いしみょうじとは言え女子だからなぁ。気の迷いをおこしたやつがアブナイ道に走るかもしれない。


「ごめん、赤井さん。駅まででいい?」
「あ…うん、いいけど、用事?」
「うん」
「そっか。ありがとうね、我侭付き合ってくれて」
「いーよ。気をつけてな」
「うん、バイバイ」


無理やり笑ってるのなんて一瞬で分かったけど、そんなのを最後まで見送る時間すら惜しかった。時刻は21時を少し過ぎた頃。早くしないと、行き違いになる。地面を蹴って全力であの店がある方へ走った。


「おい離れろ、慣れなれしい!」
「えー、いーじゃんいーじゃん、俺となまえの仲だろ」
「あたしとアンタの仲だから離れろっつってんだよ」
「ヒドイ」
「ヤメロ、気持ちが悪い」
「なー、目ぇ覚ませよ、お前のこと幸せにできんのなんて俺だけだって」
「今現在絶賛不幸にさせてんのはどこのどいつですか」
「ツンデレか」
「デレたことねぇよアホか」
「またまた」
「あーもーマジめんどくさー!!おまわりさーーん!!」
「ちょっ、声デッカ!なに呼んでんの?!」
「呼ばれたくなかったら離れて歩けクソが!」
「はい、なまえの口からクソいただきました!」
「あんたそれでほんとに県内トップの高校通ってるやつなの?頭良すぎてバカになったの?天才となんとやらはどーのってやつなの?」
「違うけどそれでいいよ、なまえが可愛いから全部許す!」
「この会話全校放送で流してやりたい。そんで全校生徒から避けられればいいと思う」
「俺にはお前だけいればそれでいいよ…」
「こっち来んなボケ」



なんだよ、あれ。



「…まっつん、」
「言うな」
「花巻どーした」
「岩ちゃんんんん!!空気読んで!」
「あ?何がだよ」
「言っちまったもんはしょうがねぇよ。で、花巻まじでどうした」
「どうもしねぇよ」
「嘘だっ!もうその声のトーンが怖い!あと顔!あと雰囲気!なんかもう全部怖い!」


翌日、昼休み。教室では朝から相変わらずみょうじとその周りの奴らはうるさくて、でも今日はその賑やかさが勘に障ったから屋上で昼食を取る。どうもしねぇわけねぇじゃん、あんなん見たら。なんなの。なんであいつと一緒に帰ってんだよ。仮にも佐々木の前ではお前の彼氏は俺だろ、フザけんな。あー、イライラする。


「みょうじちゃんとなんかあった?」
「なんも」
「…花巻も意外と分かりやすいのな」
「なにが」
「ホラホラ、恋愛マスターの及川さんがアドバイスしたげるからさ。なんでも言ってみなよ」
「お前に教えられたらフラれる未来しか見えねぇな」
「一度も彼女できたことない岩ちゃんはシーッ」
「……」
「ああああああタンマッ、たん、ああああ」


こいつらマジで何しに来た。やめろ、今の俺にそのノリはストレスでしかない。爆発して発狂する前にどこかへ行ってくれ。


「みょうじなんて、とか思ってんだろ、お前」
「は」
「あいつのことなんか好きになるかよって」
「…」
「みょうじって考えるからダメなんだろ」
「他にどう考えろっての」
「アホで明るくて笑ったら可愛いただの女子って考えればいんじゃね」
「…お前、あいつのことそんな風に見てたの」
「違う?」
「……」



胡坐をかいた足に肘をついて、掌に顎を乗せた。どうなんだよ、と松川が目で訴えてくる。うるせぇな、間違ってねぇよ。

少年の唇は
嘘を語るのか