携帯越しにキス

「おい」
「…もうダメだ…」
「おーい」
「…死んでしまうぅ…」
「生きろ」
「……てつろー…きゅうせいしゅか…」


冬休みに入って早々に風邪を引いた。前に風邪ひいたのいつだったっけと考えてしまう程縁が無かったので、あぁこれが風邪だ!風邪ひくってこんな感じのことだ!と実感した感動を親に伝えたところ「馬鹿なこと言ってないでさっさと病院行け」と冷たくあしらわれたので大人しく病院へ行った。あんなに意気揚々と報告していた自分はどこへやら、歩いているうちに息切れはするし一歩一歩がとてつもなく重いしでもう目的地まで辿りつける気さえしない。あたしここで死ぬのかしらと電柱に手をついて休んでいたところを助けてくれたのは、通路を挟んでお隣に住む彼氏だった。


「なにしてんだよ」
「びょういんに、いこうとおもいまして」
「ふらっふらじゃねーか」
「なんかこうねつあったもんで」
「朝めちゃくちゃ元気に報告してきたよな、風邪ひいた!って」
「なめてた。まじで」
「お前は本当にアホだな。ほら、歩けるか?」
「がんばる」


多分ていうか絶対これから部活に行こうとしてるところなのに、こいつは主将だから遅れるわけにはいかないのにそんなの一言も言わずに彼はあたしの手を引いてゆっくり歩いてくれる。その上自分でしていたマフラーをあたしがしてるマフラーの上からさらに巻いてくれるという優しさを発揮。やめてくれ、惚れるから。いやもう惚れてるけどさらに惚れるから。


「ここまででいいよ」
「大丈夫か?」
「うん。うつしたらこまるから、それにこれいじょう、おくれられないでしょ」
「わかった。マフラーはそのまま巻いとけよ」


頭をぽんぽんと軽く撫でてから、あたしは院内へ、彼は部活へ向かっていった。すぅ、と鼻で息をしたらマフラーから鉄朗の匂いがして、体調の悪さが少し軽減したような気になった。間もなくして診察室へ呼ばれ、座ってすぐに綿棒を鼻に突っ込まれた。鉄朗に帰ってもらって本当良かった。こんな姿絶対見せられない。痛すぎて泣いた。


「あっ、インフルエンザですね。とっても綺麗に反応でてますよ〜」
「はぁ、そうですか…」


どこか楽しそうなのは何でだ先生。こちとら具合悪い上に鼻穴に綿棒入れられてダブルパンチくらってんのに。おぼつかない足で診察室を出たらそこには母親が立っていた。今朝は一人で行けるでしょと言っていたくせにどうして、と問いかける前に「鉄朗君から電話あったのよ」と答えてくれた母。あたしの彼氏まじでイケメン。


「インフルだって」
『まじか。そいつはやべぇな』
「ありがとうね、お母さんに連絡してくれて」
『んなのなんでもねーよ。つかもう寝てろ。切るぞ』
「ん。部活頑張ってね」
『おう。お前は暖かくしてろよ』


お礼を言わねばと最後の気力を振り絞って電話をしたら、ちょうど昼休憩だったらしくすぐに出てくれた。じゃぁな、と優しい声が聞こえてぷつりと切れた。普段なら鉄朗のこんな声聞いたらきゅんとしすぎてベッドの上を転がりまわる所だが残念なことに今のあたしにそんな力はない。とにかく体が重くて節々が痛い。布団にくるまり体を小さくして、ご飯も食べずに眠りにつく。途中、どうにも息苦しいわ寝苦しいわで目が覚めて熱を測ってみたら39度を超えていて、「あ、死ぬかも」と思った。そういえば去年インフルになった友達が「まじで辛いからホント。死ぬかと思った」と熱弁していたのを思い出す。大げさな、って鼻で笑ってごめん。確かにこれは死ぬかもしれない。横になってても体を起こしていても辛いんだからどうしようもない。終わった。なんであたしがこんな辛い目にあわなくちゃいけないんだ。何か神様の気に障ることでもしたのだろうか。もしそうだとするなら全力で謝るからどうか許してください、あたしまだ生きていたいのと懺悔をしているうちにどうやら寝てしまったらしく、次に目を開けたときには既に母親によりカーテンを開けられていて朝日が部屋に差し込んでいた。あぁ、無事に朝を迎えられました。コレほどまでに目覚めが嬉しかったことはない。


『どーだよ、体調は』
「うんまぁ、昨日よりいくらかマシ」
『だな。声に覇気が戻った」
「鉄朗もう学校?」
『おー。今校門とこ』
「そっか。今日も頑張ってね」
『はいはい。お前はちゃんと寝てろよ』


電話の向こう側から「黒尾さんはざーっす!」と元気な後輩の声がして、じゃぁまたなと彼は通話を切った。いいなぁ、皆元気で。たった一日寝込んだだけなのに既に病人という立場に飽きていた。布団からは出られないし、熱は下がったもののなんとなく体はだるいしその上一週間は外出禁止なんてふざけんな。冬休みだぞ。受験勉強しないといけないんだよ、寝てる暇はねぇんだよ。それに合宿でもないのに丸一日鉄朗の顔を見れないなんてどんな拷問だよ。窓のすぐ向こうに彼はいるというのに。苛立ちは募るばかりだが何を言っても仕方がない。ちゃんと寝ていろとの彼の言葉通り布団に入って再び目を閉じる。それから目を覚ましたのは12時過ぎ、彼からの着信が目覚ましだった。


『わり、寝てたか?』
「ん、へーき。起きてご飯食べないといけなかったから」
『どうなってっか心配でさ』
「そんなに心配性だったっけ?」
『いやお前、朝通りすがりで死にそうな彼女見つけてみろよ』
「…確かに。鉄朗がそんなだったら治るまで気が気じゃないわ」
『だろ』
『うへー、黒尾さん達って結構バカップルな感じなんッスね!』
「バカは余計だよリエーフくん」
『あっ名前さん聞こえてたんスか?』
「うん。君の声バカみたいにデカイから」
『バカは余計ッス!』
「まぁキミは後で鉄朗に可愛がってもらうといいよ」
『そういうわけだ、忙しくなるから切るぞ』
『エッ、ちょ、マジですか黒尾さん』
「頑張ってね」
『いやいやいや応援しないで止めてくださいよ名前さんっ!』
『ちゃんと休めよー。じゃぁな』


待っ、とリエーフ君の叫びが聞こえて切れた。そうかバカップルか。あたし達はそんな風に見られているのか。確かに知り合ってから10年以上、付き合ってから2年経つけどあたしは鉄朗が大好きだしいちいちキュンとするし事あるごとに友達に報告しては「幸せそうでなにより」との言葉を冷たい視線と共に送られている。言わないだけでみんなそんな風に思ってるんだろうか。鉄朗も鉄朗でマメに連絡してくれるし今もこうやって貴重な休憩時間に電話くれたりとか、帰りがいつもより遅くなりそうなときはあたしが心配しないように一言くれるし。大切に思っているし、彼もそう思ってくれていることがよく分かるから毎日幸せなのだ。バカップルではなくナイスカップルだと言って欲しい。昼食のおかゆを食べ終えて少し本を読んでからまた眠る。夢に鉄朗が出てきてめちゃくちゃ会いたくなった。今日も会えないで終わるのかなぁ。早く治らないかなぁ。段々浮上してくる意識の中でぼんやりそんなことを考える。ゆっくり瞼をあけたら部屋の中は真っ暗だった。結構寝ていたみたいだ。時刻は夜中の2時を回っていた。変な時間に起きちゃったな。眠気がどこかへ行ってしまわないうちにトイレ行ってもっかい寝よう。体を起こしてみたら思いのほか軽くて、足元のコードにひっかかって盛大にこけた。痛い。とても。床に置いてあったリモコンがお腹の下にあるからそこだけもっと痛い。忌まわしいそのお肉がボタンを押してしまったらしく、部屋の電気が最大の明るさを灯す。眩しくて目が痛い。やめて、これ以上痛めつけないで。もうトイレとかどうでもいいわ、大人しく寝よう。自分のマヌケさに腹を立てつつ電気を消してベッドへ入る。よいせ、と布団を被ったと同時に携帯が鳴った。誰だこんな時間に。迷惑なやつめ。覗き込めば鉄朗の文字。全然迷惑じゃないむしろ大歓迎愛してる。


「もしもし?」
『お前いま起きてた?』
「あー、うん。トイレ行こうと思ってやめた。よく分かったね」
『なんか目ぇ覚めてさ。そしたらお前の部屋電気ついたから』
「それね。こけてリモコンの上に落ちて点いただけだから」
『なにしてんだよ』
「本当にねぇ…」
『熱は?』
「寝る前図ったらもう37度まで下がってたよ」
『まだちょっとあんな』
「初日に比べたら天国だよ」
『確かに。あん時まじで焦った』
「あたしも死ぬかと思いました」
『…お前、ちょっとベッドから出れるか』
「出れるけど?」
『じゃぁ窓んとこ来い。こけんなよ』
「こけません」


のそりと這い出て言われたとおり窓へ向かった。そしたらカーテンの向こうが明るくなって、彼の部屋にも明かりが灯ったのだと分かる。窓の先の景色を遮るその布を横に流せば、約二日ぶりの鉄朗がこっちを見ていた。会えて嬉しいのと、こんな寝起きで顔も髪もぐしゃぐしゃなところ見られてしまったという恥ずかしさとで、上手く視線を合わせられない。


『よぉ。なんか久しぶりな』
「うん。合宿以外でこんなに顔あわせないの初めてだもんね」
『お前ホント風邪ひかねぇもんなぁ』


いつもなら窓を開けて喋るところだが、さすがに今はそれはせずに電話越しに話を始めた。なんだか変な感じだ。窓に手とおデコをつけたら「そんなに俺んとこに来たいか」と電話の向こうで笑われた。そうだ、悪いか。


「もうヤダ、風邪嫌だ」
『だろうな。誰も引きたくてひく奴はいねぇよ』
「あたしにウイルス寄越した奴只じゃおかねぇ」
『おっかねぇなお前』
「早く鉄朗と普通に会いたいよ」
『俺のこと大好きだな』
「当たり前じゃん」
『まぁ俺もだけどな』
「…知ってる」
『照れるなよ、こんだけ一緒にいて』
「うるさいな、明日早いんでしょ?寝なくていいの?」
『寝ないとだけど。も少しお前のこと見てたくて』
「……」
『ま、それよりも治すのが先だな。そーすりゃいつでも見れるし触れるし』
「…ん。明日には治すね」
『ぜひそうしてくれ。じゃぁ切るからな、この後もちゃんと寝ろよ』
「うん、鉄朗もね。ごめんね、こんな時間に」
『いんだよ、俺がしたかったんだから』
「じゃぁ、おやすみ」


そう言ったはいいものの名残惜しくて中々通話を切れずにいたあたしをみて、鉄朗はニヤリと笑う。何かをたくらんでるようなその笑みがいつもとは何だか違って見えて、格好よくて、胸が騒ぎ出す。それから「じゃぁまた明日な。おやすみ」と優しく囁いて、携帯を耳から放し口元に持っていく。あたしから逸らさない視線に釘付けになっていたら、スピーカーからちゅ、と可愛らしくも色っぽいリップノイズが届けられた。



携帯しにキス



(ねぇちょっと今のなに?格好良いことしないでよ、これ以上私をどうしたいの、体中暑くて心臓は落ち着かないしで寝れやしない)