同じ高さでキス

別にそこまで自分の身長を疎ましくなど思ってない。たとえばライブで比較的前の席が当たっても中々見えなかったりとか、たとえば満員電車でサラリーマンの背中と背中に挟まれて息もできなくなったりだとか、たとえば、図書室で取りたい本がとれなかったり、とか。もう一回言うが、私は私の身長を疎ましくなんて思ってない。本当だ。


「どれ読みたいんすか?」
「え?」
「取りますよ、俺」


まさか見られていたとは思わず、声をかけてきた男子生徒をぎこちなく見上げた。なんというか、デカイのレベルを超えている気がするのは私だけか。なんだこの巨人は。ぱちぱちと二度瞬きをしたところで、「どうかしました?」と言われて我に返った。そうだ、この人は親切にも本を取ってくれようとしているんだった。


「あの、真ん中の、分厚いやつ」
「これっすね」


精一杯飛んだところで指先すら掠りもしない位置にあったそれに、易々と手をかける。伸ばした腕は透き通るように白く、長く、しなやかで美しかった。まじまじと横顔をみつめる。切れ長な目の中心に光る瞳は、緑とも青ともいえない綺麗な色をしていた。格好いいとは、こういう人のことを言うのだろう。呆気なく恋に落ちる音がした。あぁ、なにもこんなベタな展開で心奪われなくたっていいじゃないか。もっとロマンチックでドラマチックな、


「あ、やべっ!」


声が聞こえたのと、頭に衝撃が走ったのとはどっちが先だったか。もはやそんなことどうだっていい。バサバサと大きな音をたてて本の雨が降る。それを全身に受けながら、私はただ立ち尽くしていた。ほんの数秒の出来事。シン、となった図書室で、最後の一冊が時間差で私の脳天に転がり落ちた。ロマンなど欠片もないが、これはこれである意味ドラマチックではなかろうか。とりあえず頭が痛い。



「名前先輩、帰りましょう!」
「うん。あ、図書室寄ってもいい?」
「いいっすよ!」


衝撃的な出会いを果たした私たちが、今はこうして恋人をやっているのだから人生とは何が起こるか分からない。あの後二人でせっせと本を片付けたのは、今じゃ良い思い出だ。


「リエーフ、どこ?」
「ここですー」


借りていた本を返し、姿が見えなくなった彼を呼ぶ。声のした方へ向かうと、そこは正に私たちの出会いの場所だった。あの時借りた分厚い本は、今も同じところに置かれていた。


「あの本ですよね」
「よく覚えてるね」
「あん時のことは俺すっげぇ覚えてますよ」
「へぇ」
「めちゃくちゃ綺麗な先輩いるなーと思って、ずっと見てましたから」


こいつはまた、そういうことを、そうやって簡単に言う。出会いも衝撃的なら、付き合うことになったのもそれはそれは衝撃的だった。本を浴びせられた翌日、私はこの男に告白され、そしてそれに頷き了承してしまったのだから。山本の後輩だということはその次の日に知った。ハーフだってことはその次の日に。一日一日、私たちは少しずつ、お互いを知っていった。放課後、一日の残りの時間を殆ど部活に費やす彼と会えるのはそんなに多くなかったが、毎晩寝る前に電話をくれたから寂しくなかった。むしろ疲れてるのだから、二日に一回、いや、三日に一回でいいよと言ったくらいだ。それでも律儀にかけてくるもんだから、そこにまた惚れたのは言うまでもない。


「照れちゃいました?」
「うっさい」


腰を折り曲げて、私と目線を合わせる。目の前に来た顔をぺちりと叩けば、いて、と全然痛くなさそうな声をあげた。それから手を繋いで、図書室を出る。いつも思うが、40センチ差の二人が手を繋いでいる姿は傍からはどう見えているのだろうか。同じ制服を着ているから辛うじてカップルだと分かるけれど、私服じゃ恐らく親子か兄妹にしか見えないはずだ。よくもまぁここまで育ったもんだ。下からの熱視線に気づいたらしいリエーフが、私を見下ろしてにこりと笑った。


「どしたんすか」
「いや、でっかいなと思って」
「名前先輩はちっさいっすね」
「リエーフに比べたら皆ちっさいでしょ」
「うん、まぁ」


再び前を向いた顔を、私は相変わらず見上げる。同じ街でも、彼の位置から見たのと私の位置から見るのとでは見え方が違うんだろうか。ここから40センチ高いところから見る世界は、私のみている世界とどう違うのか。空がもっと近く感じたり、光が反射している川を私より広く見渡せたりするんだろうか。


「げ、なにしてんですか先輩」
「いや、なんかちょうど良かったから」
「何がちょうどいいのか分かんないですけど」


帰り道、公園の周りを囲む石塀に飛び乗った。ほんの出来心。これで、いつもと違う景色が少しは拝めるかと思ったのだ。


「お、俺と身長同じくらいっすね」
「私のがちょっと高い」
「えー、そうですか?」
「うん」


ぐるりとあたりを見渡した。家、家、家、通り過ぎるトラックに、また家。だめだ、場所が悪い。特にこれといって惹かれる景色は見えない。もしかしたら、リエーフから見えているものも私と大して変わらないのかもしれないな。肩の力を抜いて、息を吐く。「先輩、
」いつもより近いところから呼ぶ声が聞こえて、隣に顔を向けた。視界いっぱいにうつる彼の目。陽が落ちて薄暗い外で、瞳のエメラルドが怪しく光った。


「なんか、見えました?」
「…リエーフしか、見えないけど」
「最高にいい景色じゃないっすか」



自分で言うな、馬鹿。




同じさでキス