甘いキス

「名前」
「わ、珍しい。ラインじゃなくて教室来るなんて」
「うん。今日放課後空いてる?」
「いつでも空いてますとも!」
「じゃぁ帰りちょっと付き合って」
「どこまでも!」
「ホームルーム終わったら待ってて。迎え行くから」
「わかったー!」


じゃぁ後でネー。普通の笑顔で普通に手を振って教室へ戻っていく研磨を見送るが、心の中ではジャンプしながらガッツポーズしているあたしがいる。部活部活ゲーム部活ゲームオンリーな研磨から約1ヶ月ぶりにデートのお誘いがありました。あたしら付き合ってんだよねって何回自問自答したか分からないけど、こういうときに彼女だって実感してとてつもなく幸せな気分になる。友達はそんなあたしに哀れな視線を送ってくるが気にしない。だって部活してる研磨もゲームに夢中な研磨もそれはそれで好きなのだ。文句など言うまい。


「ごめん、お待たせ」
「待ってない!全然!」
「…そう。ていうか、元気だね」
「逆に研磨はなんでそんなテンションなの?」
「俺はいつもこうだから」
「そうでしたね」
「行こう、時間無くなる」
「はーい」


友達にまた明日と告げてから教室を出る。ずっと携帯とにらめっこしながら歩いてたくせに、学校を出るとそれをポケットにしまってあたしの手を当たり前にさらっていく。
それから「今日さ、」とポツリポツリ話を始めてくれるのだ。笑ったりふざけたり、そういうことしながら歩いてる時間がたまらなく好き。今日は何処連れてってくれるんだろう。この前はペットショップでネコフェアやってたからそこに行ったんだよなぁ。その前はあたしがずっと行きたいって言ってたドーナツショップに付き合ってくれたし、なんだかんだ研磨だってあたしのことは考えてくれている。


「ねぇ、ここはなに?」
「え…なにって言われても」
「もっとあるじゃん、他にさぁ」
「だって、ここの店員昔から知ってるし」
「人見知りって不便だね」
「うるさい」


って思ってたはずなんだけどな!おかしいな、なんか違う。つーか全然違う。知らない細い道どんどん進んでいくなぁとは思っていたよ。それでもこの道を抜ければちょっと開けたところに出て綺麗な目の猫の人形とか大きい古い時計が置いてあって地下にはバイオリン作りに励む少年と本大好き少女がいる素敵なお店が!なんてところまでは期待してなかったけどなにかしらあるんだと思ってた。いやまぁ何かあるっちゃぁあるんだよ。今にも崩れ落ちそうなビルが。あちこちヒビだらけで山本が3人くらいぶつかってったらぶっ壊れるんじゃないかくらいのビルがあって、まさかそこに向かって研磨が歩き出すなんて思いも寄らなかった。こんな薄気味悪いところに放課後デートで行くとも思って無かったしね。割り増しでびっくりしたわ。


「何があるっていうのこのビルに」
「バレー用品店」
「5階までたどり着けないんじゃない、このエレベーター」
「大丈夫、だと思うよ」
「めっちゃくちゃ不安なんだけど」
「時々止まるから」
「大丈夫じゃないじゃん、何考えてんの?」
「さぁ」
「…めんどくさいって思ってんだろ」
「…」
「研磨って素直すぎるのがダメって言われない?」
「クロには」
「さすが分かってますね黒尾さん」


ウイ、ウイ、ウイーン。あたしの知ってるエレベーターのとは似ても似つかない音を立てながら、それはそれはゆっくりと上昇していく。これ実は手動なのではないだろうか。井戸から水をくみ上げるかのごとく誰かが下で引っ張っているのではないだろうか。小刻みに揺れるこの小さい箱はひどく頼りない。一応階数の表示はデジタル化していて現在位置を示してくれてはいるが、中々次の数字にはならない。固唾を飲んで見守るも、今はまだきっと2階と3階の間くらいだ。これ一眠りできるな。なんて油断したあたしを引き締めるかのごとく、床が大きく揺れた。ガガガ、ガゴン!恐ろしい音が聞こえた。


「…何?!」
「あー、止まった」
「は」
「大丈夫、そのうち動くから」
「ねぇねぇ、どうしてそんなに冷静なの?!」


体中から冷えた汗が噴出しているあたしより暢気に鞄からゲームを取り出す研磨の方が絶対に頭おかしいと思う。


「はっ、そうじゃんこんな時のためにあの電話のマークのボタンがあるんじゃん!」
「無理、通じないから」
「管理会社何やってんだよ!」
「何してんだろうね」
「職務怠慢だよ!訴えてやる!」
「落ち着きなよ。ちゃんと動きだすから」
「…どのくらい?」
「そのときによって違うけど」
「今までの最短で」
「5分」
「…聞きたくないけど最長は?]
「1時間だったかな」
「ハイ無理ー!!!どうしようこういうのって110番かな!?119番?!」
「知らない」


こいつ完全にやる気ねぇな。お前勝手にやってればって顔してやがる。いいよ何とかしてやるよ、その代わりあたしの迅速な対応により速やかに脱出できたあかつきには絶対奢らす。表参道にあるチョコレート専門のカフェ行って何時間も一緒に待たせてやるって圏外ィィィィ!!頑張れよスマホ!!上にかざしても下にかざしてもブンブン振り回してみても、虚しい二文字が消えることはなかった。代わりに画面ごと真っ暗になって消えた。ご臨終である。チーン。くっそー、仕方ない。ものすごく嫌だけど、隣の研磨に習って床に体育座りした。大人しく復帰を待つことにしよう。


「……」
「……」
「…このまま出られなかったらどうしよう…」
「いや、考えすぎだから」
「だってわかんないじゃん!こんないつ何が起きたっておかしくないオンボロエレベーターじゃぁさ…」
「店20時には閉まるし、そのときエレベーター動いてなかったらさすがに連絡してくれると思うけど」
「20時まであと何時間あると」
「いいからこっち来なよ」


あ、キュンてした今。なんなのその突然のデレ。そんなのであたしが機嫌直すとでも?元通りどころかテンション急上昇だよね、おんぼろ良くやった。ジ、とこっちを見てくる研磨からフイと視線を外してお尻を少し浮かせた。手を突いて右側に移動しようとしたとき、突然視界が真っ暗に。


「…」
「…」


思考停止。いまなにが起こりましたか?


「……ナニモミエナイ」
「省エネモードかな」
「ナニソレ」
「エレベーターって、一定の時間動かなかったら電気消えるでしょ」
「………停電?!??!」
「…もう何でもいいよ」


良くやったじゃねぇよ何だよ電気消えるとか聞いてないよ!?これじゃぁ暇な時間研磨の顔みて過ごすことすら出来ないジャン!さっき頑張りまくったおかげで携帯の電池切れてんだよライトつけられねぇんだよ!!ってゆーかあたし真っ暗なの怖いんだよぉ……!ふざけてる場合じゃないんです本当神様お願いします助けてくださいまだ死にたくないんです食べたいものいっぱいあるししたいこといっぱいあるしまだまだ研磨と一緒にいたいし試合いっぱいみたいんですお願いですから電気だけでもつけてくださいませんかァァァァ


「…怖いの?」
「コッ、ワクナイヨッ」
「……」
「ウソ、チョットダケネ」
「さっきから喋り方変」
「ジャァダマットク」


再び三角すわりをして、できるだけ小さく縮こまる。まだあたしが小学校低学年だった頃、既に中学高校へあがっていた兄ふたりが部屋を真っ暗にしてテレビを見ていたことがあった。まぁそんな面白そうな様子見て黙っていられるわけもなく、頑なにあたしを拒否する二人を泣きまねで黙らせ一番前を陣取って画面に食いついて数秒後にあたしは死を見ることになる。あの耳を突き破るような悪魔の叫びと画面いっぱいに映ったおぞましいゾンビたちは今でも身震いするほど恐ろしかった。まじで。なんてアホみたいな自業自得話はあたしん中じゃ永久にお蔵入りなわけだが、あれ以来真っ暗なところは苦手なのである。厄介な後遺症を残されたもんだ。今度から兄ちゃんたちの言うことは聞こう、と堅く誓ったような気がする。ってかいい加減早くつけよどうでもいい昔話思い出しちゃったわ。そろそろ本当に鬱になりそう助けて。神様神様と困ったときのなんとやらよろしく天に祈りを捧げるあたしの足に、生暖かい何かが触れた。


「いやあああなになになになに?!」
「俺だから」
「研磨かよぉ!?驚かせないでよバカ!バカ!馬鹿野郎だよお前はァ!」
「…」
「黙んないでよ怖いから!!」


ただ無言でひたすらペタペタと足を、ヒザを触ってくる研磨。段々と上にあがってくる手はそろそろアブナイ領域に到達するかもしれない。あたしまだその準備はできてないんですけど。その前に初体験こんなところなんて嫌です。もっと暖かくてふかふかなところがいいです。いやそんなの今はどうでもいい、この謎な行動はなんなの。


「ね、研磨…」
「…」
「なに、してるの、」


いつもみたいにガサツな言葉遣いで言ってしまえばよかったものを、何故こんなにも女の子らしいトーンになってしまったのか。おかげさまで非常に恥ずかしい空気満載である。なんだよコレ!太ももあたりに手が差し掛かったところで、足を抱えていた手首に研磨の手が移動した。ホッ。ひとまず安心。してる場合ではない。手首から肘、二の腕、肩。どんどん触れてくる手は首にさしかかり、思わずビクっと肩をすくめてしまった。触り方が優しいせいで少し擽ったい。片手だったのが両手になって、とうとう頬を包まれた。ふにふにとほっぺを移動する親指。それは何かを探しているようで、あちこち撫でるように動く。研磨の左手の親指が唇に触れると、あ、と小さく彼の声が聞こえた。


「見つけた」


くっと優しく顔を引き寄せられ、頬にサラリと髪が触れた。近くに体温も感じて研磨がすぐ隣にいることが分かる。傍まで来てくれたんだね。いつの間にか重ねられていた唇は確かに彼を感じさせてくれている。こんな時にこんな所で、あたしは今さっきまでの恐怖のことなんてすっかり忘れてキスに集中していた。足を抱えていた手を研磨の腕に回して、袖をぎゅうと掴んだ。徐々に体重をかけてくる彼に抗うことなく身体を倒していけば、あっという間に床に背中がついた。それでもなお止まらないキスに頭の中がふわふわ飛んでいく。ねぇもっと、もっと。暗闇でよかったって思えるくらい甘いの、もっとして。



でキス



「…けんま」
「怖くなくなった?」
「もう少しこのままだったらいいって思う」
「都合いいんだから」
「研磨もそうでしょ」
「まぁね」