愛しくてキス

死ぬほど腹が立ったのは、チャラついたやつらが口々に言う「あいつウザいキモい死ね」でも、無視したり聞こえるように悪口言ってクスクス笑う性悪女達でもなく、そんな彼女達の影に隠れて見えないように聞こえないようにをモットーとした女達にだった。


「でもさぁ、松川くんも松川くんだよね」
「あー、確かに」
「あんな子が良いなんてさ、ちょっと変わってる」
「見る目ないってゆーか」
「ねっ。松川くんもその程度の大したことない男ってことなんじゃん?」


空き教室からあははと笑う声がして、扉を開けたらこっちをみて#nam1#さんなんて何事もなかったみたいに笑いかけるそいつらを見たら頭が真っ白になって。やたら手がジンジンするなあって思ったけどあんまりよく事態を呑み込んでいないまま、5限目を前に先生から今日は帰れって言われて今教室に向かってる。予鈴が鳴る3分前、既にほとんどの生徒が席について各々の時間を過ごす中であたしは1人カバンを肩にかけた。


「…なにしてんの?」
「………帰る」
「え、なんで?」
「帰れって言われたから」
「顔こえーよ」
「さよならバイバイまた明日」


後ろの席の彼氏にそう告げて踵を返す。えー#nam1#帰んのかよーいーなーとか周りが騒ぐ中で、ぽっかり空いた席が3つ。あんな奴らの席なんざ消えて無くなってしまえと念を送って教室を出た。青すぎる空も眩しすぎる太陽も今はただただ不快だ。


「げ、あんたどーしたの」
「帰れって言われた」
「なんで」
「……殴った」
「はあ?誰を?なんで?」


家に帰るとまぁ当たり前だけどお母さんがいて、早速理由を聞かれたからそのまま答えた。怒るだろうか。悲しむだろうか。バツが悪くて目を合わせられずにいると、頭にぽんと暖かい手のひらが乗った。見上げると困ったように笑うお母さんがいた。


「ま、とにかく入んなさい。コーヒーあんたも飲むでしょ?」
「……うん」


予想外のその言葉にひどく安心して、恐らくこれから色々追及されるだろうことはわかっても頷かずにはいられなかった。制服も鞄もそのままに、リビングへ行きイスに腰掛ける。ふんわりコーヒーの良い匂いがする。目の前に置かれたそれから立ち昇る湯気をみつめていたら、それで?と話が再開した。


「誰殴ったの?」
「クラスの女子」
「あらまぁ。それまたなんで」
「ムカついたから」
「なにに?」
「……悪口」
「あんたの?」
「……………一静」


はて、と少し考えた後に、あぁあの子か、と思い出した様子のお母さん。しかしさすが親というか、何もかもお見通しみたいな質問のされ方に驚いた。そのあとも、なにを言われたのとか、それであんたはどう思ったのとか、とにかく色んなことをお母さんは上手にあたしから聞き出すもんだから素直に全部答えてしまって。お陰でいまちょっとだけ冷静になれて、ほんの少しだけ彼女達にも悪かったなと思い始めてきた。それから話が終わったのとコーヒーを飲み終わったのはほぼ同時で、落ち着いたらなんだかすごく疲れた。夕飯には起こしてあげるから寝てれば、とお母さんに言われておとなしく部屋へ戻った。あとで一静にラインしとこう。ちゃんと説明しなくちゃ。携帯を片手にベッドへ寝っ転がったが最後、着替えないまま眠りに落ちた。


「おい、起きろー」
「……んぅ」
「襲っちゃうぞー」
「……へんたい」
「じゃあクラスメイト平手打ちするやつは変人?」


ガバッ。勢い良く体を起こせばニタニタしながらあたしを見つめる一静がそこにいた。なんで、って、ああ今日月曜日でしたっけね。部活ないんですね。てゆーか何でそのこと知ってんの。


「さっきお前の母さんに会ったよ」
「えっ」
「学校来ててさ。鍵渡されて、不貞寝してるから行ってやってって言われた」
「……もう」
「あと、うちの子バカでごめんねってさ」
「………あ、そ」
「そんでそのあと指導室入ってったよ。先生に、見える傷つけた奴は怒られて、見えない傷つけた奴はお咎めなしですかって言ってんの聞こえた」
「なんてこった」
「お前の母さんカッケーな」
「うん、最強」


お母さんがあたしをあまり怒らなかった理由はきっとコレだ。殴ったことは良くなかったけど。なんだかジンときて泣きそうになった。く、と唇を噛んだあたしをみて眉を下げながら笑う一静が優しく撫でる。


「何やってんだよ」
「…だって、腹立ったから」
「何言われたわけ?お前、自分のこと言われたってなんてことねーみたいな顔してんじゃん」
「あたしのことじゃなくて、」
「じゃあ何」
「…大したことないって言ったから。あたしみたいのと付き合う一静が」
「なんだそれ」


うけんねって笑う一静に少しだけムカついた。あの子らの言う、あたしみたいな子と、ってのには同感だ。可愛げもない、優しくもなければ素直でもないこんなあたしを好きだっていう一静は本当にできた人だと思う。あたしをお姫様みたいに扱ってくれるのも、大事に大事に守って一緒にいてくれるのも、笑いかけてくれるのも彼だけだ。愛してやまないこの人を、何もわかっていない人に大したことないなんて言われたくない。


「バカだねお前は」
「……どーせバカですよ」
「うん。だから最高に可愛い」
「そんなこと言うの一静だけだよ」
「それでいいじゃん。他にも言う奴いたら俺が大変」
「なんで」
「全員再起不能にしないといけないから」
「…なにそれ。一静だってバカじゃん」


思わず笑ったらぎゅうと抱きしめられた。それが見たかったんだよ、って言いながら。大きな大きな胸に顔を寄せて背中に手を回した。少しずつ一静の体重がかかってきて、それに身を任せたらゆっくりベッドに背がついた。おでことおでこがくっついて、至近距離すぎてあんまり一静の顔が見えない。それでも、きっとあたしの大好きな笑顔でみつめてくれているんだろうなあってことは分かった。


「ありがとな」
「一静も、ありがと」
「なにが?」
「なんとなく」



しくてキス



「あらあらあらお邪魔したわね、ごめんね」
「「え」」
「なーんか静かだから起こしたら悪いなと思ってコッソリ開けたらこんな感じだったってゆーか」
「……スンマセン」
「いーのよぉ!責任とってくれりゃあね!夕飯出来たら呼ぶからごゆっくりー」


パタン。


「………」
「………」
「…お前の母さんカッケーな……」
「………うん、最強…」