ふわり、スカートと恋心

見たことのない服に囲まれて、なんだか居心地が悪いぞ。キラキラの店内、パステルカラーの洋服達、ふわふわで肌触りの良い生地。自分の服を買いに来た…というより、連れてこられた私は、綺麗にポーズを決めたマネキンと向かい合っていた。最近のマネキンには睫毛もついてチークまでついているのか。進化したもんだ。



「ちょっと、なにボーっとしてんの!」
「名前の洋服買いにきたんだよ〜?」
「いや頼んでないがな」



ぶんぶんと手の平を顔の前でふると、雪江もかおりも何事もなかったかのように再び棚に陳列されているトップスやらスカートやらを広げていた。そして彼女たちのお眼鏡にかなったものは、私の前に突き出され、再び審査をされる。うーん、と顔をしかめながら服と私を往復する視線。数十秒後に目が合えば、二次審査は無事に合格、晴れて最終審査へと進み決定権が私へと移る。決定権が、私に。それはつまり不合格を意味している。



「どう?」
「無理」
「ねぇー、これで何回目のNG?」
「そろそろ決めようよー」
「だったら店を変えようよ」
「「それは無理」」
「何故だ」



私も聞きたい、これは何回目の却下だろうか。そもそもこの店のテイストは私の好みじゃないし、というのもつまり私にここの服達は似合わないのだ。そんな中でどんなものを見せられようとも、絶対に首を縦にふることなどない。それを早く分かって欲しいのに、彼女らは聞く耳をもってくれない。お手上げだ。平行線上の戦いは終われない。



「この間雑誌みてたら、木兎がここの服かわいーなって言ってたんだよ」
「あいつもこーいうの着ればいいのにってね」
「理想と現実は違うものだよって教えてあげるから大丈夫」



間髪いれずに答えると、二人は顔を見合わせため息をついた。なんだが複雑な気分になる。頼んだ覚えはないし木兎の好みを取り入れようとも毛頭思わないが、彼女たちなりの気遣いを無下にしているという事実がちくちくと胸を刺した。全く、覚えておけよあの野郎。二人の前で余計なことは言うなと釘をさしておかなければ。



「……分かった」
「えっ」
「選んでくれる?着るから」
「ほんと!?」
「そのかわり、スカートだけだからね。あんまフワフワしてない、大人しめなやつ」
「やった!」
「任せといて!」



目を輝かせ、さっきよりも真剣に選びはじめる二人。瞬く間に、彼女らの両腕にはハンガーにかけられたスカートが並び、先ほどと同じように私とそれらを見比べ、戻してはまた手に取る、ということを繰り返していた。時折何か言葉を交わしている様子は部活中によく見る姿で、何もそこまで、と呆れつつも笑みがこぼれた。



「あら、出かけるの?」
「うん、まぁ」
「ふぅん」



部屋へ荒いあがった洋服をもってきてくれた母親が私を見て、上から下へゆっくりと視線を滑らせる。それからにやりと笑った彼女をシッシッと追いやって、もう一度、姿見に映る自分を眺めた。踵を数センチあげてみれば、膝より少し短い白いフレアスカートの裾が小さく揺れた。薄いブルーのデニムシャツの袖を緩く捲り、ボタンをもう二つ開けた。鎖骨の辺りに、ゆるりと巻いた髪の毛先があたる。化粧の仕方も雪江とかおりに仕込まれ、ずいぶんと甘めに仕上がっている。自分で言うのもなんだが、まるで違う人間のようだ。こんなの、只の女子じゃないか。いや女子だけれども、なんというか、私でもこんな風になれるのかと新鮮な、けれど見慣れない姿はしっくり来なくて、本当にこれで大丈夫かと複雑な気持ちだ。なんだか落ち着かない。やっぱりいつもの格好の方がいいのではないか。なんだそれ、と、笑われたらどうしようか。鏡の中の自分との睨み合いが続く。やっぱり、先月に買った白のスキニーにしよう。振り返りタンスの取手に指先が触れたと同時に、携帯が鳴った。彼の到着を知らせる電話だ。



「名前、木兎くん玄関にいるからね。早く降りてきな」
「…はーい」



電話に出、ちょっと待っててと伝えるも通話を終えてすぐに家のチャイムが鳴った。あいつは本当に人の話を聞かないな。階下から飛んできた母親の声に急かされる。もう、腹を括るしかないようだった。鏡で最終チェックをし、指先で前髪を直してからバッグを肩にかけた。ひとつひとつ階段を降りていくにしたがって、胸のざわつきが大きくなっていく。玄関に立つ彼のスニーカーの先が見えた。黒いパンツの裾も顔を覗かせている。あぁもう、どうせここまで来てしまっているんだ。いまさら何もできないのだから、さっさと降りてしまえ。大きく息を吸ってから、トントンと音を鳴らして軽快に階段を踏んでいった。



「おー、来、た…」
「………なに」



彼と真っ正面から向き合う。今朝の母親と同じように、木兎もまた、私の頭のてっぺんから足の先までをじっくりと見ていた。恥ずかしいから見ないでなんて言えない私は、精一杯の強がりで普段よりも幾分低い声で一言呟いた。未だ微動だにせず呆然としている木兎の肩を押して玄関の外へ追い出し、白のサンダルに足を入れた。



「ちょっ、そこ動くな!」
「は」
「そこでこっち向いて、立ってて!」



家の扉を閉め振り返ると、彼は私の両肩をがっしりと掴みそう言った。意味がわからない。が、そんなのは今に始まったことでもないので諦める。どうせ何を言ってもこいつには通じないのだ。言われたとおり真っすぐに立ったまま前を見据える。少し離れた所で腕を組んで仁王立ちし、木兎もまた私をじっと見ていた。これは一体なんなんだろうか。大きく空いている彼と私との間を、温い風が吹き抜けた。なんのつもりか。問い掛けようと開いた口を噤んだのは、木兎が大股で私に向かってきたからだ。



「なんなのあんた」
「お前すんげぇ可愛いな、今日!」
「…は」



にっかりと、とびっきりの笑顔でいう姿が目にチカチカする。ついでに頭の中では花火がパチパチ弾けるように細かい光がスパークしていた。眩しいのはこいつの上で輝く太陽の光か、それとも真っ白なTシャツか。どちらにせよ眩暈がしそうだ。Vネックの衿から伸びる筋肉質な首にぶら下がる黒のチョーカーに、「バレー部員の木兎光太郎」とはまた別の彼を感じさせられた。少し大人しくしてよ、心臓。木兎の声が聞こえない。とりあえず頷いたら、彼の大きな手が私の手首を掴んだ。それから引っ張られるようにして歩き出す。私はこれから、何処へ連れて行かれるのだろう。前日までは、ゲーセンはうるさいから嫌だし、だからといってショッピングなんてのは柄じゃないなどと色々考えていた癖に、今となっては何もかもどうでもいい。行動の全てを、私は木兎に委ねた。



「ここで降りるぞー」
「ん」



電車ではひとつ空いた席に座らせられ、木兎は私の目の前に立った。混み合っている車内で座ったまま背の高い彼と話すのは困難で、お互いずっと黙っていた。携帯の画面を見つめる木兎を仰ぎ見る。告白したのは半ば勢いだった。熱い視線を大学生達に送り、どんな場面でも本気で挑んでいる姿に心奪われたような気がしたのだ。そして今、家の前で言われたあの一をさっきから思い出しては恥ずかしくなったり、胸を高鳴らせたりしている自分がいる。それはつまり、……いや、やめよう、考えたくない。頭をぶんぶんと小さく振って、大人しく視線を下げた。それから少しして目的の駅に到着したらしく、彼が私に声をかける。手摺りを掴もうと出した手はあっさりと木兎に捕まった。立ち上がった体を人の波から守るように後ろから抱えこむこの男は、どこでこんなこと覚えて来たんだろう。完璧なエスコートは私の気持ちを確かなものへと変えていった。



「……ねぇ、ここって」
「お、気づいた?」
「た、ぶん」
「ほい、これチケットな」



手渡されたチケットをまじまじと見つめる。最近できたばかりの水族館の名前が印刷された、水色のチケット。二週間前、木兎と付き合うことになる二日前の話だ。午前練習のみで終わる日曜日、つまり今日に、雪江とかおりとこの水族館へ行く約束をした。しかし先週の月曜日に雪江から行けなくなったと連絡が入り、その翌々日にはかおりからもキャンセルの電話があった。二人ともそれぞれ彼氏との予定が入ったのだとか。それなら仕方ないと水族館は諦め、姉と買い物にでもでようかと思っていたところへ木兎から誘いがあったのだ。デートしようぜ!といつもの調子でいってくる木兎は、私がすぐ頷いたことに大層驚き、それから大袈裟なほど喜んでいた。そして、連れてこられた水族館。すべてが繋がったような気がして、私は溢れる幸福感で地に足が着いている感覚を失っていた。心も体も頭もふわふわしている。繋がれている手をぎゅ、と握りしめ、彼を見上げた。



「楽しみだな!」
「うん、楽しみ」



上手く作れているか分からない笑顔を返して、急げ、とふざけて走り出す彼に引っ張られるまま一緒に駆け出した。入場口の列に並びようやく入れた館内は想像以上に混み合っていて、とても魚達をゆっくり眺めていられそうにはない雰囲気だった。人に流されるようにして進み、時々立ち止まり水槽に手をつけて、水の中を泳ぐ熱帯魚や光がウロコに反射してキラキラしている小魚をみた。再び人の波が動き出す度にのまれそうになる私の手を、木兎はしっかりと握ってくれている。そうして30分ほどして、ようやく広い空間にでた。3つの分岐があり、それぞれ見られる魚が違っているらしい。どうするかと聞かれ、少し落ち着きたかった私は比較的空いていそうな、「夜の洞窟」とかかれているアーチを指差した。夜行性の海の生き物達がみれるらしい。真っ暗な空間でぼんやりと光る緑や紫や青のライトは幻想的で、どちらかというと大人向けだ。ガラスの向こうにいる生き物も、カニやウツボなど可愛いとは括れないもの達ばかりだからか、子供の姿は疎らでとても静かだった。訪れた開放感に思わず、ふうと息を吐いた。



「疲れた?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど」
「お前溺れそうだったもんな、人に」
「あんたみたいにデカくないからね」
「名前は小さいからなー。大変だよな」
「喧嘩売ってるなら買うけど?」
「なぁ、手出して!」
「もう少し人の話聞くようにしようか」



最後の私の言葉すら彼には届いていないらしい。両の掌を広げて私に向けているのを見て、自分がどうすべきなのかは瞬時に分かった。実行するのは大変気が引ける。けれどすぐに、繋がれていたときの感触だとか温もりだとかを思いだし、触れたいという欲求が沸き上がった。観念し、自身の手を彼のそれに合わせる。うわ、デカっ。デカいデカいとは思っていたけど、まさかこれ程までとは。私の指先はギリギリ、木兎の第一関節に届いていなかった。こうして見ると、私の指ってすごく細くて、頼りないなあ。ぼんやりと眺めたままでいると、ふいに、彼の手がほんの少しだけ斜めにずれた。それから私の指の間に入り込み、ぎゅう、と握りしめる。しっかりと力がこめられている両手は勢いよく引かれ、私と彼の距離が急激に縮んだ。前に流れた体を受け止めた木兎の体はこんなにガッシリしているのに、頬に添えられた右手と、合わされた唇はとても柔らかくて、温かい。



「初チューもーらい!」



いつも汗くさいくせに今日はなんか海みたいな爽やかな匂いがしたりとか、こういうこと平気でやっちゃうところとか、実は策士なのかただ天真爛漫なだけなのか分からないところとか、彼氏としての木兎光太郎は未知数すぎる。相手は余裕な顔して楽しそうに笑っているというのに、私はこうして毎度毎度、色んなことにいちいち顔を赤くしたり、呼吸が止まってしまいそうになったり鼓動を早めたりしないといけないんだろうか。とんだ男を好きになってしまったと、いまさら抜け出せない恋にハマってしまったことに頭を抱えたくなった。