vs.お姉様

「てつ、用意できた?」
「んー」
「何悩んでるの?」
「このジャケット変じゃねぇ?」
「全然、似合ってるよ。格好いい」
「んじゃ、これで行くかな」


鏡の前で浮かない顔をしていたのがバカみたいだ。何十センチも下にある笑顔を見ただけで突然変に見えなくなるのだから。さっさと聞いておけばよかった。見あげる頭を撫でてから部屋を出た。


「なんか、挨拶行く時より緊張すんな」
「あはは、なんで?」
「名前のお袋さんたちには前から何回か会ってたろ。だから慣れもあったっつーか」
「大丈夫だよ。お姉ちゃんすごく優しいから、てつも絶対好きになる!」


あっ、でも違う意味で好きになったら困るからあんまり褒めないでおくね、と照れながらいう姿がまた。なんだお前は天使か。そうじゃないなら他にしっくりくる言葉を教えてくれ。俺には分からん。俺が本気で恋して好きなのはお前だけだ。たとえ血の繋がる姉であろうとそんなことある訳がないのだ。


「何個離れてんだっけ?」
「4つ」
「俺とタメか」
「うん、だから仲良くなれると思うよ」
「だといーな」
「あたしも久しぶりに会うから楽しみー!」
「お前ホントに姉ちゃん好きな」
「もちろん!あんなに素敵なお姉ちゃんいないよ!」


助手席で楽しそうに話す名前の笑顔はいつになくユルユルだ。ここまで姉妹が仲いいのも珍しいと思うが、名前は根が優しくて家族想いな子だから当たり前といえば当たり前か。優しくて綺麗でカッコ可愛いお姉ちゃん、と自信満々に話していたっけ。恐らく姉は彼女の憧れの的なのだろう。緊張しているのも本当だけれど、そんな姉に会えるのが俺も楽しみなのも確かだ。カチカチ、と右にウインカーを出す。ココを曲がれば名前の家はすぐそこだ。


「いらっしゃい、てつくん!わざわざごめんなさいね」
「いえ、とんでもないです」
「お母さん、お姉ちゃんは?」
「あの子もさっき帰ってきたわよ。呼んでくるからリビング行ってて」
「はーい」


お互いの両親への挨拶も済ませ、婚姻届も出してあとは結婚式を待つだけの俺達がこうして名前の家に来たのは、ロンドンで仕事をしている彼女の姉が久しぶりに帰国し「可愛い妹の旦那を一目みたい」と言ったからだ。リビングのテーブルにはお土産がこれでもかと積み上げられている。すごいな、と名前と目で会話した直後、背後からドタドタと豪快な音と共に名前のお袋さんのと重なり合う彼女そっくりの声が聞こえてきた。


「もー!来るとき教えてって言ったのに!!」
「言ったわよ、10分前に!」
「それじゃ遅いの!」
「アンタそれどーする気?」
「どーするも何もあげんのよ!背ぇ高いってきーてたからさぁ、絶対うちの店のコート似合うと、」


リビングの扉が開く。スラリと伸びた足に、色素の薄い長い髪。顔は確かに、どことなく名前に似てる…気が、しなくも、ない、気が、するが、信じたくない。


「思って、買って…来た、の、よ…」
「…」
「…」
「…よォ」
「……」


バサリ。手に持っていた紺のコートが、目の前の彼女の足元に落ちた。なんだコレは、夢か。そうだと言ってくれ。誰か。


「いいいいいやああああああああ!!!?」
「っ、ちょっと、帆乃香?!」
「お姉ちゃん?!大丈夫っ?!」
「…ほのか……名字ほのか…」
「てつまで?!おーい、てつー!」


耳を劈くような声を聞いても現状が何も変わっていないところを見るとどうやら現実らしい。こんなことってあるかよ。


「なんで…なんで…!黒尾がこんなとこいんのよ?!」
「俺もお前に同じことを言いたい」
「嘘でしょ…?ちょっと待って…全然状況分かんない誰か説明して」
「挨拶に来ました、お義姉さん」
「ああああマジやめてっ!?鳥肌とかそんなレベルじゃないからっ!?やだ!!信じたくない!!!」
「なに、あんた達知り合いだったの?」
「「高校3年間同じクラス」」
「えっ!そうなの?!スゴイねっ!」


いやいやいやスゴイねってそんなに目ぇ輝かせていうところじゃないからね。考えてもみろよ。タメでも年上の女でも満足できなかった俺が本気になった4つ年下の結婚相手の姉が元クラスメートって。逆に今までなんでお互いバレずにいたのか謎だよ。


「この子がいっつも幸せそうに、背が高くて優しくて格好よくて最高に素敵な人とか言うからどんな完璧超人かと思って…楽しみに……してたのに…!」
「お、お姉ちゃん!?それ言っちゃやだって言ったよね?!」
「あ、つい。っつーかニヤけてんじゃねーよ黒尾この野郎」
「テツって呼んでよ、オネーサン」
「ぎゃあああああ寒気!悪寒!二度と口にすんな!!」


シッシッと手をやりながら名前を腕に抱えて俺から距離をとる名字、もとい俺の義姉。ちょっと待て、離れるのはいいが名前は置いていけ。お前の口汚さがうつったら困る。


「それで、学校でお姉ちゃんとてつはどんなだったの?」
「どんなって、別にフツーだったよ」
「フツーって?」
「時々会話するくらい」
「隣の席になったこととかないの?」
「あったあった。2,3回」
「へぇー!いいなぁお姉ちゃん!てつの高校時代知ってるんだぁ」
「…いいもんかよ……」


どんな奴を想像していたのかは知らないが、相当落ち込んでいるらしい名字はソファにうつぶせになって項垂れていた。その横で梨を頬張りながら高校時代の話をする俺と、それを楽しそうに聞く名前。そういえば、と思い出した話をしようと口を開く。


「2年の体育祭でな、」
「うんうん」
「……」
「クラス対抗リレーがあったんだけど」
「あああああああああ!!」
「ちょっと!帆乃香うるさい!びっくりするでしょ!」
「ヤメロその話したらマジでぶっ飛ばす!!!」
「なになにー?」
「話したいけど言ったら俺お前の姉ちゃんに殺されるらしいからやめとくわ」
「えっ、お姉ちゃんそんなことしないよ?」
「へぇ…?」
「…ぐっ……!!」


歯を食いしばり俺と名前に交互に向ける視線。観念したのかバタリと顔を伏せてしまった。「覚えてろよ黒尾テメェ」と呻いていたような気がするが忘れよう。


「こいつ、短パンにすりゃいいのになぜか長パンでな」
「うん」
「しかも当時の彼氏のを借りてたとかでゆるゆるで」
「いいなー彼ジャー!」
「そこかよ」
「憧れる!」
「俺の今度着てみる?」
「いいのっ?!」
「おー。いくらでも」
「やったー!」
「ちょっとー、ノロけてないで先聞かせなさいよ〜」


俺達だけだと思っていた空間には何故かお義母さんも参戦していた。キッチンからにやけた顔を覗かせて話の続きに耳を大きくしているようだ。


「あーまぁ、それでウエストゆるゆる裾ずるずるで全力疾走したもんだから、走ってる最中に裾踏んでずり落ちてな」
「えっ、ジャージが?!」
「そう」
「ぶっ」
「…おかーさんキライ」
「お姉ちゃん可哀相…」
「そう思うだろ?でもすげぇのはソコからなんだよ」
「なにやらかしたのよ、アンタ」
「うるさい」
「普通ならそのまま退場するところ、走りきってな」
「「え」」
「それも、ずり落ちたジャージ完全に脱いで観客に投げ渡して走り始めたから周りは爆笑やら唖然やらで」
「そりゃそーよねぇ」
「お姉ちゃん…」
「んで見事1位取って俺らのクラスは優勝したってゆー伝説を残した女なんだぞ、お前の姉ちゃんは」
「まさか自分の娘がパンイチで走ってたなんてねぇ」
「パンイチじゃないし。上は着てたし見せパン履いてたし」
「頑張ったんだね…お姉ちゃん…」


ガバリと勢い良く起き上がった名字にものすごくガンつけられた。これ、本当に俺の奥さんのお姉さん?血ぃ繋がってる?めっちゃ怖いんだけど。


「てつくん、悪いんだけどコレ物置に持っていくの手伝ってもらえない?」
「あ、いいですよ。俺全部持ちますよ」
「男の子ってホントいいわぁー。あ、足元気をつけてね」
「うす」


名字が二階へ逃走したのをキッカケに腰を上げると、お義母さんがダンボールを抱えてこちらに歩いてきていた。慌ててかけよって手から荷物を奪い取り、家の外にある物置へそれらを置く。その作業を3回繰り返したところで荷物がなくなった。リビングにいた名前もいつの間にかいなくなっている。和室を覗いてもいなかったのでトイレかなと思えば、「帆乃香の部屋じゃない」とお義母さんが教えてくれた。階段をあがるにつれて聞こえてくる声も近くなってくる。女子特有の高い声。この笑い声は名前だ。珍しいな、こんな爆笑してんの。なに話してんだ。いきなり入るわけにもいかないのでノックしようと手を扉に向ける。


「でー、コレが高3の時の」
「…えっ?!コレ、てつ?!」
「そー。ヤバイっしょ?」
「…コレはっ……ふっ、…」
「何がヤバイってさー、この日のためにスネ毛そってきたことだよねー」


ノックとかしてる場合じゃない。


「てめぇっ、何見せて…?!」
「ちょっとー、レディの部屋に勝手に入ってこないでくれるー?」
「あっ…てつ……、おつかれさま」
「なにして……あーっ!?卒アルじゃねぇかよ!?」
「湊がさぁー、てつの高校時代の姿どぉーしても見たいって言うからぁ」
「おいっ、名前?!何をみた?!」
「くふっ…、お…おっぱい……ぶふっ」
「マジで何見せてんだよ?!」
「高2ん時の女装コンテスト。あと、高3のチャイナカフェんときの黒尾」
「女装コンテスト…スゴかったよてつ」
「スゴかったとか言うなヤメロ!」
「こっちのチャイナとどっちがいー?」
「これも捨てがたい…!」
「なんの話だよ!?」
「結婚式で使ってあげよーと思って」
「本当にごめんなさい謝ります」
「この高3のチャイナカフェで黒尾がメイクにハマりそうって言ったのあたし一生忘れない」
「……あたしの、何か貸してあげようか?」
「やめてええええええ」
「でも、お姉ちゃんとてつ、仲良しだったんだね!」
「「どこが」」
「だって、写真結構一緒に写ってるよ?」
「「こいつが勝手に写りこんでくんだよ」」
「あはは、息ぴったり!」
「マネすんなよ」
「お前だろーが」
「大好きなふたりが仲良しなの、すごい嬉しい!幸せものだね、あたし!」



vs.お姉さま



「あっ、お母さんに渡すものあったんだ!ちょっと下行って来るね!」
「お、おう」
「行ってらっさい」
「…」
「…」
「…」
「…」
「…可愛すぎか…あたしの妹」
「天使だな、俺の嫁」
「あたしの、妹」
「俺の、嫁」
「あたしの」
「俺の」
「…」
「…」
「あたしの」
「俺の」
「…」
「…」
「泣かせたらコロス」
「泣かせません」
「不幸にしたら燃やす」
「幸せにします」
「言ったな」
「おう」
「誓えよ」
「任せろ」
「……むかつく」
「なんでだよ」