恋を始めてみようと思います

「そんならこれから好きになりゃいーだろがっ」
「…お、おう、受けて立つ」




立たねーよ馬鹿なの?




「……またあの夢」


許すまじ二口堅治。あたしの安眠を返せ。お前の、あんな、あんなわけわかんない挑戦のおかげでちっとも眠れやしねぇよコンチクショー。ガン、と鳴ってもいない目覚まし時計のボタンを押す。あたしは携帯のなまっちょろい電子音では起きれないのだ。そう、2週間前くらいまではそんな感じだった。しかしどうだ。今月に入ってからというもの、眠りにつく時間は変わらないのに目覚ましよりも早起きとは。つまり睡眠時間はぐんと減っているわけで、そろそろ精神的にも体力的にも赤信号だ。どうにかしなければ。でもどうやって。あたしが思うに、タイムマシンでも用意してあの日を無かったことにするより方法はないのではないかと考える。無理に決まってんだろ。



「やっぱり付き合ってたんだ、あの二人」
「え、でもあの時からなんじゃないの?」
「#nam1#さんが隠したがってだけなんでしょ?」
「あー、そういうことかぁ」



全くそういうことじゃないです勘弁してください。断るときに人の名前勝手に使ってやがっただけなんで全然付き合ってたりとかしてませんでしたあの日までは。そもそもあれだって了承するつもりなんて微塵もなかったんですけどなんであれ受けて立つとか言っちゃったんだろうね?売り言葉に買い言葉ってやつだね完全にね。いやだからほんと、堅治も多分そこまであたしのこと好いてるわけじゃぁないと思うのよ。ただなんかそんな雰囲気になっちまったしもうそれでいっかって思ってぶちかましちゃったのかなぁとかね、思うんですよ。その辺どう思います、奥さん?



「あはは、んなわけないだろー」
「茂庭さんそこは嘘でもそうだねって言うところだと思うんですけど、なんで止めさしにきたんですか?」
「いやあれは嘘でもそうだねって言えないでしょ」
「なんでですか。ていうか大体茂庭さんがわけわかんないこと言うから、堅治もそんな気がしてきちゃったんですよ責任とってください」
「それ、本気で言ってる?」
「あたしが二週間かけて導き出した結論に何か問題でも」
「問題しかないぞ、それ」



昼休み、駆け込み寺よろしく我等がキャプテン茂庭さんの胸に縋り付いたら何故か屋上へ連行された。引きずられるようにしてたどり着いたそこにどかりと腰を下ろしたところで、思いの丈をぶつけた次第だ。こういうとき茂庭さんは困ったように笑いながら、そうかそうかと話を聞いてくれ、最終的に頭を優しく撫でてくれるのだが、どうしてか今回にいたってはそうならなかった。困った笑顔はいつも通りなのに、両手はしっかり、胸の前で組まれている。



「なんだって言うんですか一体」
「いや、確かに引っ込みつかなくなったっていうのはあると思うけどさ」
「それしかないでしょうよ」
「でもお前さ、二口がああいうこと、軽い気持ちで言ったりしたりするやつだと思うの?」



そんなこと、百万回くらい考えました。でも考えれば考えるほど、ワケわかんなくなるんです。だってあいつは決して軽いやつなんかじゃない。興味ないことには確かにとことん適当だけど、いつだって自分の気持ちには真っすぐで正直だ。それは多分、この学校にいる誰よりもあたしが一番よくしってる。だけど、だからこそ、頭の中がぐちゃぐちゃになるんだ。堅治はあたしのことが好き。それは紛れも無い事実なのだと思う。でもそれは本当に、恋愛的な意味でなのか。あたしだってもちろん堅治のことは好きだけど、恋愛と友情と、一体どっちの好きなのかと言われりゃそりゃ友情の方でしょと即答する。そもそも恋愛的な好きってなんだ。どうなるのが、恋としての好きなんだ。あたしでも分からないのに、堅治にそれの区別がつくんだろうか。いや、大層失礼なことを思っているのは重々承知しているが、あたしが見てきた限り、あいつも恋愛に関しては初心者だ。もしかしたら勘違いしているってこともありうる。なんだ。なんなんだ。好きってなんだ。



「あー、なんか、余計困らせてる…?」
「気づいていただけましたか」
「ご、ごめん」
「許しませんから責任とって助けてください茂庭さん!!」
「いやいやいや、ちょっと、落ち、落ち着け…!」
「どう落ち着けってんですか!混乱もいいところですよ!人生こんなに難しくてたまるか!!」



二度ほど床を両手で叩いてから、屋上を飛び出した。あたしから泣きついておいて屋上に置いてけぼりとは、大変ナメた行為だということは十分理解している。だけどこれは茂庭さんが悪い。うん、そう。茂庭さんが悪いんだ。ふつふつと煮だっているような頭を抱えたまま午後の授業に突入したが、先生の声はあたしまで届いて来ない。ただ時間だけが過ぎていき、配られたプリントの解答も、あたしの悩みの答えも導き出されることはなかった。来月にはテストだって始まるのに、こんなでは赤点だって免れない。今回は範囲だって長いのに。あぁもうほんと、二口堅治許さない。



「名前ー」
「……堅治。何しにきた」
「英語の教科書借りに。貸せー」



5時間目が終わっていたらしい。後方の入口から声をかけられ意識が戻ってきた。振り向くと、今一番会いたくないやつが呑気に立っていた。無性にいらいらする。なんであんたはそんなに普通なんだ。こちとらお前のおかげで色んなことが目茶苦茶だっていうのに、なんで。教科書を掴む手に力が入る。渡すついでに文句の10個や20個言ってやろう。それでもまだ可愛い方だ。あたしのこの二週間の苦しみ、シカト受け取れこの野郎。



「あ、起きた。おはよう」
「……うん、おはよう」



条件反射のようなものだ。おはようと言われたら、おはようと返す。当たり前のことをしたまでなのだけれど、こんなにも違和感を感じるのはなんでだ。舞ちゃんがあたしの顔を覗き込む。やたらと白が目立つから、ここは保健室か。頭がボーっとする。ついでに痛い。あ、痛い。ついでじゃないくらい結構痛い。なんだこれ。ゆっくり体をお越し、痛む部分へ手をやった。そして後悔した。触らなきゃよかった。めちゃくちゃ痛い。



「なんか生え際めっちゃ痛いんですけど」
「あぁ、コブできてるからね。いまアイスノン持ってきてあげる」



コブ。何故、突如としてコブ。事態はいまだに何ものみこめていない。思いだそうにも痛みが邪魔をする。諦めよう。舞ちゃんからタオルに巻かれた冷たい塊を受け取り、宛がう。じ、と説明を求めるあたしの視線に気づいた舞ちゃんが、ベッド脇の椅子に腰掛けた。



「二口に教科書渡そうとしてたでしょ」
「…あー、うん、なんかそんなんだったかも」
「立ち上がった瞬間ふらついてさ、そのまま前のめりになっちゃって、机の角におデコぶつけたの」
「うわ、マヌケ」
「それから床に倒れ込んじゃったから、どうしようかと思っちゃった」
「え、あたしなんか病気かな」
「寝てるだけだったよ」
「それはそれでなんかアレだね」
「最近、寝てないんでしょ」



そうだった。ここのところ全然寝てないんだった。なんで寝てないんだっけ。…あぁ、そうだ。堅治の所為だ。段々と頭が覚醒していく。空っぽだった胸に、またモヤモヤが広がっていった。あたしはまた悩まなきゃいけないのか。だったら忘れたまんまの方がよかったのに。なんだかもう疲れた。全部投げ出してしまいたい。面倒なことは嫌いなんだ。



「……もう、別れる」
「え、なに、どうしたの急に」
「そもそも付き合うって何かわかんないし」
「まぁ、あんた達はそうかもね…」
「堅治は今までと全然変わらないし、なんで、あたしばっかりこんな考えなくちゃいけないの」
「名前?」
「もう嫌だ…こんなぐちゃぐちゃ、色んなこと考えるの……分かんないこと、ばっかし、もにわさんとか、もっとわけわかんなくしてくるし……!」
「よしよし、泣かない泣かない」



勝手に溢れてきた涙は止まらなくて、というか止めようとも思わなくて、ぼたぼたと頬から滑り落ち布団にシミを作っていった。あたしは多分、泣きたかったんだ。とっくにキャパオーバーしていたんだろう。舞ちゃんに背中を撫でられながら、もう嫌だ、別れる、を呪文のように繰り返して泣いた。



「落ち着いた?」
「……ん」
「とりあえず鼻かみなね」
「…ありがとう」



何枚目か分からないティッシュを箱から抜き取り、鼻に押し当てる。かみすぎて痛い。擦りつづけた目も痛い。腫れぼったいのが分かる。寝不足でただでさえ酷い顔だったっていうのに、今はもっと酷いんだろうなぁ。誰にも会いたくない。帰りたい。



「そんなに悩まなくていいんだよ、名前」
「…悩みたくて悩んでんじゃないよ」
「今は二口がどうとかじゃなくて、自分がどう思うかが大事」
「それが分からないからこうなってるんじゃん」
「そりゃ二週間ぽっちで分かるわけないでしょ」
「……」
「二口だって言ってたんでしょ?これから好きになればいいって」
「そう、だけど…」
「今は分からなくて当たり前なんだから、無理矢理答えだそうとしなくていいじゃん」
「でも、付き合うって、」
「そーいうのも後!今はとにかく、二口堅治って人間をよく見てあげて」
「……うぅ」
「それから別れたって遅くはないでしょ」
「……まぁ」
「十年以上一緒にいたんだし、名前なら前の二口と違うところなんてすぐ見つけられるよ」



そう言って、舞ちゃんが今日イチ優しい顔で笑った。なんだか娘と母親みたいだ。そんなこと言ったらこの顔があっという間に歪められるのを知ってるから言わないけど。ず、と鼻を啜る。薄いカーテンの奥で、保健室の扉が開く音がした。



「あ、来たかな」
「先生?」
「二口、こっちだよ」



なんだと。ここへ来てまた会いたくない奴ナンバーワンと顔を合わせるのか。しかもめちゃくちゃ泣いた後のこの顔で。生え際にコブまでできてる、この、顔で。布団へ潜り込む間もなく、カーテンの内側に巨体が入り込む。一瞬だけ視線をあたしに向け、すぐに舞ちゃんの方へ移す。部活がどうのこうの、何か話をしているらしいがあたしにはそれらを拾い上げる余裕はない。それじゃぁね。最後の舞ちゃんの声だけはしっかり聞こえ、頼りになる優しい背中が見えなくなった。



「……」
「……」



気まずい。大変気まずい。何を言えばいいんだ。教科書返せこの野郎、か。お前の所為でこんなんなっちゃっただろうが、か。どれも違う気がする。多分黙っているのが正解だ。今あたしに言える言葉はない。



「デコ、大丈夫か」
「あ、うん。痛いけど」
「ちょい見せて」
「あ、うん」



といあえず、額にあてていたアイスノンを下ろす。すっかり温くなったそれは、手の平の上でくたりとしていた。コブができている辺りの傍を、堅治が触れる。そっと、そっと、大きい手が優しく触れる。いつもは強烈なスパイクを止め、相手コートに打ち落とす強い手だ。それがこんなにも、繊細な所作ができるのか。下げていた視線を堅治に向けた。気づいた堅治も、あたしを見る。こんな至近距離でお互いをみたこと、今まであったっけ。吐いた息まで届いてしまいそうで、緊張する。



「なにぶっ倒れてんの」
「最近、寝てなかったから…」
「心臓止まるかと思ったわ」
「は、なんで」
「なんでって、心配だからに決まってんだろ。馬鹿か」
「はぁ?心配?あんたが?」
「他に誰がいんだよ」
「二年の時チャリに車ぶつかって来たときも、一年の時に指骨折した時も鼻で笑ってたくせに!」
「あ、あれだって死ぬほど心配だったっつーの!つかよく覚えてんな、余計なことばっか!」
「心配のしの字も聞きませんでしたけど?!」
「あの時は……!」



これまでの勢いはどこへやら、目に見えてしおしおと萎んでいく。だから、あん時は、と、誰に言っているんだか独り言のようにぼそぼそ呟く。あたしはと言えば既にいつも通りでいられている自分に驚いていた。やはりこれまで築いてきた形というのは簡単には変えられないのだ。安心しながらも、それでもどこかで不安が残っていた。堅治を、一人の男の子として見れる日は、来るだろうか。あたしは黙って、堅治の次の言葉を待った。



「あの時はまだ、好きって、言ってなかった、から」
「は?」
「お前のこと好きだって言ってなかったから!心配とか、なんかそーゆーの、堂々とできなかったんだよ!」



突然の告白、再び。あの日と違うのは、はっきりと目をみて言われたこと。それから、堅治の顔が真っ赤になってること。ガチリと固まってしまった体は、急激に熱をあげていた。



「でも、今は、一応、付き合ってるから」
「う、ん」
「堂々と心配したって、いいだろ」
「…うん」



彼はこんなに優しく話す人だっただろうか。こんな目をしてあたしを見つめる人だっただろうか。今目の前にいる人は、一体誰なんだろう。堅治だけど、あたしの知る堅治ではないみたいだ。そしてここにいるあたし自身も、いつものあたしではないようで。この人相手に、痛くなるほど胸を高鳴らすような人ではなかったはずだ。堅治の手が、あたしの両手を取った。大きい、暖かい、硬い、男の子の手だ。



「……やり直し、させろ」
「堅治、」



真剣な目から、視線を外せない。体の内側が騒がしくておかしくなりそうだ。顔だって熱い。お願いだから早くそっぽ向いて。悲しくなんかこれっぽっちもないのに、涙が出そうだ。




「お前のこと、好きだよ」