ただ、愛しいだけ

机の上に置きっぱなしにしてあるそれらしいラッピングが施された袋を見て、別に月曜日でも良いじゃないかと思った。既に誕生日は昨日終わっているし、一応おめでとうの言葉は伝えられた。しかし一度気になってしまったが最後、何をしていても落ち着かず、視線はチラチラと紙袋へ向けられてしまう。朝起きてからもお昼を食べ終わってからも宿題をしていても、30分に一度はそのことを考えていた。そうして15時を迎えた頃、私は休日なのにも関わらず制服に腕を通していた。今から家を出れば16時前には学校に着く。恐らく部活もそのくらいには終わるだろう。家を出る前にスクールバッグを開けて、中の袋を確認する。数秒見つめ、それから重い玄関の扉を押した。秋の風が吹き抜けてぶるりと体を震わす。カーディガンの袖を伸ばして手を隠し、肩を竦めながら足早に歩いた。



低い位置に陽が落ちて、校舎がやけに眩しく照らされている。土曜日のこの時間帯はさすがに人影も疎らで、部活を終えたらしい生徒の幾人かとすれ違う程度だった。校門へ向かって歩く彼らとは反対にどんどん奥へ進んでいく。しんと静まり返るグラウンドを抜けると、ほんの少し人の声が聞こえてきた。歩く速度を少しだけ落として体育館へと向かう。重なり合い飛び交う声と、ボールが床を跳ねる音や走る音なんかがどんどん近くなっていく。もういい加減肌寒い季節だっていうのに、体育館の戸は全開だった。静かに静かに歩み寄る。ゴクリと喉を鳴らして、そっと顔を覗かせた。



「声出せ声ー!」
「ナイスレシーブ!」
「ボーっとすんな!足動かせよー!」



あまりの迫力に思わず息をのんだ。試合は二度ほど観にいったことはあるけれど、距離はこんなに近くなかったし、声だってここまで聞こえなかった。当たり前だが部外者は立ち入り禁止のため練習を見るのはこれが初めてで。俺のカッコイイとこ見といてよ、といつもフザけて飄々としている彼の、こんなに大きく叫んでいる姿なんて想像もつかなかった。なんだ、結構ちゃんと、主将やってるんだ。プレーをしながらも下級生へとアドバイスしたり指示を出したり、なんだかんだ誰よりも声をだしている彼を見て何故だか胸が一杯になってしまった。この感情をなんと呼ぶのかは知らないが、彼への気持ちがむくむくと大きくなっていっていることだけは分かる。体育館に響く彼の声が嬉しくて、誇らしい。体育館の壁に背をつけその場にしゃがみこみながら、これをいつまでも聞いていたいと思った。抑えきれずにどうしてもにやけてしまう口元を隠すようにして鞄を抱きしめる。この中の彼への贈り物に、到底抱えきれないほど溢れる好きをすべてしまい込んでしまえたらいいのに。口で伝えるには何分、この気持ちは大きすぎる。ドクドクと血の巡りがよくなって心臓の動きが活発になっていくのに耐えられなくて、立ち上がり急いで校門へ向かった。早く会いたい。いつもは恥ずかしさが先にきて有耶無耶にしてしまうけれど、今日くらいはきちんと伝えたいと思った。



静かな空間に、ザリ、と小石を踏む音が聞こえて顔を上げる。門の向こうを見れば、制服を来た男子の集団がこちらへ向かって歩いてきていた。来た。落ち着いていた体の内がまた徐々に騒がしくなる。しかし騒がしいのは彼らも同じで、その賑やかさでいくらか気分が紛れた気がしている。彼の笑う声が聞こえる。練習のときとは違う、いつも私が聞いていた声。我慢できずに思わず足が動いていた。お、と誰かが声を上げ、全員が一斉にこちらを見る。夜久と彼だけが、大層驚いた顔をしていた。



「お、前、どうした」
「夜久、鉄朗借りていい」
「おー。明日の朝には返せよ」
「今日中に返す」
「それはいいや」
「やっくん、どういうことかな」



二人のやり取りを見ている後ろで、ひそひそと静かに話すのが聞こえる。「誰だろ」「黒尾さんの彼女さんかな」随分と背の高いその二人に小さくお辞儀をすれば、彼らも慌てて頭を下げた。それじゃぁ、と手を振ってバレー部員たちと別れ、私と鉄朗は来た道を戻っていく。彼の手首を掴んで引っ張るようにして歩いていたら、名前ちゃん歩くの早ーいとからかうような声が飛んできた。



「俺どこに連れていかれるんでしょう」
「体育館裏」
「えっ、殴られるの」
「それがお望みなら」
「別の意味で襲われたいけど」
「気持ち悪い」



割と本気のトーンで言ったのに、振り返れば彼は笑っていた。開けっ放しのブレザーが風に煽られてはためいている。この巨体を引っ張って歩くのもそろそろ疲れてきたので、ここらでいいかと掴んでいた手を離した。体育館裏なんて行かなくとも、休日の学校は人気の無いところだらけだ。念のため辺りを見回し誰もいないことを確認する。それから彼と向き合い、鞄の中から出した紙袋を差し出した。



「え、なに、これ」
「誕生日プレゼント」
「えっ」
「昨日渡せなかったから」



彼は目を丸く開いて私とプレゼントとを交互に見ていた。忙しそうに行き来していた視線が最終的に私を捉え、「ありがとう」と落ち着いた声で言いながら私の手から紙袋を持ち上げる。照れくささからか、鼻の頭を掻く仕草が子供のようで、不覚にも可愛いと思ってしまった。胸の奥から熱い、何かがこみ上げてくる。練習を見ていた時と同じだ。溢れ出る愛おしさでどうにかなりそう。



「昨日と今日と、こんなに幸せもらってばっかでいーのかね」
「いいんじゃない。誕生日だし」
「もう終わってるけど」
「私、誕生日じゃなくても、あんたからいっぱいもらってるから」
「……え、あの、名前さん?」



顔を覗きこまれる前に、開いたブレザーの中から顔を出しているセーターに顔を埋めた。そして自分をまるごとブレザーで覆い隠す。鉄朗の匂いに包まれて、これはこれで気が気じゃないけれど、今は顔を直視できるような勇気は私にはない。



「おーい、名前ちゃーん」
「なに」
「出てきてくれないかな」
「無理」
「いや、俺も結構無理なんですけど」
「私の方が無理」
「分かったから、せめて普通に抱きしめさせて」



べり、と私を覆っていた紺色をはがされる。仕方なくセーターからも顔を離してすかさず抱きしめようとしたら耳まで赤くしてる鉄朗を見つけてしまったから、もうどうしていいか分からなくなってしまったではないか。折角引きつつあった熱がまた顔に集中した。



「なんであんたまで赤くなってんの」
「なるだろ普通」
「気持ち悪い」
「はいはい」



諦めたように返事をしてから、彼はゆっくりと腕を回して抱きしめてくれた。普段一緒にいてもそこまで触れ合うことはしないけれど、私は案外彼にこうされるのが好きなのだなと思った。力強く、それでいて優しい抱擁はとても心地よい。こうされている間は鉄朗のことだけで頭が埋め尽くされる。ずっとこうしていたい。でも、体を離して見つめあいたい気もする。キスをして欲しい気もする。そして彼は私の心の内などお見通しかのように、望んでいるすべてのことを与えてくれるのだ。腕の力が抜ける。どちらともなく離れた体はまた一瞬にして一つになり、触れ合っていないのは見合わせた顔の、唇だけになった。



「練習、格好良かったよ」
「見てたのかよ」
「うん」
「次からは来るとき教えろ」
「どうして」
「中で見せるから」



俺のもっと、カッコイイとこ。いつもの軽い口調でそう言って、漸く唇が重なった。