結婚してください

「おー、名前!」
「こっちだぞー」
「はよ来いここ座れ!」
「わー、みんな久しぶりだねー!」



夜というには少し早い時間に市内の居酒屋へ向かう。まだ賑わっていないその空間に懐かしい顔が揃っていて思わず笑みがこぼれた。個々と会うことはあれどこうして揃うのは2年ぶり、松川の結婚式以来である。早速飲み物をオーダーし、揃ったところで少し高めの位置で乾杯をした。



「最近どーなの、松川パパはっ」
「んーもう最高」
「うわっ、何その顔腹立つー!」
「花巻はそろそろ落ち着けば?」
「名前ちゃんてば相変わらず辛辣ぅ〜」
「そう言えば岩泉んとこも長ぇよなぁ?」
「あ、来年結婚する」
「「「まじか」」」



思わず3人で岩泉を見てしまった。まじかまじか。なんてこった!ほんのり顔が赤い岩泉。ぎゃああおめでとう!と叫んだらうるっせぇよ!と怒られた。もう、照れ屋さん。すかさずシャンパンをオーダーする松川さすがすぎ。あたしと花巻はただひたすら良かったねおめでとうとお祝いの言葉を嵐のように浴びせかけていた。半ば面白がってやってるのを岩泉は知ってる。



「お前んとこはよ」
「んー?」
「そーそー。お前らだって長ぇじゃん」
「海外遠征で忙しーい彼氏と」
「あはは。相変わらず面白おかしくやってるよ」



本来であれば、ここにはもう一人いるはずだった。あたし達の部活人生に欠かせない大セッターの主将。彼とは高校を卒業すると同時に付き合い始めた。それから大学を経てプロになった彼は今や日本を代表して試合に出たり遠征に行ったりする有名人になっていた。当時もそれなりに有名だったけど、もうそれとは比べ物にならない。少し寂しかったりすることがあるのは内緒。



「いまどこいんの?」
「イタリアー」
「へー。イタリアっつったらなんだべ、美味いもん」
「パスタじゃね?」
「買ってきてもらえねぇじゃん」
「土産の話かよ」
「いつ帰ってくんの?」
「明日の夜!」
「てことはお前も明日には東京戻んのか」
「そー」
「何時?送ってくよ、明日俺休みだし」
「花巻が優しい!何か裏がある!」
「お前ほんと可愛くねぇ!」



ぐしゃぐしゃと頭を掻き回されて、そういえば高校の時もこんなことしてたなあと変わっていないのを実感する。なんだかくすぐったくて、ちょっと恥ずかしい。昔話をしながらシャンパンを一本空けたところで、そういえばと松川が足元から紙袋を出した。



「ほい」
「なに、これ?」
「プレゼント。お前今日誕生日だろ」
「……松川っ…………!」
「そうだよ!そもそも集まるの今日に設定したのは名前を祝うためだったんだよ!なんで岩泉ばっか祝ってんだよ!」
「知るか。オラ、俺からも」
「岩泉っ……なんなの、みんな……もう、やだ!」
「えー、やだって言われても」
「喜ぶか泣くかどっちかにしろ」



えへへ、と笑いながら流れる涙を拭う。まさかみんな覚えててくれたなんて。彼氏に祝ってもらえなくていじけてた自分がバカみたいじゃないか。



「……で?」
「え?」
「花巻は何くれんの?」



見たところ彼は手ぶらだ。何も持っていないのは一目瞭然なので、それにかこつけてシャンパンもう一本いれさせてやろうと考えていたら、ピンク頭のそいつはニヤリと笑った。そして突然店員にお勘定を頼み支払いを済ませ、あっという間にみんなを店の外に追いやった。



「俺からのプレゼントはコレです」
「……何コレ」
「鍵」
「え、ごめん、あたし付き合ってる人いるし」
「俺んちのじゃねぇよバカなの?」



うんまぁ最後の一言は余計だ。しかも家の鍵にしては小さい。それになんか見覚えのある鍵。なんだっけ、どこで見たんだっけ。うーんと悩んでいたら、今度は花巻の車に押し込まれる。発進した車はよく知る道をひた走る。珍しく飲まないなあと思ったらこの為だったのか。進んでいくに従って、チラホラと懐かしいユニフォームをきた生徒達が見えた。3年間通った道はいまでもすごく特別だ。そして到着したのはその学び舎で、あの頃に戻ったみたいな感覚になった。懐かしいな。大好きだった雰囲気に包まれて少し泣きそうになった。



「全然かわんねぇなあ」
「ほんとな」
「溝口くんはまだいんのかね」
「懐かしいね、溝口くん」



こうして並んで歩くのも何年ぶりか。当たり前みたいにその足は第3体育館へ向かっていた。当然この時間には既に生徒も帰ってしまっていて、それでも何故か鍵が開いていた其処にずかずかと入っていく3人。卒業生とはいえ、さすがにマズイんじゃないかと躊躇していたあたしを振り返って花巻はまたニヤリと笑った。



「俺らちょっとやってくからさ、お前部室行ってくれば?懐かしいっしょ」
「え、でも開いてないでしょ」
「俺からの誕生日プレゼントなんだった?」
「………あ!」
「いってらっさーい」



ひらひらと手を振る彼に礼を告げてあたしは小走りで部室へ向かった。あそこには思い出がたくさん詰まってる。初めてみんなと顔を合わせたのも、及川と言い合いしたのも、岩泉に勉強教えたのも、花巻と雑誌を見ながらどのケーキ屋が美味しいか話したのも、松川と恋バナしたのも、及川に告白されたのも、全部ココだ。月曜日に掃除をしても、金曜日にはもうぐちゃぐちゃになってる男子の部室。少し汗の匂いがして、いろんな制汗剤の匂いも混じって独特な香りだった。それも嫌いじゃなかったな。階段を上がって扉の前に立つ。緊張しながら鍵を挿して左に回す。ドアノブを回して中に入り、ゆっくりと閉めた。壁にあるスイッチを押すと、パッと明るくなる室内。あの日からなんら変わらないここで、ひときわ違和感を放つものがひとつ。





ーHappy Birth Day〜あなたの願いを叶えます〜




そんなメッセージが書かれたタブレットを手に持つ大きなテディベアが、こちらを向いて椅子に座っていた。なんのことか分からずその場に立ち尽くすも、すぐにあの3人の顔が浮かんだ。なるほど、そういうことか。素敵なサプライズに思わずまた泣きそうになったのを堪えてクマの元へ。画面をタッチすると、別の画面が現れる。




ー願い事を教えて!




メッセージの下にスペースがあるから恐らくここに願い事を書けということなんだろう。どうしよう、きっとこれはあの3人の元に送られて実行されるに違いない。マンション欲しいとか書いたらどうすんのかな。あたしはこういう時空気を読まずに笑いに走るタイプだ。無理な解答をした時にどういう反応するだろうとワクワクしながら、メッセージを送信した。




ー徹に今すぐ会いたい!




ニヤニヤするのを抑えられそうにない。なんて返事がくるだろう。無理!とか却下!とかかなあ?今頃どうすんべって悩んでんだろうなあ。イタズラが成功した子供みたいに彼らの反応を待つ。ブル、と震えたタブレットを見ると、予想外の返事が。




ーお安い御用!その願い事、叶えます!




なんだと。意外とあっさりしていてちょっとビックリした。何を企んでるんだと頭を捻るも、答えは案外簡単に見つかった。……テレビ電話があるじゃん。そうじゃん今の時代顔見て電話できる時代じゃん!くそー、そんなら舞浜にある夢の国で1週間スイートルームとかそういうのにしとけばよかった!激しく後悔しながら、恐らくかかってくるであろう電話に出る為自身の携帯を取り出す。さぁ来るなら来い。顔見て声聞けるならそれはそれで嬉しいし。ちょっと楽しみにしてるあたりあたしは結構前向きな性格だと思う。シンとする部室。メッセージを伝えるべく震えたのはあたしの携帯ではなく、タブレットだった。




ー扉を開けてみて




………え?頭の中をクエスチョンマークが支配する。扉って、なんの?ロッカー?なわけないか。でもそれ以外に扉と名のつくものはあたしの背後にしかない。いやいや。ちょっと、変な期待させないでよ。今徹はイタリアで、帰ってくるのは明日で、だから明後日にあたしの誕生日を一緒にお祝いしようって約束してるんだ。自分に言い聞かせても体は後ろを向いて、扉と向かい合っていた。恐る恐る近づいて、ゆっくり扉を開ける。1番最初に目に飛び込んできたのは燃えるような、赤と、赤。



「誕生日おめでと、名前」
「う、そ、え….なんで?」
「なんでって、クマさんが言ってたでしょ?願いを叶えますって」



顔をすっかり隠してしまっていた大きな薔薇の花束の向こうから、ずっと会いたかった人が見えた。片手にその花束を持ち直し空いた方の手を広げて、おいでの合図。吸い込まれるようにそこへ顔を埋めた。ずっと感じたかった温もりと大好きな匂い。2週間ぶりの徹は前より大きくなった気がした。腰にしっかり手を回してぎゅうぎゅうと抱きしめた。会いたかった、と上から声がする。あたしもすごくすごく会いたかった。言葉に出せないまま、流れた涙が徹の服にシミを作った。



「ただいま」
「おかえりっ」
「呼ばれたから急いで帰ってきちゃった」
「バカ」



大きな手が涙を拭いてくれて、軽くおデコにキスを落とす。目があってまた泣きそうになったけど、子供みたいに嬉しそうに笑う徹につられてあたしも笑った。くっつけていた身体を離してマジマジと徹を見つめてふと疑問を抱く。なんでスーツ?



「どしたの、その格好」
「なんでだと思う?」
「んー、ヒント」
「仕方ないなあ」



じゃあ、ヒントね。イタズラっぽく笑って、あたしに花束を渡す徹。これが、ヒント?よく分からないまま差し出されたそれを受け取る。考えてみたら花束なんてもらうの初めてだ。



「これ、誕生日プレゼントね」
「このタイミング?ふふ、でもありがと」
「ヒントはその中にあるんだよ」



ますます分からない徹の言葉に首を傾げた。この中。薔薇の中にヒント。上から順番にひとつひとつの花を見ていった。どれも見事に咲いていてすごくいい匂いがする。花束ってもらうとこんなに嬉しいんだなあ。ドキドキと高鳴っている心臓に急かされるみたいに次から次へと視線を移していく。すると、真ん中から少し左の位置に、たくさんの赤に埋もれそうな白を見つけた。もしかしてヒントってこれかも。徹を見やると、見つけたのを察知したらしくニッコリ笑って「棘は無いから触っても平気だよ」と言った。早速手を入れて少し持ち上げた白バラの中心に、負けじと輝く透明があった。電気を反射してキラキラしているそれを持ち上げると、シルバーのリングが顔を出した。うそ、嘘。これってこれって、



「徹……」
「みつけた?」
「なんでこんな、」
「名前、」



俺と、
結婚してください




「……っ、……おねが…っ、します」
「っ良かったーぁ。断られる気はしてなかったけど、やっぱ緊張すんねっ!」



ぶんぶん顔を大きく縦に振って盛大にイエスを表現した。あぁ、夢にまで見た瞬間が、こんなにも嬉しくて幸せなものだなんて。想像も予想もはるかに超えていて言葉で表すことができない。なんだか今日は泣いてばっかりだなあ。徹に手を引かれて部室を出ると、階段の下に岩泉と松川と花巻がいた。おめでとー!と口々にいう彼らは今回の作戦の協力者なんだとか。3人の元へ駆け寄ると、幸せになれよと揉みくちゃにされた。当たり前じゃないか、こんなに愛する人と一緒になれるんだから幸せになれないわけが無い。振り返ればあたしと同じように頭をぐしゃぐしゃにされながら祝福される徹が、恥ずかしそうに笑っていた。




「そっかー。名前の名字もついに及川になんのかー…」
「岩泉、いつもの言えなくなる前に言っとけ」
「だな。名前泣かせたら承知しねぇからなクソ及川」
「台無しだよお前ら!そんなことしないからご心配なく!」