結婚しませんか

今日もピッタシ、定時上がり。まだ17時だって言うのに外はもう真っ暗になっている。マフラーを巻いて、お先でーすといつも通り挨拶をして会社を出た。今日は一段と冷えるなあ。もうすぐ冬だ。口元で両手をすり合わせながら駅へ向かえば、ホームには懐かしい制服の子達が沢山いて思わず顔が綻んだ。その中で手を繋ぎながら笑いあうカップルを見つけて、ついつい当時の自分と重ねてしまう。あたしらも数年前はあんな感じだったのかな、なんて。大都会で頑張る恋人をふと思い出して、なんだか無性に会いたくなった。貴大のところ、今日は寒かったのかな。風邪引かないように、ちゃんと暖かくしてるのかな。



『もしもーし』
「どしたの…?仕事は?」
『終わったけど?』
「早いね?」
『俺だってたまには定時で帰るんですー』



駅について改札を出たとほぼ同時くらいに携帯が鳴って、画面には恋人の名前が表示されていた。ここのところずっと残業続きで21時過ぎに帰るのが当たり前になっていた彼からの突然の電話に驚いて、お疲れ様よりも先に疑問が口を出た。声を聞くのも随分久しぶりな気がする。忙しいんだから仕方ないよと言いつつもやっぱり寂しいもんは寂しい訳で、唐突な電話も実はすごく嬉しかったりする訳で。家までの道のりを貴大と電話しながら歩いていると、何か良いことあった?と突っ込まれた。声だけで気づいちゃうほど分かりやすかったらしい。



「別にー。電話きて嬉しいだけ」
『どうした。なんでそんな素直なの?』
「なんでだろ。帰りに青城生のカップル見たからかな?」
『関係ある?』
「高校の頃思い出しちゃって。あんな風だったのかなあとか思ったらちょっと切なくなった」
『なになに、おセンチになっちゃったの?かーわいー』
「でも卒業式の日のこと思い出したら笑えたからもう平気」
『それまだ言う?』
「だってあんな告白初めてだったし」
『うるせぇな、斬新で良かっただろ。』
「仁王立ちで腕組んで好きだから付き合いませんかって中々言わない。しかも家の前で。言葉丁寧なのに超上からじゃん」
『かっこよかったろ?』
「ドア開けたらいるんだもん、びっくりしたわ」
『人生で2番目くらいに緊張した、あん時。』
「えっ、緊張してたの?」
『お前俺のことなんだと思ってんの』



その告白に面食らいながらもお願いしますと答えたあと、何で今日このタイミングなのと聞いたら「卒業式に好きなやつと手繋いで登校したかったから」となんとも言えない答えが返ってきて、あたしこの人とやっていけるだろうかと不安になったんだった。しかしまぁ、無事かどうかは分かんないけど気付けば8年も一緒にやってきている。あの時のあたしにはこんな未来が待ってるなんて想像もつかなかったろうな。のんきに話しながら歩みを進めていくと見慣れたタバコ屋さんが見えた。ここまで来れば、家までもうすぐだ。




「貴大、あたしもーすぐ家着くよ」
『おー。』
「貴大は?電車何時?」
『んー…あと10分くらい?』
「いや知らないけど…」
『いまどの辺?』
「え?」
『どの辺歩いてんのかってこと。』
「あぁ。タバコ屋さんのとこ」
『あー、あそこか。つかタバコ屋まだあんだ。』
「うん、お婆ちゃん毎日頑張ってるよ」
『長生きしてんなー』
「この前貴大のこと聞かれたよ。あのカッコ良い彼氏どうしたのって」
『婆さんわかってんじゃねーか』
「うざっ。及川みたい」
『ショックー』



こうして貴大と話しながらこの道を歩くのは大学以来だ。あの頃は電話越しではなく隣に彼がいたけれど。付き合いはじめはやっぱりちょっと恥ずかしくて、この辺りになると話題が尽きて無言で歩くこともあったっけ。それがいつしか、帰り道の時間だけじゃ足りないくらい話すようになってた。なんか今日はよく昔を思い出すなぁ。おかげで会いたくて仕方なくなっちゃったじゃんか。最後に会ったのは3ヶ月前だから、もう充電なんてとっくに切れちゃってるんですけど。




『あとちょっとであの角だろ。』
「すごい、なんで分かったの?怖い」
『一緒帰ってたときのこと思い出した。タバコ屋通ってから角までこんくらいだったなーとか。』
「覚えてるもんなんだね」
『まーな。』
「……ねぇ貴大、次いつ」
『おー。ジャストー。』




次いつ会える?そう問おうとしたのと角を曲がったのは同時で、電話の向こうの声がなんだか二重に聞こえたのも同時。携帯を耳に当てたまま立ち止まって、数メートル先にいる人をただ見つめる。その人もまた同じように電話を耳に当てて、こっちを見てた。




「……なに、これ?」
『何って、俺だけど?』
「なんで、」
『そろそろ会いたくなる頃かなーと思いまして。』



話が噛み合ってるからきっとこれは夢でも幻でもないんだ。目の前にいる人は正真正銘、貴大なんだ。とうとう何も言えなくなって、電話を耳から離して通話を切った。



「おいでー、名前」



大きく広げられた腕目掛けて一目散に走る。仕事どうしたのとか、なんで急にとか、そんなのなんかもうどうでもいい。今ここに貴大がいて、あたしのこと抱きしめてくれてて、温もりを感じれてて。それだけで充分だから、もう少しだけこうさせてて欲しい。



「やーだー、もしかして泣いてる?名前チャン」
「……泣いてない」
「ぶは、めっちゃ鼻声だけど」
「…いきなり帰ってくるの、反則」
「いやまぁ、準備出来たからさ。迎えに来ようと思って」
「………準備?何の?」
「一緒に暮らす準備」
「は……?」
「うん、そういうことだからさ」




結婚しませんか?




「ほーら、顔あげてよ」
「……やだっ、…っみないで!」
「大事な瞬間見逃すつもり?」
「……?」



涙と鼻水でぐちゃぐちゃな顔のまま貴大を見上げれば、その顔の横で右手の人差し指と親指の間で光るシルバーリング。貴大の冷たい手があたしの左手を持ち上げて、ゆっくりと薬指に嵌められた。



「で、お返事は?」
「…っ、あたしで、良ければ…お願いします」
「うん、俺はお前がいいの。8年待っててくれてありがとな」



これ以上泣いてる顔なんて見せたくなくてぎゅうっと力いっぱい抱きしめたら、「今日が人生で1番緊張したわ」って笑いながら言う貴大の声がすぐ近くで聞こえた。