結婚しようか

ぼんやりと覚えている夢はなんだか昨日の続きみたいな内容だった。がやがやうるさくて、でもイヤな感じではないその居酒屋で職場の仲間たちと飲んでいた。実際、俺は昨日の夜仕事が終わってから飲みに行ってた。寝る前まで飲んでて夢の中でも飲むのかと苦笑いがこぼれる。夢の中で何を話してたかは記憶にないけど、昨日飲みながらあいつらが話してたことはしっかり覚えてる。少し酔っ払いながら楽しそうに、俺の彼女についてを語ってた。



「あ、おはよう」
「うん、おはよ」
「珍しくいっぱい寝たね」
「ん、昨日少し飲みすぎたかも」
「楽しかったんだねー」



柔らかく笑う彼女の頭に手を乗せて撫でれば、嬉しそうに目を細める。この顔がすごく好きだ。ぎゅうっとそのまま抱きしめて閉じ込めて、俺だけのものにしたい。なんて思ってるのは今日までの5年間で一度も言ったことはない。毎回思ってるけど。「名前ちゃんってさ〜、笑った顔すげぇ可愛いんだよな」花巻が言ってたのを思い出した。そのあとの「つーか松川を見る目がいっつもハートで、好きだってのがすぐ分かるよな。中々いねぇよ」って岩泉の言葉は余計だった。にやけるのを我慢するのに必死で、半分くらい残ってた日本酒を一気に飲んだんだ。



「みてみて!」
「………なにこれ」
「チーズ入りの卵焼き!」
「…卵焼き?」
「に、なる予定だったもの!」
「だよな、こんなドロドロのみたことねぇもん。何があった」
「巻いてる間にチーズ溶けてきちゃって、どうにかしようとしたけどどうにもならなかった結果!」
「…楽しそうだな」
「うん!見事に失敗したから面白くて!」



あはは!声を出して笑いながら、もはやスクランブルエッグと化した黄色の塊が乗った皿を突き出す。失敗とはいえすごく美味しそうな匂いがしてきて、お腹がきゅうと小さく鳴った。それを聞いて名前がまた笑って、すぐご飯にするね!とキッチンへ戻って行った。俺はこのキッチン横のテーブルから料理をする彼女を見つめるのが気に入ってる。常に百面相しているのを見たりとか、「美味しい、あたし天才」とか「あ…………まぁいっか」とか言い出せばきりがないほどあげられる独り言なんかを聞くのが楽しい。時々目があって、「聞いてた?今のナシ!」って恥ずかしそうに笑うのも好きだ。



「あ、そうだ。来週の土曜夜に及川来るわ」
「おー、久々だね。花巻くん達は?」
「さあ?なに、来て欲しいの?」
「うん。この前のお礼したいし!」



先月、5年目の記念日をサプライズで祝いたくて岩泉達に手伝ってもらった時のことを思い出す。もともとこの面子でいる事を気に入ってた彼女だったし、みんなでわいわいやるのを好むのも知ってた。だから少し派手にやりたくてあいつらとその彼女達を集めてパーティまがいの事をやったんだった。個室に入るなり大きな音を立てたクラッカーにビックリして、でもすぐに顔をくしゃくしゃにして泣き出した名前。「あの時の名前ちゃんほんとにヤバかった。彼女より可愛いって思っちゃった」と謎の告白をしてきた及川に不覚ながらも激しく同意。こいつは嬉し泣きが得意技だ。



「ごめん、結構時間かかるかも」
「いいよ。俺も適当にぶらついてるから、終わったら連絡して」
「わかった!」



久しぶりに街へ買い物に出た。冬物が欲しくて、と意気込んできたデパートの洋服売り場をキラキラした目で見つめる名前。早々に避難警告を告げられた俺は内心ラッキーと思いながらその場を後にする。こういう時は大抵本屋とかスポーツ用品店に入るけど、今日ばかりは入るのに少し勇気のいるブランドショップへ足を踏み入れた。ショーケースの中はどれもチカチカして目が痛い。ダメだ、出よう。一瞬にして諦めかけた俺の目にとまった1つのリング。シンプルで、でもどこか可愛げのあるそれはもう彼女のためにあるのではと思わずにいられないほど容易に名前の薬指で光り輝く光景を想像できた。「これください」いとも簡単に口にしていた。



「ごめんねー、遅くなっちゃった」
「あぁ、別に」
「一静はなに見てたの?」
「……まぁ、色々」
「ふぅん?」



指輪買ってました、なんて言おうもんなら名前は多分卒倒する。俺は今しそうだけど。平静を装っていられてるかどうかわからなくなってるくらいテンパってる。何やってんだ。いや、いつかは、とは思ってた。だからその時までとっといたって良いだろうと言い聞かせてるのに変な汗は止まらない。いつもなら手をつないで帰る道も、今日は両手をポケットに突っ込んで歩いた。情けなくて穴があったら入りたい。



「ごちそうさま。コレ美味かった」
「でしょ!あたしもさっき味見した時感動した!」
「うん、知ってる」
「げ、見てた?」
「ばっちり」
「ぎゃー」



夕飯を食べ終わった時にはさすがに落ち着いていて、いつもの俺に戻っていた。今度から見る時は見ますって言ってから見て!と訳のわからないことを言いながら席を立つ名前はそのまま流し台の前に立った。そのくらいやるよと声をかけたら、今日は付き合わせちゃったからいいよとやんわり断られた。じゃあ遠慮なく。再び座って彼女の方へ視線を向ける。あ、



「見ます」
「え?あぁ、あはは!許す!」
「どーも」



うん。まぁ分かってたし知ってたけど笑った顔やっぱ可愛いよな。俺と話してる時、俺の名前呼ぶ時、すごく優しくなる目が好きだ。美味い飯作る小さい手は俺の手より一回り小さくてあったかい。それがすごく愛しくて。名前を呼びながら走ってくる足も、心地よい音程の声も、全部全部愛してんだよなあ。明日が終わればこいつは自分の家に帰っちまって、また来週の今日まで一緒にいられねんだよな。毎度毎度思うけど、帰したくねぇ。ずっといりゃいいじゃんって思う。そんなことを酔った勢いであいつらに言ったら声を揃えて「結婚しろよ」って言われたっけ。…あー、くそ。これじゃあいつらに背中押されたみてぇじゃん。なんか癪。立ち上がって寝室へ向かい、ずっとポケットの中で温めてきたそれを取り出してから名前の元へ歩く。手を泡だらけにして食器を洗う彼女を後ろから抱きしめた。



「どーしたのー?」
「お前ちっさいなって」
「いやみー」
「あといい匂いする」
「エッチ」
「なぁ、」



結婚しようか



ピタリと動きを止めて、静かに皿を流しに置いた。それからくるりと振り返って泡がついたままの手を首に回して思い切り抱きついてくる。慌てて背中を曲げて高さを低くしてやれば、首元にぐりぐりと額を押し付けてきた。その頭を撫でてやれば、抱きしめる力が一層強くなった。肩を押してゆっくり距離をあけたら目が真っ赤な彼女が顔を出す。



「返事は?」
「……イエスに決まってる!!」
「そいつは良かった」
「死ぬほど嬉しい」
「死ぬときゃ一緒だ。今じゃねえ」



ぽろぽろ涙を流しながら笑う彼女に胸が高鳴った。このあと、枕元に置いた小箱とその中身を見たら名前はどんな顔で、どんな声で、どんな事を言ってくれるだろうか。