さぁ、誓いのキスをしよう

正直乗り気じゃなかった。婚姻届を出して然るべき人たちへ報告を済ませばそれでいいと思っていたし。お互い働き盛りで忙しかったからというのも理由ではあったけれど、何より恥ずかしかったのだ。人前でドレスを来て腕を組んで歩いて、神父様の台本通りの言葉へ誓いをたてて何の意味があるというのか。その上キスまで晒すなんて耐えられない。それでも両親に懇願されてしまえば断れるはずもなく、渋々挙式を約束したのだった。


「うん、すっげぇ綺麗」
「そう?」


準備を終え、控え室で座るあたしをみて貴大が開口一番にいつもの調子でそう言った。すぐ後ろに立ち肩に手を置く彼の笑顔をみてじんわり幸せが胸に広がっていく。仕方なくとは言えやはりドレスを選ぶときはとても嬉しくて幸せだったし、悩みぬいて決めたそれを身に纏った姿を最愛の人が綺麗だと言ってくれたのだから、悪いことばかりじゃなさそうだ。ちょっとだけ両親に感謝。タキシード姿で一段と輝いて見える彼に「貴大も、素敵ね」と言えば「なんだソレ」と笑って返す貴大はいつもどおりで、やっぱり抵抗のあるこの後の式のことも少しだけ気楽に考えることができた。


「愛し合い敬い、なぐさめ助けて変わることなく愛することを誓いますか?」
「はい、誓います」


チャペルで響く音楽と共に貴大の声が耳を通りぬけていく。落ち着いてるなぁ。そういえば彼はプロポーズの時もいつもと同じ雰囲気でいつもどおりの声音で結婚しませんかと言っていたな。当の本人は「人生で一番緊張した」と漏らしていたけど。少し前のことに思いを巡らせている間も神父様のお説教は続く。心地のよい低音だな、とぼんやり聞き流していたら神父様がジッとこちらを見ていて、慌てて「誓います」と答える。いけない、ボーっとしてた。


「それでは、指輪の交換を」


あぁいよいよだ。このリングを嵌める瞬間も実はとても恥ずかしいから嫌だったりする。何も人前でやらなくても、と式直前まで愚痴を言っていたほどだ。この後の誓いのキスはどうにか外してもらったが、指輪の交換はそういかなかった。緊張でガチガチのあたしに向かって、「笑えよ」と貴大が口パクで言っている。何とか口角を上げてみるも、彼は一瞬目を見開いて「ふっ」と小さく息を漏らした。そうか、吹きだすほど面白い顔をしてしまったんだな。もう嫌だ、早く終わらせたい。熱が顔中に集まってしまったのを見られないように俯きがちに、彼の薬指に手早くシルバーリングを通した。


「やっと終わった…」
「お前緊張しすぎ」
「だってシャッターの音すごい聞こえるんだもん…恥ずかしいでしょ」


親族との記念写真の撮影も終え、チャペルの中に貴大と二人になった。この扉の向こうでは恐らく参列者がフラワーシャワーとライスシャワーの時を今か今かと待ち構えているのだろう。ふぅと息を吐いて肩の力を一旦抜いた。視線を落とすと、さっき嵌められたばかりのリングが自身の左手に光っているのを見つけた。これと同じものが貴大の左手にもあるのかと思うと言いようのない幸福感が身体を巡った。乗り気じゃなかったし、恥ずかしかったけど、やっぱり嬉しいな。


「なーにニヤニヤしてんの」
「んー、幸せかもって」
「あんなに嫌がってたくせに」
「に、苦手なんだもん、人前とか」
「俺はお前のドレス楽しみだったから良かったけどねー」
「…そ」
「お前見た瞬間最高に幸せ感じた」


その言葉に驚いて顔を上げたら、目を細めてあたしをジっと見ている貴大と視線がぶつかった。こういうことを滅多に言わない彼だからこそ、突然そんな風に言われると未だに胸が高鳴ってしまう。付き合って日の浅いカップルでもあるまいしと思うけど耐性がないんだから仕方が無い。ふわりと優しく笑う貴大につられて笑えば、加速していた心音も徐々に落ち着いていった。再び顔を正面の扉に向けたところで隣から「あのさぁ、」と低い声が聞こえた。


「なに?」
「怒んない?」
「内容による」
「まじか」
「ウソウソ、何?」
「俺、ぶっちゃけさっきの神父さんの言葉ほとんど聞いてなくてさ」
「え、そうなの」
「うん。だからとりあえず誓いますって言っちゃった」
「…あのさ、」
「なに?」
「怒んない?」
「内容による」
「ちょっと」
「ウソウソ、なんだよ」
「実はあたしも神父様の言葉ほとんど聞いてなかった」
「だろうネ。お前、誓いますっていうのちょっと遅かったもん」
「気づいた?」
「気づくだろ」


どうやらボーっとしていたのはバレていたらしい。新郎新婦そろって神父様のありがたいお言葉に耳を傾けていないだなんて無礼者にも程があるので、一応ごめんなさいと心の中で謝っておいた。


「なぁ、名前」
「ん?」


返事をするも、一向にその先は紡がれない。不思議に思い顔だけ横に向けると、今日一番真剣な目をした貴大がいた。どうしたんだろう。纏っている空気も先程までの緩やかなものとは違う、緊張感が漂っていた。それはあたしにも伝染したようで、射抜くような目をしっかりと見据える。


「どうでもいいと思って聞いてなかったわけじゃねぇから」
「神父様の話?」
「そう」


彼の体がゆっくりとこちらを向く。あたしの肩を掴む貴大の両手が、ゆっくり向かい合わせにさせた。


「俺が全力で、命かけて誓いたいのはお前にだけだから」
「…え、」
「悲しませることも、傷つけることもあるかもしれないけどさ。俺がお前のこと、死ぬまで愛してるってのは変わんない」


一生隣で笑って怒って泣いてやるって誓う。だからお前も、それだけ俺に誓ってよ。あとはなにもいらないからさ。


「名前、こっち向いて。泣いてないで、顔上げて」