及川くん、助けにきたよ
うん、今のこの状況はヤバイってことはわかる。逆に言えばそれしかわからないんだけど、たぶんヤバイ以外に説明しようがないから大丈夫。いやいや全然大丈夫じゃないけどね。まぁ女子絡み(主に元カノ)のごたごたはこれまでもよくあったから慣れてるといえば慣れてるし、大体どんなパターンが来ても切り抜けられる自信はあった。でもコレは想定外というかなんというか。椅子に座った俺を見下ろしながら薄く笑う女子生徒を見て、たらりと汗がこめかみを伝った。「ごめん、今日まだ日誌書いてなくて。ビブスも取り込まなきゃだから遅くなるよ」
「いーよ、俺も鍵閉めなきゃだし。部室で待ってる」
「よろしくー」
今日は他校との練習試合があったから、いつもよりやることが多かったらしい。あちこち走り回る愛しの彼女がマネージャーの顔して働く姿を見るのがすごく好きだ。見過ぎだ、と岩ちゃんに後頭部にボールをぶつけられるのも最早日常と化している。当たり前のことすぎて何もしてないのに時々ぶつけられることもある。あれは理不尽。まぁそんなことがあったから、俺はゆっくり着替えて携帯でゲームでもしながら名前を待っていようと思っていた。
「お疲れ様でーす」
「お先失礼します!」
「うん、お疲れー」
最後の二人を見送れば嘘みたいに静かになる部室。ぐるっと見回してみても、男子しか使っていない部屋とは思えないほど綺麗に片付いている。それもこれもあの子が毎日片してくれているからだ。整頓されていれば使う人も気を使うしね。本当によくできたマネージャーだなあと思う。口悪いけど、なんかもうそんなところも可愛いと思うくらいに好きになっている自分がいた。当時付き合ってた彼女と別れたばかりで寂しかった時に、マネージャーなら部活でも一緒だしあたしと部活云々言われることないよねと最悪すぎる理由で告白したのが最初だったな。ふざけんなって言われた。ごもっとも。でもその後泣いてたなあ確か。見えないところで隠れて静かに泣いてた。名前はずっと好きでいてくれたらしいのに、俺がそんな適当な理由で告白してきたのが悲しかったんだとあとでまっつんに聞いた。罪悪感しかない。でもその辺りからだんだん距離が近づいてって、お互いほんとの自分を出せるようになって、気づいたら付き合ってたなあ。その頃にはもう俺も彼女しか見えなくなってたんだ。真っ直ぐでさっぱりした性格で(時々さっぱりしすぎて切ないときもあるけど)何でも言い合える理想的な関係を築き上げたんだ。あー、考えてたら会いたくなってきた。早く来ないかな。手伝いに行ってあげようかな。うるさい邪魔って言われんのがオチかも。くすりと笑ったら扉の開く音がして、想いが通じたのかななんて思って勢いよく振り向いた。
「名前!…って、あれ?」
「あ、あの、」
「えーと、」
「こんなとこまで来て、ごめんね及川くん」
そこにいたのは暗めの茶色をしたふんわりボブの女子生徒。及川くんなんて呼ぶってことは同学年なんだろう。目もぱっちりしてて可愛いけどこんな子いたかな?前は可愛い子は大体名前知ってたのに今はほとんど忘れちゃった。こんなところでも名前しか見えてないってこと思い知らされて自分で笑っちゃう。何か用?笑いかけると彼女はサッと顔を背けた。うん、こういう反応久々で新鮮だ。
「あの、あたしやっぱり、及川くんのこと諦められなくて…」
「あ、えー、えっと、」
え、うそ、何この言い方。もしかして告白されたことある?うわあ全然わかんない!てか覚えてない!さすがに失礼だとは思うけどでも一人一人全員なんて覚えらんないよ。軽くパニックになってるのを悟られまいと表情は崩さず笑顔を保つ。
「どうしても、ダメ、かな」
「うんごめんね。今俺はあの子が1番大事だから」
「…あの子よりっ、あたしの方が可愛いのに!」
「……は?」
「口だって悪くないし、スタイルだって!横に並んでても恥ずかしくない彼女になれるのに!」
「何言ってるの?俺、名前が隣歩いてて恥ずかしいなんて思ったことないけど」
「及川くんはわかってないよ…!」
「なんなのさっきから。名前も知らない子にそういうこと言われる筋合いないんだけど」
「……え?」
「あ」
やば、腹が立って思わず言ってしまった。でもコレは俺悪くないもんね。人の彼女のこと良いように言ってくれちゃってさ。さすがの俺も怒っちゃうよ。けれどフツフツと湧いてくる怒りは、水の膜が張られた瞳から大きな粒が流れたことで一気に冷めた。えっ、え?!嘘でしょここで泣く?何度か女の子を泣かせたことはあるけどそれはどれも告白を断ったから泣かれたわけで、怒って泣かせたことなんて初めてだ。なんだかすごく悪いことしてる気分。ごめんと慌てて謝って手を伸ばした。あと少しで肩に触れる、そのくらいの距離で顔を上げた彼女と目が合う。赤い舌が、唇の隙間から顔をのぞかせた。カチャリ。手首にひんやりしたものが纏わり付いた。
「ゴメンね、及川くん」
「…………は、ちょっと、何これ?」
「手錠だよ?オモチャだけど、結構頑丈なんだ」
「見ればわかるよ!なんでこんなの、」
「あたしと繋がってるから、強く引っ張ったりしないでね。痕ついちゃう」
「何考えてんの?!」
「あたしね、初めては及川くんがいいの」
ジリジリと近寄ってくる彼女に合わせて後ずさる。ガタンと椅子にぶつかってそのままそこに座ってしまう。さっきまでの涙は何処へやら、女子ってほんと怖い。俺を見る目は女の子ではなくなっていて、コレはもう雌の目だ。
「聞いたことあるの。これまで付き合ってきた子、誰ともエッチしたことないんでしょ?」
「そ、それが何?」
「今の子にも手出してないのに、付き合ってもいないあたしとしちゃったらきっと面白い噂流れるよね」
「ふざけないでくんない?あんたになんか欲情しないし」
「ふふ、そんな精神論なんて口だけなんだよ。体は正直なの。触っちゃえばあっという間なんだから」
肝が冷えるってこういうことを言うんだ。もう俺は目の前のこの子が恐ろしくて仕方ない。だからってどんなに性悪でも女の子を殴るなんてこと俺には出来ないしなす術がない。彼女はそれも知っていてこの行動に走ったのだろうと思うともう立派な犯罪なんじゃなかろうか。とりあえず、貞操の危機。どうしよう。男としてこんな危険に遭遇するなんて夢にも見なかったんだけど。
「ちょっ、触んなよ」
「暴れないでよ、一緒に倒れちゃうから」
「っ?!」
「ほんと綺麗な肌……いい身体してる…ねぇ、このまま最後までするのと、今の子と別れてあたしと付き合うの、どっちがいい?」
「はあ?!どっちも嫌だ!」
「……残念」
しゅるりと細い指がネクタイを解いていく。指先が鎖骨をなぞって、体が少し震えた。ああ、頼む。頼むから反応しないで俺。般若のような顔した名前を思い出したら少し落ち着いた。けれどそんな些細な抵抗も、かぷ、と控えめに首に噛みつかれて跳ね除けられた。もう気付かないでいてくれるのを祈るしかない。虚しい男の性に泣けてきた。
「徹ごめん、お待せー」
「……あっ?!名前っ…!!」
「……………わーお」
「ゴメンなさい、今オトリコミ中なの」
なんとまぁ、最高に最悪なタイミングで名前が入ってきた。唖然とした表情で俺らを見た後、彼女の一言を聞いて静かに扉を閉めた。……そう、閉めた。え?あれ?なんか、ないの?なにもない?!嘘、え?!わーおって。わーおって!それだけ?!そりゃそうか!こんな変態みたいなプレイしてるとこ目の当たりにしたらわーおしか言えないよね!ちくしょう、この女マジで覚えてろよ。
「……ほんと、タダで済むと思わないでよね」
「どうかな。こんなの先生に言ったって信じてくれないと思うよ?てゆーか、もし及川くんが言うつもりなら先にあたしが言うもの」
「…どういうこと」
「襲われましたって。手錠の痕とか見せれば一発だと思うんだよね。女子が男子襲うなんて誰も信じないだろうけど逆なら分かるでしょ?そうなれば試合も出られなくなるね」
「アンタ…めちゃくちゃイイ性格してるね…!」
「どうすることがいいのかなんて、及川くんならわかるでしょ?頭良いし」
くつくつと笑うこいつに心の底から怒りがこみ上げてくる。簡単に試合に出られなくするなんて口にするこいつがムカつく。お前のくだらない思考のために俺らの努力全部水の泡になんて絶対しない。でもここで好きなようにさせてしまえば、俺が名前と積み上げてきたものが水の泡になる。どちらをとればいいのか、どうすればいいのか、本当にお手上げだ。悔しくて噛み締めた歯がギリ、と嫌な音を立てる。段々下に降りていく手が、触れてほしくないところに到達する寸前で、バァン!と耳をつんざくような音が部室に響いた。これにはさすがに彼女もビックリしたようで、俺と一緒に入り口へ顔を向けた。
「行けっ、岩泉」
「おう」
ズンズンこっちに向かってくる岩ちゃんが、俺と彼女をつなぐ鎖に手をかける。フッ、と小さく息を吐いたかと思えば凄い音を立てて鎖がバラバラになってあっちこっち飛んで行った。呆気。ゴリラゴリラとは思っていたけどまさかここまでとは。怪力やべえ。こんな人が投げてたボール毎日後頭部に受けてるって俺大丈夫かな。全然関係ないことで不安になる俺。
「あ、ありがと、岩ちゃ「ありがとうございますっ……怖かった……!」
お礼を言い終わる前に遮られ、彼女はまた泣きそうになりながら岩ちゃんの腕にしがみついていた。もう主演女優賞でも差し上げたいくらいの演技だ。
「お、及川くんがっ、いきなり……」
「そうか。大変だったな」
「岩ちゃん?!嘘でしょ、信じるの?!」
「うるせぇクソ川!」
「怖かったぁ……!」
「はぁっ?!この、!」
『ほんと綺麗な肌……いい身体してる…ねぇ、このまま最後までするのと、今の子と別れてあたしと付き合うの、どっちがいい?』
さすがにキレそうになって未だ岩ちゃんにしがみつくその子を剥がそうと立ち上がると、何やらデジャヴな感じ。これさっき聞いたような、聞いてないような。そろり、声のした方をみると携帯片手にこっちを見てる名前がいた。
『襲われましたって。手錠の痕とか見せれば一発だと思うんだよね。女子が男子襲うなんて誰も信じないだろうけど逆なら分かるでしょ?そうなれば試合も出られなくなるね。』
「録音済みだったりしてー」
「??!!」
「一応最後まで聞く?」
ニヤニヤ笑いながら聞く名前は彼女からは悪魔のように見えていることだろう。俺にしてみれば神様そのものだけれども。入り口に向かって走り出し逃亡を図る彼女の肩を捕まえて、まぁ覚えてなさいよ、と静かに言ったのはたぶん一生忘れられない。
「じゃ、俺も帰るわ」
「ありがとね岩泉。明日お昼何がいいか考えといて」
「おー」
少しして部室を出て行く岩ちゃんを見送ったら気が抜けたのか。へなへなと椅子に座り込んでしまった。全身に力が入らなくてなにも考えられない。あー怖かった。危なかった。男でも貞操の危機に陥ることはあると、覚えておこう。長く息を吐いたところで可愛い足が目に入る。恐る恐る顔を上げると、それはそれは怖い顔した名前がいた。
「あんたバカなの?!なに黙ってやられてんの!」
「え、いやだって、下手に動けないでしょ?!仮にも女の子相手だしさ!」
「あんた相手が包丁持ってても同じこと言うわけ?」
「それはないけど!」
「あたしと岩泉来なかったらどうしてたの!?」
「き、きっとあんなことやこんなこと、」
「言わんでいいボケ川」
「ヒドイ!」
「大声出すとかあんでしょーよ。普段あんなうるさいんだから外まで余裕で聞こえるわ」
「その手があった!!」
「あんたどこまでバカでアホでマヌケなの?三冠じゃん」
「うーん、泣きたい」
テンパっててそんなの思いつきもしなかった。確かにそうでした、大声っていう最強の武器がありました。次はそうします。……いや嘘、次なんてあってたまるか馬鹿野郎。しかし三冠って。三冠って。あはは、と乾いた笑いをこぼしたら、ぎゅうっと抱きしめられた。ちょうどお腹のあたりに顔が当たって柔らかい感触。鼻呼吸したら名前の匂いが沢山する。なんかようやく落ち着いた。
「岩泉にお礼いいなね」
「そういやなんで岩ちゃんいたの?」
「学校出てすぐだったらしくて。電話したらすっ飛んできてくれた」
「…明日のお昼俺が奢る」
「よろしく」
「うん」
「……怖かった?」
「…少し、ね。反抗した場合と受け入れた場合、どっちに転んでも最悪だったからさ」
「そだね」
「うん」
「でも大丈夫、どんな時でも助けに来てあげるからね」
優しく、子供に言い聞かせるみたいにゆっくりそんなこと言われてうっかり泣きそうになった。腰に腕を回して強く抱きしめ返す。うん、やっぱり俺にはこの子がいなくちゃ。この声も温もりも大好きだから。手放したくないから。
「それと、」
「うん?」
「あんたの初めてはあたしって決まってんの」
「え」
「だから易々と他の人になんか触られてんじゃないよ」
「名前……」
こういうこと言われて女子がときめくってわかる気がする。確かにこれは…クる。惚れる。もう惚れてるけど、名前がもし男だったとしても俺は惚れてる。カッコいい。なんて男前なの………って、そうじゃない!!!全然そうじゃないしそこは問題でもなんでもない!!!
「なんで俺が経験ないって知ってんのさ!?!」
「あ、ほんとにそうだったんだ」
「うわあ墓穴!!」
「まぁまぁ。みんな初めては通るんだからさ」
「そうだけどさ!!今まで俺経験豊富ですみたいな余裕な態度みたいな頑張ってたのすごく恥ずかしい!!」
「大丈夫だって、そんなところも可愛いよ」
「あああなんか違う!これなんか違う!!」
及川くん、
助けにきたよ
あたしはあんたのヒーローだから
「……名前はどーなの」
「なにが?」
「経験、あんの?」
「どうだろうね」
「へ」
「うわ、時間やば!早く帰るよ徹!」
「嘘でしょ?嘘だよね?!俺が初めての相手だよね?!!そうだよね?!!そうだって言って!!」
「うるさいなぁもう、はいはいそうですよー未経験でーす」
「嘘だ!!」
「あんたなんなの」