東峰くん、笑ってよ
あー、くっそ。油断した。いきなし顔面は予想外だったわ。「おいっ!何やってる?!」
「…やべっ、」
「くそ、行くぞ!」
「あ、おい待て!」
遠くから誰かの声がして、群がっていた男子達が一斉に散らばって言った。身体はまだ全身がジンジンしてて立てそうにない。誰も来んな。そんなあたしの願いなどお構いなしに、足音は近づいてきた。
「うわっ…」
「ひどいな…」
「ひいいいだ、だだだいじょうぶ?!ひゃ、ひゃくとおっ…警察?!」
「…いや、どっちかっつったらこの場合医者じゃないの」
あたしを見下ろす三人のうちの一人があまりに間抜けなこと言うから思わずつっこんじゃったじゃんかよ。他二人はそんなの聞こえてないのか敢えて無視してんのかわかんないけど、あたしに向かって大丈夫かと心配そうな顔で聞いてきた。あたしカッコ悪。こんなナリでも意地だけは健在だったから無理やり立ち上がって「なんともない」って返した。
「いや嘘だろ」
「嘘じゃない。全然平気、マジ余裕。それじゃ」
ヒラヒラと手を振って、もう片方の手はブレザーのポケットに突っ込んで歩き出す。思うように動かない足はなんだか自分のものじゃないような感覚だ。折角立ち上がったのに、あっという間にまた地面に膝をついた。情けな。
「あっ、ホラ!」
「言わんこっちゃねぇ!」
「大丈夫だっつの。こっち見んな」
ジロリと三人を睨んでから、口の中に溜まった血をぷっと土の上に吐き出す。それでもすぐにまた鉄の味が広がる。あー、完全に切れてんな。
「うわあああやばいんじゃない?なぁやばいよな!?保健室!?」
「やっとまともなこと言ったな旭」
「おいっ、旭!」
あああと奇声を上げてあからさまにうろたえ始めたクラスメイトの顔は真っ青だ。今行こうすぐ行こう!と誰に言っているんだかわからない言葉を発した彼はあたしのすぐ傍でしゃがみこみ、太ももに両腕を回してグっとそのまま立ち上がる。そして抗議の声を上げる間もなく勢い良く走り始めた。おお、なんだコレ。運ばれてる。黒い短髪と泣きボクロの少年がどんどん小さくなっていく。
「おっし、コレでいーだろ」
「…どうも」
「顔が全然どうもって言ってないよ」
鋭いこと言いやがるこの泣きボクロ…じゃない、スガワラくん。手当てしてくれた人はサワムラくんと言うらしい。頼んでも無いのに自己紹介とかされた。どーせ三日もたてば忘れちゃうだろうと思ってあたしは名乗らずにいたのに、同じクラスの東峰が一瞬にしてバラしやがった。てめぇは助け呼んで来たり保健室連れてきたり、余計なことしかしねぇな。
「旭が目撃して俺ら呼んでこなかったらどうなってたと思うんだよ」
「さぁ。殴られ続けてたかもね」
「かもじゃない!もっとひどい傷負わされてたかもしれないんだぞ!」
「うるさいな。誰と喧嘩しようがあたしの勝手だろーが」
「喧嘩ってよりリンチだろ、あれじゃ」
「なんだろーがあんたらに関係ないっつってんだよ、いい加減にしろよ」
「な、なぁ、次スガ達移動だろ?名字はあと俺が診るから、行っていいよ」
「…頼んだぞ」
「もーヤンチャすんなよー」
「うるせーバーカ」
本格的に切れそうになったとき、間に東峰が入ってきてさっさとサワムラくん達を追い払ってしまった。いや、あんたも行けよ。
「…ごめんな、あいつら良い奴らだから、嫌いになんないでな」
「あたしにとっちゃ良い奴でもなんでもないんだけど」
「なんでそんなに助けられるの嫌なんだよ」
「こっちから吹っかけたんだから、自分で受け止めんの当たり前だろが」
「女の子が喧嘩なんてするなよ…」
サワムラくんがやり残したヒザの手当てをしながら東峰が言う。デッカイ図体に老けたツラしてるくせに喋り方はまるで母親だ。きっとスガワラくんとかサワムラくんが言ってることと同じ意味のことを言ってるんだろうけど、こいつには口答えする気がおきなかった。
「大体なんで男子4人に喧嘩なんて吹っかけたんだよ」
「あぁ?あいつらがダサいことしてて胸糞悪かったから」
「だからって無謀だろ」
「別に。いつもだし」
喧嘩なんて日常だ。同じ高校の他クラスの柄悪いやつ、後輩たち、他校の女達、その他もろもろ。大体自分から吹っかけて、サシの時は大体勝ってる。女相手なら複数でも勝てるときがある。どうやらあたしは心ん中で呟いてるつもりが口に出てしまっているようで、それが引き金になることがほとんどだった。でも悪気はないし、そんなこと言われるようなことやってるそいつらが悪いと思う。たかだかペンの一本二本万引きしていきがってる餓鬼とか、気に入らない奴弱い奴を寄って集って殴りだす奴とか、自分の男取られたから切れる女とか。今日も今日とて、いかにもイジメラレッコな風貌のメガネ男子を4人で脅してたのを見かけたからダセェことしてんなよって通りすがりに言ったのがキッカケだった。自分ひとりの力じゃなんにも出来ないくせに、自分は強いみたいにいきがる奴は見てて本当に腹が立つ。無意味にイラつくから見えねぇところでやれよと思うのだ。
「へぇ、優しいんだなぁ、名字は」
「はぁ?あんた、今の話のどこ聞いてたらンな風に思うわけ」
「だって、自分じゃなく他人のことで怒ってるんだろ?充分優しいよ」
「だから自分がイラつくからやってんだって」
「どっちにしたって助けられた方は感謝してると思うよ?」
それはどうだろうな。今まで何回か今日みたいなことあって、弱そうな奴を結果的に助けたことがあるけど、誰も礼なんか言わない。言って欲しいわけじゃないからいいけど、感謝どころかあいつらは怯えた目であたしを一瞥して転がるように走って逃げてく。次の日からは避けるように歩かれたり、陰でなんか言われてたり。あぁ、こいつらも殴りてぇって何回思ったことか。でもそれじゃぁイヨイヨ無差別とか言われそうだから何もしないだけ。まぁ人間なんてそんなもんだ。どんなにいいことしようが、印象なんてそんな簡単にかわんねぇなって話。
「俺、名字ってもっと怖いやつだと思ってたよー」
「今は思ってないんだ?」
「うん。結構女子だった」
嘘つけよと言って笑ってやるつもりが拍子抜けした。はぁ?こいつ色々おかしいんかな。何をどう感じたらあたしのこと女子とか思うわけ。このヒゲ謎過ぎる。
「お、今日は怪我してないなー」
「毎日喧嘩してるわけじゃないし」
「昨日はしてきてただろ?」
「アレは向こうが悪い」
「いつもそう言ってるよ、名字」
あの日から、東峰は何かと話かけてくる。喧嘩をして登校したときは必ず血相変えてオロオロしながら保健室へ連行される。おかげで保健室の先生には名前を覚えられた。名字さんセットなるものまで作られて、中には包帯やら絆創膏やらが沢山入っていた。最初こそ抵抗していたあたしも、段々面倒くさくなってきてされるがままにしている。こいつもよく飽きないよなぁと思いながら、眉を下げて大きい身体を丸めてあたしのヒザやらスネに絆創膏を張る東峰を見下ろすのだ。
「名字!」
「放課後、中庭来いよ」
帰りのホームルーム直前、教室に入ろうとしたところで見知らぬ男子生徒二人にそう告げられた。知らない奴にこういわれる時は大体復讐だ。彼女に頼まれたとか仲間がやられたとか。自分で来いよと思うけれど売られたのなら買うしかない。二人、もしくはそれ以上いることを想定してどう潜り抜けようかそれだけを考えた。話の短いうちの担任が日直に号令を促す。小さく礼をして手ぶらでドアへ歩き始めた。
「何処行くの」
「中庭」
「さっきの奴らのとこ、行くのか」
「あんたには関係ないって」
「ある」
ズイ、と前に立たれてしまえばソレは大きな壁のようで。あたしより随分上にある顔を見上げると神妙な顔をした東峰がいた。今まで青くなったり困ったり、情けない表情しかみたことなかったから正直驚いた。こんな顔もできるんだ。
「どいて」
「どかない」
「なに言ってんの?邪魔だってば」
「行かせない」
「ふざけんな、どけよ!」
「心配だから言ってるんだろ!」
荒げた声よりさらに大きな声でそう言われて、あたりがシンとなる。あたしはと言うとビビったわけでも怯んだわけでもなく、ただ驚いていた。あぁ、こいつ怒ってんだなと冷静な自分がそう言っていた。真っ直ぐあたしを見据える目が揺らぐことは無い。勝てないな。すぐにそう悟った。「わかった、行かない」小さくそう言うと東峰の顔がみるみる柔らかくなって、あっという間にいつもの弱っちぃ情けない困り顔に戻った。どっちが本当のあんたなの。
「名字、」
「…なに」
「気をつけて帰れよ」
乱暴に鞄を肩にかけて東峰の横を通り抜けると、後ろからそんな言葉が聞こえた。うるさい。ほんとうるさい。なんなの。少し黙ってよ。振り返らないで早足で廊下を歩く。どきどきどきどきすっごいうるさい。耳障りなこれを止める方法誰か教えてよ。
「東峰ー!今度試合あんだって?」
「おー、そうなんだよ」
「観に行っていいー?」
「もちろん、応援してくれたらみんな喜ぶよ」
結局昨日全然眠れなくて、朝暇だったから久しぶりに遅刻しないで学校に来た。教室にはすでに東峰がいて、その姿を見つけたあたしはまた不快な感覚に襲われる。心臓痛い。うるさい。あたしの視界に入んじゃねぇよと思ってるのに目は東峰を追う。二人の女子と楽しそうに話してる。そういえば、笑った顔なんて初めて見たかも。あたしと東峰が一緒にいるのは大抵あたしが怪我したときで、大体いっつも眉がハの字に下がった顔か、困ったような泣きそうな顔ばっかりしてる。それと、怒った顔。そんくらいしか見たことなかったな。そんな顔ばっか、あたしがさせてんのか。
「名字、おはよー」
「……おはよう」
「今日はちゃんと朝から来たんだな。喧嘩もしてないし、偉い」
「誰かさんがうるさいからね」
「じゃぁもっとうるさくなろうかな」
「はぁ?」
「毎日ちゃんと学校来いよとか、授業ちゃんと出るんだぞとか」
「マジ勘弁」
「一緒に卒業したいからさ。頑張ろうよ」
「……やれればね」
「今日ちゃんと来れたんだから、できるよ。大丈夫」
ニカっと笑って見えた白い歯が眩しい。なんなのこの人、キラキラしすぎ。直視できない。あ、でも初めて笑ってくれた。あたしと話して、初めて。なんだよ、こんなことで笑うわけ。朝、いつもよりちょっと早く起きて早く来るだけでこんな笑顔してくれちゃうわけ。そんなら別に、頑張ってやらないこともない。
東峰くん、笑ってよ
そん時のどきどきは、嫌いじゃない
「お、名字おはよー」
「……」
「今日も来れたなー。偉い偉い」
「撫でんな」
「なんかさぁ、俺名字のこと全然怖くないんだよね。小さいからかな」
「死ね」
「ひどっ!」