好きだよ、松川くん

「名字さぁ」
「うん?」
「彼氏と別れたの?」



なんとまぁ。そんな昔の話をされるとは思わなかった。姿を潜めていた傷がチクリと少し痛んだ。



「松川ってもっとデリカシーある人かと思ってたわぁ」
「んー、まぁ、友達には気ぃ使うけどさ」
「あれ、あたし松川のこと友達だと思ってたんだけどまさかの一方通行」
「好きな奴がフリーかもって聞いたら確認せざるを得ないよね」



ふーん、って普通に流すとこだった。びっくりしすぎて二度見しちゃったよ。松川はいつも通りの顔してるし何かの間違いかと思うけど念のため確認しておく。



「どういう意味?」
「そのまんまだけど」
「そのまんま…」
「俺はお前が好きってこと」
「あらまぁ」



ふざけているつもりはこれっぽっちもないのだけれど、あたしの残念な頭じゃこんな言葉しか思い浮かばなかったんだ。許せ。いきなりのことすぎてなんて返すのが正解かもわからず、ただ松川をジッと見つめる。はぁ、とため息をついてもう一度こっちを見た松川は、さっきまでの表情と一変してとても真面目な顔をしていた。ドキ、と心臓が大きく跳ねて、胸がざわざわし始めた。



「まぁ、返事はすぐじゃなくていいよ」
「…えーと、」
「俺、本気だから」
「うっ」
「惚れさせるから、覚悟しといて」



たぶんこんなこと言われて惚れない女なんていないと思うんだ。こいつ背ぇ高いしイケメンだしなんか色っぽいし頭良いしバレー部じゃレギュラーだし百点満点じゃん。好きにならない方がオカシイじゃん。それでも彼の告白にウンと頷けないのは、胸の奥の傷跡が痛むからだ。恋独特の胸の高鳴りと共に警鐘のごとくズキズキと痛みを増していく。



「あ?あぁ、あいつね。あんなの本気で好きなワケねぇじゃん」
「えー、でも付き合ってるじゃん」
「すぐヤれそーだったからさ。実際、押しに弱かったしソッコー食った」
「サイテー」
「でももう飽きたしさぁ、お前が付き合ってくれんならさっさと別れるんだけど」
「どーしよっかなぁ」
「いーじゃん。お前可愛いし、どストライクなんだよね」
「それ言われちゃ断れないわー」
「まじ!やった!これであのブスともさよならできるわー」
「あはは、サイテー」



おう、マジで最低野郎だな。今のあたしならそのくらい言ってやれたけれど、あの頃は度胸も何も無かったのだ。ただ純粋に恋をしていて、初めてのことに浮かれすぎていた。密かに憧れていた二つ上の先輩に告白されて、まるで夢のような毎日を送っていた1年生の夏。誰かと付き合うなんてことが初体験だったあたしは毎日のメールや電話にすら死ぬほど幸せを感じていて、キスなんてしようもんならこのまま死んでもいいと割りと本気で思っていた。デートを2、3回経て先輩の家に呼ばれて初めても捧げた。付き合って日は浅かったけれどそれだけ先輩はあたしを好きでいてくれているんだと思っていたし、だから痛くても我慢できた。それ以降はほぼ毎日のように所構わず求められ、ただ痛いだけのその行為に無理やり愛を見出して自分を納得させていた。あたしは愛されているからこうされているんだとそんな幻想が打ち砕かれたのは先輩が卒業する2ヶ月ほど前で、空き教室へ入っていく先輩を見つけて声をかけようと後を追ったとき。中から女の人の声が聞こえて足を止めたあたしは入り口の脇に立ちその人が去るのを待っていた。楽しそうに談笑する二人は中々解散せず、痺れをきらして様子を伺おうと静かに顔だけを覗かせた。イスに座る先輩のヒザに跨り、今にもキスしそうな距離で話をする二人をみて頭を鈍器で殴られたみたいな衝撃が走った。そして散々あたしのことをブスだの性欲処理だのと暴言を吐いてから彼らは無事に付き合うこととなったらしい。にも関わらず、先輩は一向に別れようとは言ってこなかった。アレはなんだったんだ、しつこいあの人を黙らせるためのウソだったのだろうか。芝居だったのか。疑問を抱きながらも求められれば断れずにいたあたしは泣きながら抱かれてた。そろそろ心が壊れそうだなと思ったとき、卒業を理由にあたしから別れを切り出した。騙されるふりをするのにも自分を騙すのにも疲れ果てていた。先輩はどうしてだと必死に食らいついてきたけれど、あまりに滑稽なその姿をそれ以上見たくなくて何も言わずに走って逃げた。それからというもの、恋をするのに自信がない。相手を信じることも、そもそもあたしなんてという考えが離れてくれないのだ。



「名字、」
「あ、えっと、なに」
「ノート見せてくんない?こないだ休んだとこの」
「あぁ、いいよ。ハイ」



そして話は現在に戻るが、あんなこと言っていた割に松川は普通だ。気まずくなったりアプローチしてくるわけでもなく、いつも通り。それが逆にあたしの調子を狂わせているのだけどそれは今はおいて置こう。松川とは2年の時から同じクラスでなんだかんだ良く話していた。落ち着いていて優しくて、話は面白い。ボロボロに傷ついていたあたしが捻くれて根暗な人間にならなかったのは恐らく松川がいたからだ。こんな人が彼氏だったらきっと幸せなんだろうなぁと考えたことが無いわけではない。彼氏がいたとはいえデートはファミレスにしか行ったことのないあたしには、恋人としてみたいことは沢山ある。その相手が松川だったら、と妄想したのは事実だ。でも、好きかもしれないのすぐあとには、また同じことになるかもしれないと臆病な自分が顔をだす。先輩の時だってそうだった。この人と付き合えたらどんなに幸せかって、同じように想像していたじゃないか。その結果がアレだ。もう裏切られたくない。夢中で誰かを好きになるのは怖いから、もうしたくない。恋をしたいあたしと関わりたくないあたし。どっちが本当か、たぶん両方本当だから先に進めないのだ。



「今日さ、一緒に帰んない?」
「えっ」
「…あからさまに困った顔すんなよ、傷つくから」
「ご、ごめん…」
「今だけはこないだのこと忘れていいから普通にしてよ」



ただ話しながら帰りたいだけだから。優しく笑う松川をみて緊張がとけて、ふっと肩の力が抜けた。首を立てにふって隣に並べば歩幅をあわせて歩いてくれる。そんな些細なことでもとても嬉しくて、この時だけは純粋に松川を好きだと思える気がした。



「それじゃぁあたしコッチだから」
「おう、気をつけてな」
「松川もね」
「何をだよ」
「不審者とか」
「そらお前だろ」
「遭遇したら助けて」
「どうすっかな」
「オイ」



松川との時間は心がぽかぽかする。こんなバカみたいなこと言い合ったりとか他愛ない話しながら歩く帰り道も、恋人としてみたいことのひとつだった。松川とできて良かったなぁ。もうここまできてしまえば彼を好きなことなんてとっくに理解してるのに、踏み出せないあたしは臆病者だ。恋愛に限らず人と関わりあっていくことには傷つけることも傷つけられることも当たり前のことだと思うのに。早くここを離れなくては後戻りできなくなりそうで、でもまだまだ一緒にいたくて本音と防衛本能が戦っている。どっちが勝ったかなんて言うまでもなく、勇気のないあたしはくるりと反対方向へ身体を向けて歩き始めていた。…まぁいい、これで良かったのだ。



「名前」
「…え、」



名前を呼ばれて顔を上げたら、とても懐かしい人が目の前に立っていた。思い出したくも無いその人物はまさに今あたしを悩ませている種を植え付けていった彼で、なんでここにとか、どうして声かけてきたんだとか、色んな疑問が浮かんでは弾けていった。傷口からじわじわ血がにじみ出ていくような感覚。息が詰まりそうだ。



「迎えに来た」
「…は」
「やり直そうぜ、俺ら」
「え、嫌です」



頭で鳴り狂うサイレンはあたしを少しだけ強気にしてくれて、あの頃じゃとても言えなかった拒絶の言葉をいとも簡単に吐き出した。面食らったような顔をした先輩は言葉を失っているようで、口をポカンとあけたままあたしを見ている。何を今更。というかあんなこと散々言っておいてよくそんな提案できるなと呆れて笑いすらこみ上げてきた。



「何でだよ、お前俺のこと好きだろ?」
「あぁまぁあの頃は」
「今は違うのかよ」
「そりゃぁ、もう2年前の話ですし」
「でも付き合ってる奴いねぇんだろ?」
「だからなんですか」
「そりゃそうだよな、お前みたいなブス誰も付き合ってくんねぇだろ」



カっと身体が熱くなって、じんわりと水分が目にこみ上げてくるのが分かる。なんでお前なんかにそんなこと言われなくちゃいけないんだよ。でもここで泣くのは悔しいから先輩の横を通り過ぎようとした。けれど彼の腕がそうはさせてくれなくて、後ろから羽交い絞めにされ歩みを進めることができなくなる。予想以上に力を込められて少し苦しい。先輩の空いている手がスカートに延びて全身の血の気が引いた。ちょっと待って、ここ外だけど。いや、外じゃないならいいとかそういうことじゃ全然無いけど、というかなんでこんなことになってるの。



「離してください!」
「誰も相手してやんねぇから俺がしてやってんだろ。大人しくしてろよ」
「頼んでませんから!っていうか、付き合ってる人いたじゃないですか!」
「あー、別れた」



だからかよ!悠長に突っ込みいれてる場合ではない。ここは道路だし住宅地だから誰に見られるやも分かったもんじゃない。大体この人に触れられているというだけで吐き気がしそうなのに、これ以上はもう本当に無理だ。けれど力じゃ到底かなうはずもないし、大声あげて近所の人にこんなところ見られるのも嫌だった。兎に角必死に下半身を行ったり来たりする手を払いのけるしか出来ずにいた。大方彼女にフラれて行くあてが無くて、ふとあたしを思い出したからここに来たんだろう。彼はそういう人だ。あの時別れないと頑なに言っていたのだって、あたしという性欲の捌け口をそばに置いておきたかっただけなのだから。



「何してんの?」



彼のではない低い声が聞こえて、バッと顔を向けたらやたらと背の高い人がそこにいた。通り過ぎ行く自転車のライトで一瞬映し出されたその姿は確かに松川で、堪えていた涙がひとつポロリと零れた。



「まつかわ、」
「ん、わかった」



何も言ってないのに彼はそう言って、背中で固まる先輩とあたしの肩に手をかけて引き離す。そしてようやく空いた先輩との隙間に松川が身体を滑り込ませ庇うようにあたしを自分の背に追いやった。ぎゅっと制服を掴んで顔を押し付ける。あぁ、怖かった。先輩と松川が何か言い合いしているのは分かったけれど、震える自分をどうにかするのに必死で内容は頭に入ってこなかった。浅い息を繰り返して自身を静めていたら、松川が反転してこちらを向いた。見上げる前にぎゅぅと抱きしめられる。ぬくもりとか心音を感じるように目を閉じれば、びっくりするくらいあっという間に震えが止まった。



「落ち着いた?」
「うん、ありがとう」
「さっきの、何?」
「…前の、彼氏」
「そうなの?ブスとか聞こえたけど」



沈黙が訪れて、観念したあたしは今までのことを全部話した。本気で好きだったことも裏切られてどうしようもなく傷ついたことも臆病になってしまったことも。そんなつもりなかったのに子供みたいに泣きじゃくるあたしを撫でて、そうだよな、と一言松川が呟いた。そんなことかよ、とか、はたまた辛かったよなとか、そんなありきたりな言葉を言われると思っていたあたしはそれに驚いた。そうだよなって?不思議そうに見つめていたのだろう。松川がまた撫でながら、「そりゃ自信もなくすし怖くもなるよなってこと」と付け足した。



「俺はさぁ、お前の飾らないところ好きだよ。女子らしくしようとか振舞わないところ」
「…褒められてんのかな」
「でも女子と話してるとき笑ってるお前はやっぱり女の子ですっげぇ可愛いと思ったし、何にも無いところでつまずいたりするところも抜けてて可愛い」
「見てたんかい。助けろよ」
「うん、そーいうノリも好き」



腰をかがめて目線を合わせながら、松川は恥ずかしげもなく色んなことを好きという。そんなところまで、と思ってしまうようなところまで。本当に何気ないひとつひとつを挙げては好きと言うものだからまた涙が目を覆った。もういい、もういいよわかったから。これ以上言われたら嬉しくてまた泣き出してしまいそうだ。



「きっとこれから知っていく嫌なトコもいいとこも、全部ひっくるめて好きになるんだと思うからさ」
「…なにそれ」
「俺、本当にお前のこと好きだよ」
「…っそんなの、彼氏にも、言われたことないよ…」
「当たり前だろ。そいつより俺の方が本当のお前のこと見てきたんだから」
「……ほんと、…なんなの」
「なぁ、お前は?」



好きだよ、松川くん
やっと言えた、ずっと前から想ってたこと



「マジで長かった…」
「ごめんね」
「いいけど。ちゃんと付き合えたし」
「ていうか、なんで松川あそこにいたの?」
「ノート返そうと思って」
「あ、忘れてた」
「お前は絶対送らせてくれないだろうから、ノート返すの口実にしようと思って渡さなかった」
「…そこまで…」
「なに?」
「いや、なんでもない」
「そこまでして?って思った?」
「……まぁ」
「本気になりゃなんだってすんだよ俺は」
「そっか」
「なぁもっかい言って」
「何を?」
「好きって」
「…」
「助けたお礼」
「……、好き」
「うん、俺も」