vs.お母様

ぐぅ。腹の虫が鳴くたび、名前が申し訳なさそうな顔で俺を覗き込む。そんな顔するんじゃない、襲いたくなるから。俺としてはもう毎度のことなので慣れつつあるが、それでも名前は気になるらしかった。大丈夫の意を込めて頭をひと撫でしてからインターホンを押す。「はいはーい」陽気な声が聞こえてきた。


「こんにちは」
「いらっしゃい一静くん!寒かったでしょう?入って!」
「はい、お邪魔します」
「名前もおかえり!」
「うん、ただいま…」
「あらアンタ具合悪いの?元気ないじゃない」
「はは、そんなことないよ」


おい、棒読みだ。顔が死んでるぞ。肘で横腹を軽くつつくと、だって、とでも言いたげな目線を投げて寄越す。お前がそんなでどうする。戦うのは俺だ、心配するな。


「もう少しで出来るから、座って待っててくれる?名前は手伝ってね!」
「はーい…」
「ありがとうございます」
「おー、来たか一静!」
「お久しぶりです、お義父さん」
「相変わらずデッカいなぁ」
「場所とっちゃってスミマセン」
「今じゃあいつと二人で広すぎるからな、丁度いいよ!」
「これ、この間出張行った時買った日本酒です。口に合うかどうかわからないですけど」
「悪いナァいっつも。おし、今日はコレからいくか!名前ー、猪口二つもってこい!」
「ハイハイ」


トン、と前に置かれたお猪口になみなみと透明がそそがれる。そっとテーブルを滑らせて乾杯してから、一緒のタイミングで猪口に口をつけた。うん、美味い。


「美味いなぁコレ!」
「一番人気って書いてあっただけあります」
「お父さんに飲ませすぎないでよね、一静!」
「って言ってますが?」
「あー良いの、無視無視」


あっという間にカラっぽになった猪口に注がれる日本酒。お義父さんと笑い話をしながら飲むのが堪らなく好きな俺はこの時間がとても幸せだったりする。願わくばこの時間だけが続いてくれれば良い。毎度思う。そしてその願いは当たり前だが、毎度聞き入れられないのだ。部屋の中にキッチンタイマーの音が響く。さぁ、火蓋は切って落とされた。


「お待たせ!今回も張り切ったわよぉ!」
「お前は毎回毎回、一体なんだってこんなに作るんだ!」
「いやだぁ、あんたに作ったんじゃないわよ!さっ、遠慮しないで食べてね、一静くん!」
「はい、いただきます」


4人が使うにしては広すぎるテーブルに所狭しと並ぶ料理たち。そのひとつひとつはとても綺麗で食欲をそそられるが、盛られている量は軽く8人分はありそうだ。チラリとキッチンへ目をむければ、並べきれなかったものたちが湯気を昇らせながら出番を待っている。まずこれだけで胃の10パーセントは食べた気分になれた。


「一静くん遠くて取れないでしょ?どれ食べる?」
「えーと」
「お、お母さん、あたしやるからいいよ!」
「いいじゃないの!たまのことなんだからお母さんにやらせてよ」
「あ、じゃぁその煮物いただきます」
「これね!傑作なのよ〜コレ!」
「ちょっと、盛りすぎ!」
「いちいちうるさい子ねぇ。ごめんねぇ、この子口うるさいでしょう?」
「お母さんに似たの!」
「失礼しちゃう!あっ、これも美味しいから食べて!」
「ありがとうございます」


取り皿いっぱいに載せられた食材たちに順番に箸をつけていく。早すぎず、遅すぎず。ペース配分を考えながら食す。チラチラと俺の皿を気にするお義母さんの視線にも大分慣れた。そして10分ほどかけて空けた皿は再びいっぱいになって戻ってくる。第2回戦だ。今日は一体何回戦まであるだろうか。先の見えない戦いは始まったばかりである。


「……」
「…名前、無理すんな」
「…でも」
「俺まだいけるから」
「…本当ごめん…」


食事開始から1時間半。「俺はもういらないよ〜」と顔を赤くして早々に戦線離脱したお義父さんは日本酒片手に野球を見ている。料理はまだ半分ほど残っていて、名前はそれをなんとか減らそうと奮闘してくれたがいよいよヤバイらしい。無言になってしまった。お義母さんが電話で席をたっている隙に短く言葉を交わし、名前もまた箸を置いたのだった。


「ごめんね…うちに男兄弟がいないばっかりに…」
「いいって。美味いし」
「でもさ…!美味しいだけで乗り越えられる量を超えてるよ!?」
「…言うな」


名前と結婚させてくださいと告げに言った日、二人は大いに喜んでくれた。そしてお祝いと称してお義母さんが夕飯を振舞ってくれたわけだが、その時の料理がまた美味しかったのだ。どこぞの有名シェフが作ったフレンチ料理なんかより俺はお義母さんの作ってくれた料理が気に入って、美味い美味いと言いながらペロリと平らげた。男の子供がいなかったお義母さんにとってはソレがとても衝撃的で、且つ嬉しかったのだと思う。一品、また一品、遊びに来るたびに品数は増えていき、いつしかこうなってしまった。それでも笑顔で「いっぱい食べてね」と言われてしまえば「もう食べれません」なんて言える訳が無く。編み出した対処法は「当日の朝昼は抜く」というシンプルなものだ。けどまぁ、太刀打ちできたのは先々月あたりくらいまでで、お義母さんは常にレベルアップしていた。今にも振ってしまいそうな白旗は、シュンとしている名前をみることで辛うじて押さえ込んでいる。まだだ。まだいけんだろ。本気を出せ、俺。


「そうそう!忘れるところだった!これ出さなくちゃね」
「…あ、」
「はい、一静くんの大好物!特大にしといたわよ〜!」



vs.お母さま



「…腹キッツ」
「ごめんね、本当にごめんね、もう来年まで来ないようにしようね…!」
「そら無理だろ」
「もうホントやだ・・・!こんなんじゃ一静が牛になっちゃう…!」
「松川牛」
「松坂牛みたいに言わないで!」
「まぁいいじゃん、あんな喜んでくれんだし」
「一静に無理させたくないの!」
「じゃぁ家帰ったら運動付き合って」
「………」
「なーに赤くなってんの?先月のこと思い出した?」
「よっ…、余所見しないでっ!前みて運転してっ!」