ハートの奥に直接届け

「バレンタインなんて滅びればいいよね」
「お前ね、両手いっぱいにチョコ抱えて何言ってんの?」
「地獄に落ちろ」
「地獄も迷惑だろ」
「岩ちゃん…」


朝から勘弁してくれ。一歩前に進むたびに知らない女子社員に行く手を阻まれて、随分前に会社に着いたはずなのにシステム部についたのは時間ギリギリだった。これから仕事だっていうのに愛想笑いとありがとうの棒読みでもはや疲れた。さっきから頭を占めるのは文句ばっかりだ。


「いいよねマッキーたちはさ、さっさと本命にもらえて」
「まぁね」
「お前もうちの会社で彼女作れば?」
「俺は名前だけなんですぅー」
「じゃぁ文句言ってんじゃねぇよ」


なんだよ皆して!マッキーもまっつんも早々に可愛い包みを彼女からもらっていたし、岩ちゃんに関しては家に帰れば彼女がご飯作って待ってるなんて始末。俺はといえば休みも時間も合わなくて先週から会えずにいる。今日も今日とて残業があるだろうし、家に帰れるのは20時過ぎになるだろう。その分明日から3連休が待っているけれど、彼女は普通に仕事だし。そんなこんなで今日など滅びればいいと心底思うのだ。


「あ、やば」
「どうした」
「ループぬけらんない」
「まじか」
「お疲れ」
「えー!ちょっと、助けてくんないの?」
「俺は今日はムリ」
「彼女待ってるもんネ」
「俺も今日は帰るわー」
「薄情もの…!」


イライラが8割を占めている脳みそで考えながら作り上げたプログラムを動かしたが一向に結果が返ってこない。一旦落としてからデバッグをかければ見事に同じところをぐるぐると巡っていた。あぁ、これは時間かかるやつだとなんとなく直感するも薄情ものの幼馴染と高校時代からの友人はさっさと帰り支度をしていた。恨んでやる、と睨みつけるが効果はなし。あっという間にこの場を
立ち去っていった。


「どこでハマったの?」
「ここ…」
「ふぅん。……間違ってなさそーだけどなぁ」
「だからタチ悪いんだよ…」
「まっ、違う目でみりゃ見つかるってこともあんだろ。お前これやって」
「え、まっつん帰んないの?」
「おー。今日はあいつ女子会やるっつってたし、遅くなるらしーから」
「…ちゅーしていい?」
「やめろ」


捨てる神あれば拾う神ありってのはこのことだね!俄然やる気が出てきた。場所を交換して別のプログラムとの戦いを始める。しばらく、室内ではカタカタとキーボードを打つ音だけが聞こえていた。


「及川、携帯」
「へ、俺?」
「うん。俺のみたけどなんもなかった」
「…あ、」
「いってらっしゃい」


それから数時間、窓の向こうはすっかり暗くなっていた。没頭していたらしく電話が鳴っていることに気づかなかった。手に取った携帯の画面は彼女の名前をうつし出していて、慌てて席をたち部屋をでた。


「もしもし?」
『ごめん、仕事中だった?』
「うん、大丈夫だよ。どした?」
『…いや、なんでもない。』
「嘘、なんかあるでしょ絶対」
『…チョコ、家に届けておいたから。』
「…え、ほんと?」
『そんだけ、じゃぁね。』


ブツッ。あれっ、切られた。切られたね?これは多分かけ直しても出てもらえないパターンのやつだ。けどなに?わざわざ家までチョコ届けてくれたの?この寒い中?帰りに家まで寄ってくれたんだ?バレンタイン滅べとか言ってホントごめんなさい嘘です、バレンタイン万歳!


「まっつん!」
「おー、おかえり。そーいやさっきのだけど」
「そっこーで終わらせて帰ろう!」
「…はいはい」
「で、なに?なんか言ってたよね」
「もーいい。俺がこれ作るからお前そっち終わらせて」
「了解!」


モチベーションというのは仕事をやる上で本当に重要なのだと思った。さっきまでと今じゃ指の動く速度が段違いだ。瞬く間に組み終えたそれを動かしてみればバッチリ欲しい値が返ってきたし、完璧。まっつんの方もどうやら順調に進んだようで、パソコンはシャットダウンの最中だった。


「まっつんマジで助かった、ありがとう!」
「いーよ、今度なんか奢ってもらうから」
「あ、…うん」
「そんじゃぁな。浮かれて事故んなよ」
「不吉な…」


それじゃぁ、と軽く手を上げて駅前で解散する。今年は何を作ってくれたんだろう。前に作ってくれたコーヒーのパウンドケーキ、あれ美味しかったからあれでもいいな。でも一回作ったやつは作りたくないって言ってたし、別のものかも?まだ見ぬバレンタインの贈り物に思いを馳せていたらあっという間に駅についた。家までの道のりも少し早足になっている自分がちょっと恥ずかしかった。初めて彼女が出来た高校生みたいだな、と自分で自分を笑ってしまう。歩くこと15分、漸くたどり着いたマンションのエレベーターに乗り込む。5階の自分の部屋の取っ手には、大き目の紙袋がぶらりと下がっていた。おお、結構大きいな。なんだろう。ズシ、とそれなりの重さの袋を持って部屋に入って玄関の電気をつける。待ちきれなくてその場で紙袋の中身を覗き込んだ。


「…え」


確かに。確かにこれはチョコレートだ。紛うことなきチョコレート。しかし、それは製造されたそのままの形をしている。これは何かのフェイクだろうとしゃがみこんで床に一枚ずつ並べていった。板チョコ20枚。これが紙袋の中身だった。嘘でしょ?ちょっと待ってちょっと待って、いや別にいいよ。もらえたことに変わりないからね。うん。でも、え、まさかの板チョコ?そのまんま?まじか。これはさすがに鼻血でちゃいそうだよ及川さん。こんなに大量の板チョコをもらった経験なんてないので消費の方法に困る。俺自分で作れってこと?難易度高くない?せめてレシピくらい入れてくれていやしないかとダメもとで紙袋をひっくり返したら、カサリと紙が一枚落ちてきた。これでホントにレシピ書いてあったら俺は泣く。そんなことを思いながら、恐る恐る紙を広げた。


『このチョコを持ってうちに来たらお菓子になります』


あぁなるほど、ハートを掴むのにこんな方法もあったんだ。まったくいつまで経っても彼女には敵いそうにない。


『…もしもし?』
「お前ね、これ以上俺をどうしたいの?」
『意味わかんないから切っていい?』
「会いたいならそう言いなよ」
『……それ、期限今日までだから』
「分かったよ。あと1時間待ってて」
『明日と明後日、休み取った』
「えっ」
『じゃぁね、着いたら教えて』