白線は手を繋いで飛び越えるもの

及川はこの先も続けると言った。彼のバレーボールの道が終わることはないけれど、「青葉城西高校」の名を背負っての闘いは、静かに、確かに幕を下ろしたのだ。


「…眩しい」
「だから屋上行こうって言ったのに」


放課後の中庭。花壇の縁に、足を前に投げ出して座る。見事な夕日は煌々と輝きながら、まるで私たちにスポットライトを当てるかのように目の前を陣取っていた。月曜日でもないのにこの時間に二人でいるのは、なんだか変な感じだ。きっとこの感覚に慣れる頃には冬が来て、受験という戦争に身を投じなければならない私と、体が鈍らないよう後輩たちの練習に向かう及川はまた別々に帰る日が始まるんだろう。卒業までにあと何回こうして夕日を見れるだろうか。ちらりと横の顔を伺うと、文句を言っていたくせにしっかりと目をあけて、前をみる及川がいた。


「迷ってる」
「何を?」
「大学」
「へぇ」


知ってたけど。畳の上に何冊も無造作に置かれていた大学のパンフレットが、二週間後には二冊だけになっていた。三日前に部屋へ訪れたときは、場所が机の上に変わっていただけで、数は減っていなかった。両方とも名前の知っている学校だった。ひとつは地元で、ひとつは県外。都内にあるその大学はプロも輩出しており、彼なら迷わずそこを選ぶだろうと勝手に思っていた。しかし、彼には彼の考えがあるのだろう。どんなに一緒にいようとも、そばで彼を見ていようとも、すべてを理解するのは難しい。私は彼のように、何かに直向になったことはないから余計に分からないことが多い。それでも及川は私を隣に置いてくれていたし、必要なんだとも言ってくれた。だからきっと、私はここにいるだけでいいのだと思う。話を聞いて、時々そっと背中を押してあげるくらいが、きっと調度いいのだ。


「どっちを選んでも、間違いじゃないんじゃない」
「ん?」
「及川の人生なんだからさ。及川が正解だって思ったら、それが正解なんだよ」


今までも、そしてこれからも歩いていく道は、テストみたいに答えが決まっていることなどひとつもない。すべて自分で正解を作っていかなくてはならないなら、どんな遠回りも、挫折も、敗北も、欲しい結果を得るために必要だった「正解」にすればいい。必要ならいつだって駆けつける。岩泉みたいに殴れないし、パワーもないからそのデカイ体を引っ張り立たせることはできないけど、一緒に立ち止まって考えて、手を握って歩き出すことくらいはできるはずだから。私達を照らしていた夕日が落ちかけている。秋の風も、ほんの少し冷たさを含むようになった。


「そんなこと言ったら、俺東京行っちゃうけどいいの」
「あ、そうなの?」
「うん」
「なんだ、じゃぁ私と大学一緒だね」
「……は」
「もっかい言おうか?」
「よろしく」
「私と大学一緒だね」
「嘘でしょ」
「嘘です」
「は?」
「その顔が見たかった」
「ちょっと、なんなの。どっちなの」
「嘘じゃないよ。徹の部屋でパンフレット見つけたときから、決めてたの」


風の音は静寂を引き立てる。じりじりと横から感じる視線に少しだけ気づかないふりをして、ゆっくりと及川を見た。信じられない。そう顔に書いてあって、また笑ってしまった。


「先月まで地元の行くって言ってたじゃん」
「その時はまだ、及川がどこ行くのか分かんなかったし」
「だからって、」
「誰かさんが彼女ほったらかしてバレーに集中してた時間、勉強に費やせたから。お陰でA判定」
「…大学でも同じ思いさせると思うけど?」
「そしたら同じように勉強して成績優秀な私は大企業に就職かもね。ありがとう」
「あー、ハイハイ」
「楽しみだわー」
「……後悔、しないの」
「私が選んだんだから、これが正解なの」



そこまで言って、彼が漸く笑った。いつもの綺麗な笑顔ではなく、力のぬけた、ふにゃりとした笑顔。嬉しくて、安心したときに見せる表情だ。それにつられて私も笑う。再び前を向いたときには、太陽は天辺が少し見えるだけになっていた。暗くなる前に、そろそろ帰らなくては。私は立ち上がり、スカートを何度か叩いてから及川に向き直った。


「帰ろう、及川」
「うん」


手を差し出す。及川は立ち上がってから、私より何回りも大きい手を重ねた。冷えている指先を温めるように、ほんの少し力をこめて握った。どうせ険しい道を行くのなら、一人より二人の方がいいに決まってる。分かれ道はどっちに行くか喧嘩しながら決めたらいいし、走ってる最中に転んだら「何してんの」って笑ってあげる。それからちゃんと手を貸すよ。「もういいよ、十分がんばった」そんな声聞こえないくらいずっと喋るから、前だけ見ていよう。誰かが勝手に引いたゴールラインなんか飛び越して、「そんなものあったんだ」って私達は笑いながら歩くのだ。ほら、二人揃ったら無敵でしょ。