花比売


 帰宅すると食材を片付けながらお茶を淹れ、冷蔵庫に入れていた箱を出す。
 箱には、桜のケーキが一つ。
 明日の誕生日に食べる予定だったが、いま出せる中では最高のお礼。ただ、明日も売っているのか不安もある。
 それでも緑茶とともに出せば、鬼は不思議そうにケーキを見た。

「お気に入りのケーキ屋の、期間限定の桜ケーキです」
「ほう、桜の。この飾りは桜の塩漬けか?」
「はい。お礼にどうぞ」

 勧めると、鬼は銀食器を以て、優雅にケーキを切り分けて、一口。
 じっくり咀嚼して飲み込むと、ゆるりと頬を綻ばせた。

「いい菓子だ。こういう和が取り入れられた洋菓子は久しぶりに食べる」
「抹茶のケーキもありますね。和洋菓子、私も好きです」

 口に合ったのだと安心した華圭は、気が抜けた笑顔が浮かぶ。
 鬼は軽く目を見張り、そっと視線を逸らして緑茶を飲む。

 上品にケーキを食べ終えた鬼は、湯飲みを置いて話し始めた。

「私は古来より生きる魑魅魍魎の類とされるあやかし=\―妖怪だ」
「……平安時代では飢饉ききんの原因と利用された霊的な存在……ですね」

 華圭は幻想的な物語が好みだが、史実を取り入れられた物語も好んで読む。魔法を主軸とするファンタジーだけではなく、陰陽師や妖怪といった和風ファンタジーも大好物。だから妖怪についての知識もある程度なら備わっている。
 感情移入して読んでいたからこそ、こうした言葉を選べた。

 華圭の合の手を聞き、鬼は感心を込めて頷く。

「大半の妖怪は無害なものだ。しかし霊力が枯渇こかつしかけた妖怪は凶暴化し、人を襲う。お前を襲った妖怪もそのうちの一人だ」
餓鬼がき……というものでしょうか?」
「我々は妖魔ようまと呼ぶ。この時代の現世うつしよは霊気が薄い故に霊力の供給がままならん。特定の場所での事故や神隠しと言った形で秘密裏に人を喰うものもいる」

 ゾッと背筋に冷たい感覚が流れた。

 つまり、今回の化け物――妖魔も、その内のひとりだったのだ。
 目の前にいる鬼が現れなければ、今頃とっくに死んでいただろう。

「貴方は……貴方のような力のある妖怪は……その、大丈夫なんですか?」
「多少は。私は妖怪の住まう隠世かくりよと行き来できる分、負担は少ない」

 目の前にいる妖怪は無害らしい。
 ひとまず安心できるだろうと、華圭は肩の力を抜く。

「とはいえ、いくら力のある妖怪でも抗えないものがある。それは花比売が放つ香気だ」

 ここで華圭は思い出した。襲ってきた妖魔も、同じ単語を口にしていたと。
 華圭に咲く花を奪い、食べた途端に力を増した。痩せ細った体も健康的な状態へ回復していく様子も記憶にある。
 今まで知る術を持たなかった花の正体が明かされるのだと、華圭は期待を寄せる。

「ハナヒメ……つづりはどう書きますか?」
「花に比べて売ると書く」
「比べて、売る……あ。日本神話の女神の名前につく『比売』?」

 ふと浮かんだ日本神話に登場する神々の名前。
 男神はみこと=A女神は比売≠竍毘売びめ≠フ敬称が最後につく。

(ガラじゃない)

『花比売』とは女神のようなものだろうか。そう思うが、違うはずだと雑念を払う。

「花比売は生まれながら体に花を咲かせる。霊力のない徒人には視えず、香りも感じることはできない。ただし、霊感を持つ者には視ることも感じることもできる」

 確かに両親は、身体に咲く桜を視認できない。幽霊も知覚できない。
 高校で出会った生徒会長は、おそらく霊感を保持しているのだろう。

「花比売が咲かせる花には霊力が凝縮している。それは花比売が保有する霊力の影響だ。体外へ溢れようとする霊力の量によって数が増え、花の種類は霊力の質に因る」

 霊力と聞いて思い当たる。
 華圭は幼少期から霊的なものが視えた。
 幽霊だけではなく、妖怪も。
 気を抜けば襲われることが多々あったほど、危険な目に遭い続けた。
 しかし、ある日を境に遭遇しなくなった。幽霊は変わらず視えるが、目を合わせなければ襲ってこないので基本的に無害。
 精神病だと入院させられたときは死霊に狙われたりもしたが、幻覚症状が落ち着いたと判断されるように努力して退院するまでが大変だった。

 けれど花の数は一向に減らない。それどころか年々増えていく。

「あの……花の数が増えると、どうなりますか?」
「体に害はないが、それは霊力の量が増えている証。花の種類によって香気が高まり、妖怪に狙われやすくなる」

 また幼少期のような危険な目に遭う。きっと今まで以上の危機もあるだろう。
 体の芯が震え、それでも腕を握って体に力を込めて、抑え込もうと深呼吸をする。

「……私の花は、桜です。本来なら匂いは少ないはずなんですけど……」

 普通に咲いている桜は、近づかなければ匂いを感じないものが大半だ。
 対する華圭の身体に咲く桜は、香水と勘違いされるほど香りが広がる。
 まるで香木のようだと感じていると、鬼は深刻な面持ちに変わる。

「これまで出会った花比売とは比べ物にならん霊力を持っているのだ。無理もあるまい」
「それって……」

 嫌な予感を覚える華圭に、鬼は告げる。

「人間では持てあます莫大ばくだいな霊力だ。その上、桜は花比売の起源。始まりの花比売は妖怪だけではなく人間にも狙われたという。いつ襲われても不思議ではない」

 つまり、妖怪に狙われて当然の霊力を持っているのだ。
 さらに、人間という同族からも目をつけられるらしい。
 言葉が出なくなるほど血の気が引いて、意識しないまま視線が下がる。

(どうして……?)

 どうして自分は、こんなに艱難辛苦かんなんしんくな試練を与えられたのか。
 親は仕事を命題に妹を連れて帰ってこない。友達もできたことが無い。
 霊的な存在に襲われるせいで、大人も子供も関わろうとしない。

(どうして私は、こんなに孤独なの……?)

 奈落のような深い絶望が押し寄せて、心が冷えていく。
 両腕を掻き抱いて震えを抑え込む様子に、鬼は椅子から腰を上げた。

「大丈夫だ」

 鬼のかいなに包まれて、耳元で囁かれる。
 温もりのある低い声が体の芯まで届き、苦しいほど心臓が跳ねる。

「私がお前を守ろう」
「……え?」

 鬼の言葉に思考が停止しかける。

(私を……守る? こんな面倒な私を?)

 信じられない。信じたとしても、何か裏があるはずだ。
 妖怪には狡猾こうかつなものが多いと伝承にも多く残っている。言葉巧みに踏み込む可能性もある。

 ……なのに、どうして拒絶の言葉が出ないのか。

「信じられないか?」

 鬼の問いに息を詰める。視線を下げると、鬼は体を離して華圭の頬に触れる。
 壊れ物に触れる手つきに、胸が苦しく締め付けられる。

「……だって、私は花比売で……貴方は妖怪でしょう? それに家族にバレたら……」

 人間と妖怪という隔たりがある以前に、家族から異端扱いされるのは嫌だ。
 不安に押しつぶされそうになると、鬼は手を離す。

 自分から拒絶したのに、温もりが消えて悲しくなる。
 自分の弱さに辟易へきえきする。それでも平穏を保つためには耐えなければならない。
 目頭に集まる熱を堪える中、鬼は言う。

「親に関しては、解決法ならいくらでもある」

 親に知られない方法とは、一体どういうものなのか。
 自信をもって言う鬼を見上げれば、彼は不敵に笑っていた。

「お前の不安がなくなればいいのならば、遠慮はいらんな」

 何やら決意した鬼の言葉に不穏な何かを感じる。
 どういうことなのか尋ねようとしたけれど、それより前に鬼が名乗る。

「私の名はかい。魁と呼べ」
「……華圭です。えっと……魁?」

 呼び捨てでいいのか分からなかったが、確かめるように呼んでみると、魁はあでやかな笑みを浮かべた。
 色香が溢れる笑顔に心臓の鼓動が早くなり、胸に熱が広がる。

「では華圭。また会おう」

 華圭の頭に軽く手のひらを乗せて、ひと撫で。
 優しい手つきに呆然としている間に、魁は颯爽と玄関へ向かう。
 慌てて見送ろうと追いかけたが、扉が開く音もないにも関わらず姿が無かった。
 人間味を感じる人柄だったが、やはり彼は妖怪なのだと再認識した。

 そして――

「……どうして」

 どうして初対面だと思えないのか。
 どうして心を許しそうになるのか。

 華圭自身でも理解できない感覚に、取留めない気持ちで立ち尽くした。


◇  ◆  ◇  ◆