194

「エースがやられたーー!!」

信じられない光景に立ち尽くすしかないあたしの周りが一気に騒がしくなった。そしてすぐに赤犬を止めようといくつもの銃声が響き渡る。
数え切れないほど撃たれた砲弾によって立ちこめる煙の中からゆっくりと赤犬が歩いて現れた。

先程と変わらず立っているエースに向かってもう一度拳を構えて振り降ろすと、今度はジンベエがその拳を受け止めた。潤う肌が焼ける音が聞こえた。

「つまらん時間稼ぎはよせジンベエ。元七武海だ。わしの力は充分知っとろうが」
「この身を削って時間稼ぎになるなら結構!もとより命などくれてやるハラじゃわい!」

思いもしなかった事態にみんなは一斉に動き出した。ジンベエは手が焼けてしまうことも構わずに赤犬を止めてくれた。それからすぐにビスタとマルコが割って入る。

「あー、鬱陶しいのォ。覇気使いか。火拳はもう手遅れじゃと分からんのか」
「悔やみ切れん一瞬の抜かり……!」
「何てことに……」

みんなが赤犬に刃を向けて立ち向かって行く中で、エースは自分の体を支えきれなくなって膝をついた。貫かれたところからはまだ煙が立ちこめている。倒れてきた体を支えているルフィは手のひらを真っ赤に染める血を見て焦りを覚えた。

「ごめんなァ、ルフィ……。ちゃんと助けてもらえなくてよ。……すまなかった」

微かに聞こえてくる声は今まで一度も聞いた事がない程弱々しくて、心臓が締め付けられるように痛む。

「何言ってんだ!バカなこと言うな!誰か手当てをしてくれ!エースを助けてくれ!」
「無駄だ!……自分の命の終わりくらい分かる。内臓を焼かれたんだ……もうもたねェ」

手当てをしようと駆け寄った船医を声を張り上げて止めた。それからルフィの肩に乗せていた頭をあげてあたしの方を向いた。

「リリナ」

名前を呼んで苦しそうにしていた顔で無理矢理笑顔を作ってみせた。いつも、あたしに向けてくれる大好きな笑顔だから。自然と足がエースへ動いていた。

側へ行くとゆっくりを腕をあげて寄りかかるようにあたしの肩へ腕を回した。エースの体重が半分のし掛かってきて、支えるように背中に手を回した。それによって自然とルフィの肩と自分の肩がくっ付いて目が合った。ルフィの眉毛は不安そうにひそめられていて、黒目も揺れている。きっとあたしも同じ顔をしてるだろうな。

「最期に、お前らの顔が見られて良かった……」
「……何言ってんだ。エース、死ぬのか?約束したじゃねェかよ!お前絶対死なねェって……!約束したじゃねェかよォエースゥー!」
「そうだな。……サボの件と、お前みてェな世話の焼ける弟がいなきゃ、おれは生きようとも……思わなかった。誰もそれを望まねェんだ。仕方ねェ」

ルフィの絞り出したような声に胸を締め付けられる。そこで前にルフィのことを初めて話してくれた時に小さい頃は、ルフィとあともう一人と一緒だったって話してくれたのを思い出した。この二人しか知らないようなことだろうに、エースは何でも話してくれてたんだと嬉しくなる。

「そうだ。お前、いつか、ダダンに会ったら……よろしく言っといてくれよ。何だか、死ぬと分かったら、あんな奴でも懐かしい……」

一言話すにつれて息継ぎをする、その感覚が狭くなって、声も苦しそうに掠れていく。でもエースの体温はいつも通り温かい。

「心残りは、一つある。お前の、夢の果てを見れねェことだ。……だけどお前なら必ずやれる。おれの弟だ。昔、誓い合った通り……おれの人生には、悔いはない!」
「っウソだ!ウソつけ!」
「ウソじゃねェ……。おれが、本当に欲しかったものは……どうやら名声なんかじゃなかったんだ。おれは、生まれてきてもよかったのか。欲しかったのは、その答えだった」

息遣いが荒くなり、呼吸の音がはっきり聞こえるようになってきた。少しずつ今の状況を頭が理解し始めると、自分自身も息がしづらくなる。吸い込んだ空気が胸の辺りでつっかえて押し戻されるようだ。

「エース……」
「リリナ。……泣くなよ、」

泣いてなんかない、と言い返そうとすると溜まっていた涙が止めどなく流れ出した。もう一度名前を呼ぶと温かい手が頭を撫でてくれた。

「おれは……あの時、お前を救うことができて、良かった。初めて……やって良かったと思えた」

耳元で聞こえるゆっくりとした声と同じペースで髪を撫でてくれる手に目を瞑った。本当にあたしを助けてくれたエースには感謝しきれないくらいの思いがある。あたしの世界は、エースが中心に回っていた。でも、そんな軸のような人が……死んでしまう。

「こんなことなら、もっと……。いや、今、ここにお前が、いてくれるだけで十分だ」

何か言いかけた言葉を飲み込んだエースは頭に乗せている手に力を入れてあたしを引き寄せた。そして大きく息を吸い込んで細くゆっくり吐き出した。潰れてしまいそうな胸が苦しくて縋るようにあたしもエースに体を寄せる。

「……リリナ」

ゆっくり、優しく、その先に言葉が続くような呼ばれ方に少しもどかしく感じた。催促しようと口を開くと力強く抱きしめられてエースの体温が伝わってきた。温かくて、気持ちがいい。応えるためにもう一度背中に回している腕に力を込めようとすると、こめかみの辺りに覚えのあるものが触れた、気がした。


「……もう、大声も出ねェ。……ルフィ、リリナ。おれがこれから言う言葉を……後からみんなに、伝えてくれ」

記憶の片隅にあったものがじわじわ蘇ろうとしたところでエースの声にかき消された。

「オヤジ……!みんな……!そして、リリナ、ルフィ。今日までこんなどうしようもねェおれを……鬼の血を引くこのおれを……、愛してくれて……ありがとう!」

しっかりした口調が少しずつ涙声に変わった。泣いているエースに動揺していると緩んでいた力が強まって空気の通り道が細くなる。苦しいと身をよじるとエースの体が腕を通り抜けてずり落ちていく。どさ、と地面に倒れるまでが、ひどくスローモーションでそのとき見えたエースはもう目を瞑っていた。

「エース?」
「エース……」

隣にいるルフィとエースを呼ぶ声が重なった。顔を覗き込むと口は弧を描いて笑っている。慌てて抱き起こそうとすると、思っていたよりも重く、簡単に起こすことができない。

「エース……!」

体を揺らしてもぴくりとも動かない。頬を抓っても痛いと声が聞こえることもなければ笑顔のまま。でも温かい。

受け入れられない現実に目を瞑ってうずくまり、またエースに縋った。さっきされたように少し硬い髪の毛に指を通して撫でてみても反応がない。こみ上げる涙を隠すように自分の手の上に頭を乗せた。名前を呼んでも返ってこない。こんなに近くにいるのに、さっきまで聞こえてた息遣いはもう、聞こえなかった。

「エース!!」

こんなに近いのに大きな声で呼んだのに、反応してくれない。溢れ出る涙はもう自分のどこかでエースが死んでしまった事を受け入れてしまったから。気持ちで反抗してもその分涙が流れてしまう。

「うあぁ⋯⋯」

声にならない声が漏れる。周りの声は聞こえない。聞きたくない。エースが死んでしまったなんて思いたくない。