ナマエ視点
ホップとアーマーガアに降ろされたのは、とある山の山頂だった。
そこは木々の中にぽっかりとひらけた空き地のようで、私はホップの手を借りながらそっと柔らかい地面の上に降り立った。
その地面は、あまり人が入ってきていないのだろう、ふかふかと柔らかく、靴ごしなのにとても気持ちよさを感じる。だが、その先には真っ暗な闇がまるで人が入ってくるのを待ち受けているかのように口を開いていて、少々気味が悪い。
ホップは何故こんなところに私を連れてきたのだろう。
「後ろ見てみろよ!」
『後ろ?』
恐る恐る振り返ってみた私はその景色に出す言葉も思いつかなかった。
私の目に飛び込んできたのは、闇夜に浮かぶ光り輝いたガラル地方。
街灯も何も無い、暗闇にひっそりと開けていたこの空間は、まるでどこかの展望台のようだ。
小さな街の光がキラキラと輝いていて、その色はオレンジ、白、黄色、赤など沢山の色が散りばめられている。それはまるで大昔にテレビでみた宝石箱のようだ。
時折動いている光は電車だろうか…
左を見れば、山の中にぼんやりと浮かび上がるアラベスタウン。本当に本当に小さく揺れるのは街のキノコに誰かが触れているのだろうか。
そのずっと奥にはガラル地方のシンボルとも言えるバトルタワーが自身を主張するかのように眩しい光を放っている。
右を見れば、恐らくワイルドエリアだろう空間がぽっかり広がっていて、キャンプをしているような明かりがポツポツと見える。
この地方全体にはどんな人が住んでいるんだろう…
この地方には、どんなポケモンがいるんだろう…
あそこには何があるんだろう…
そしてあの海の先にはどんな世界があるんだろう…
考えただけでわくわくする。
この小さな輝きの数だけ、人やポケモンのストーリーがあるのだろう。
この光景の数だけ、たくさんの世界が広がっているのだろう。
私なんて、この広大な世界からするととてもちっぽけな存在なのだ。
「ナマエ、観覧車乗りたがってただろ?」
トンッと右手に柔らかな感触がして隣をみると、いつの間にボールから出してもらったのかバイウールーが手にすり寄っていた。
「観覧車の代わりだぞ!動きはしないけどな」
少し笑いながらホップは目の前の景色を見たまま、自慢げに続ける。
「ここさ、オレとアニキに秘密の場所なんだ。アニキがたまたまリザードンと迷子になった時に見つけて、それからよく二人でキャンプしてたんだぞ」
後ろの方で、ドスッドスッと地響きがしそうな足音はガシャガシャと金属のような音がする。どうやらカビゴンやザマゼンタたちが遊んでいるようだ。
「な、ナマエ。これ見ると、悩んでたこと全部吹き飛ばないか?」
ホップはナマエに目線をやる。
「オレさ、ジムチャレンジ時代も、博士見習いだったときも、色々悩んだこともあった。でも、そんな時にここに来たら、どうでもよくなるんだ。オレが抱えていた悩みなんて、この世界からするとなんてちっぽけなものなんだろうって」
不思議だよな!そう言い切ったホップはニカッと笑う。
『私も全く同じ事思ったよ』
「本当か!?やっぱオレとお前は考えることが同じだなっ!」
『うん』
私は再度目の前に広がる景色を眺める。
ホップの言うとおりだ。
こんなに世界は美しく、広大で、未知なのだ。
この光の数だけ、人がいて、人の数だけ物語がある。そして、その物語の先だって未知なのだ。どうなるかなんて誰にもわからない。だけど、それを切り開いて行くのも自分なのだ。
そう思った途端、私の中でピースがカチッとハマる音がした。
『ホップ、私ね…』
一度言葉を句切って決意を固めるように一度だけ目を閉じる。そしてゆっくり開き、街をしっかり見据えて言葉を紡ぐ。
『彼のこと好きだったの』
ホップ視点
『彼のこと好きだったの』
「…え?」
オレの方を見るでもなく、ナマエは夜の景色を見ながらそう言った。
『きっと彼のこと好きだった』
ハッキリナマエからアイツに対する気持ちを聞いたのは初めてだったのかもしれない。気付けばもう交際はスタートしていて、○○にいったとか○○をしたとかは聞いていたけれど、好きという言葉を聞いたのは初めてだ。初めて聞かされた二文字にオレは言葉を失った。
『最初は、なんとも思ってなくて。でも彼が私のことを好きだって凄くアピールしてくれて嬉しかった。付き合ってみても凄く楽しくて、充実してた。こういう日が続いていくのかなーって思ってたら、そうじゃなかった』
そんな過去の日々に捕らわれてたのかなぁ、と彼女は一度背伸びをして明るく言った。
『関係が崩れてるってとっくの昔にわかってた。彼の気持ちが歪んでいることも、彼も私もこのままじゃどんどん歪んでいくことも。そんなこと全部とっくに分かってた。それでもね…』
ナマエは小声で呟くと、街に目線を落とす。その横顔はどこか儚げで見ているこちらまで切なくなるような表情だった。
『彼の心の寂しさを垣間見てしまった私は、彼のことが嫌いで嫌いで仕方ないのに、まるで洗脳されてるみたいに離れることが出来なかったの』
ただの情だね、と頭を軽く振った。ナマエの髪の毛がサラサラと揺れる。
「ナマエ…」
オレはなんて声をかけたらいいのか、なんて声をかけるべきなのか分からず、ただ名前を呼ぶことくらいしかできない。こんな時、どうしてやるのが正解なんだ…
『だからね…』
ナマエは街を眺めるのをやめて、ゆっくりとオレの方を見た。その瞳に先ほどまでの儚さや哀愁は一切ない。
『私、もう終わりにしてくる』
ブワッと吹いた突風はまるで後押しするかのように、ガラルの夜景を背景に立つナマエの髪とスカートがなびかせた。
ナマエは強い女の子だった。例えオレがなんて声をかけたらいいのか分からなくても、名前しか呼べなくても彼女はしっかり自分で決断を下し、自分の意思でやっと一歩前へと踏み出そうとしているのだ。
『この風景みたら、私が捕らわれてるものなんてちっぽけ過ぎて、どうでもよくなっちゃって…あの人なんて、この世界からしたらすっっっごく小さいものなのに、なんで私、そんな小さなものに頭悩まされてるのかって思うと、悩んでるのがバカみたいになっちゃったの』
ナマエはフフッと笑いながら、相変わらず強くて優しい彼女に見惚れてなにも言えないオレに問いかけた。
『単純だなって、思った?』
「い、いや、そんなことないけど…」
少しでもお前の気分が晴れるように、そしてあわよくばお前が前向きに進めるようなきっかけになればいいなって思って連れてきたんだぞ。
それが、ここまで吹っ切れてしまうなんて、オレとナマエの感性はやはりどこか似ているらしい。
「でも…」
『でも?』
「お前の中で少しでも吹っ切れたものがあるなら、オレはそれだけで嬉しいぞ」
『……ホップのおかげだよ』
「オレの?」
『そう』
カサリ
ナマエはゆっくりと人一人入れそうな空間を詰めてオレの隣に並んだ。バイウールーはいつの間にかカビゴンたちと遊んでしまっているらしく、後ろの方でぐめっと言う声が聞こえてくる。
『ホップが今日一緒にテーマパークに連れて行ってくれて。本当に楽しかったの。こんなに楽しかった日も久しぶりだったよ。ホップがずっと私のことを気遣ってくれて、喜ばせようとしてくれてること、伝わってきて嬉しかった。それを全部通して、私は決意できたんだよ』
ありがとう、そういってナマエはオレの片手を取った。
『こんなに手、冷たくしちゃって…私にコート貸してくれたからだよね。ここに連れてきてくれた理由もちゃんと分かってる』
「ナマエ…」
なんだ、全部バレてたのかよ…
オレの中ではスマートにやっていたつもりだったからなんとなくこそばゆい感じがする。でも、これがバレてるってことはオレの気持ちももしかして…なんて思ったが…
『私、ホップが幼なじみで良かった。持つべきものは幼なじみだね!』
現実はそんなに甘くなかったらしい…
正直ここまで鈍感なナマエにはガッカリさせられるが、あの男と別れてくれるならこんなこと些細な問題ではないだろう。別れたあとにオレにもチャンスが巡ってくる可能性だってあるんだぞ。そう思えば、今はまだ伝わってなくてもいいだろう。いや、本当は良くないけど。
『善は急げ!今夜荷物つめて、明日には家を出るよ。よーし、そうとなったらさっさと着替えとか詰めちゃうぞっ!なんかスッキリしてきた〜!!』
ガッツポーズを取りながら、ナマエが肩をまわしているのを見てオレは苦笑いを溢す。さっきまでの真剣な顔と大違いだ。
「どんだけ荷物詰める詰めるつもりなんだよ…」
『いいの!女の子は持ち物が多いんだからっ!』
それはそうとさ、とナマエは背伸びをしてオレの耳元に口を寄せる。
『今日は楽しかったよ!また一緒にテーマパーク行こうね』
そう言いうとナマエは背伸びするのをやめ、バイウールーたちのもとへ走って行ってしまった。
オレの耳の中にナマエの吐息と声、それからナマエの香りがグルグルと渦巻いていて…
いつもアイツはオレに爆弾だけ落として行くんだ。それが無意識なんだからオレからしてみれば堪ったもんじゃないんだぞ。しかも、そういうことを言うからその辺の男は期待するんだぞ。
アイツと別れたら、その辺しっかり言って聞かせてやる、と心に誓った。
アーマーガアに駅で降ろしてもらい、そこからナマエの家まで歩く。
何故だかわからないのだが、アーマーガアタクシーに乗っていたとしても必ず駅で降ろしてもらい、そこからは二人で歩いて帰る。これが幼い頃から二人の中での当たり前になっていた。
月が夜道を照らす中、オレとナマエは今日一日の余韻に浸るかのように無言で歩いていた。
気まずいというわけではなく、今日という日がとても楽しかったという気持ちで胸がいっぱいだったのだ。
そのままゆっくりと歩みを進めているうちに、ナマエが住んでいる家の前に着いたのだが、電気のともっていないその家は、やはりゴーストタイプでも住んでそうな雰囲気で好きになれない。
そんな家を、オレがあげたウール―の帽子を押さえながら見上げていたナマエは、楽しかった一日の終わりを告げるため振り返った。
『じゃぁ、ここで』
「ナマエ」
『ん?』
ナマエのことを疑っているわけではない。でも、なんとなくこの家を見上げたら、ナマエをここに返してはいけないような気がして引き留めてしまった。
「いや、えっと…荷物詰めるの、オレも手伝おうか…?」
言い訳がましいと自分でもわかってはいるが、この後も彼女と一緒にいるための口実なんてこれくらいしか見つからない。
ナマエはキョトンとした顔で『大丈夫だよ』といったのだが、その大丈夫が、荷物は大丈夫、の意味なのか、心配しなくても別れてくるよ、の意味なのかは分からなかった。
「そ、そっか。なら、とりあえず明日家を出たら連絡しろよ」
『うん、わかった』
少しの沈黙が訪れる。街中から少し外れたところにあるせいか、夜の町はとても静かだ。時折「ホー、ホー」という声が聞こえる以外は何も聞こえてこない。月明かりが草木を照らしている、不思議な空間だと思った。
そよそよと小さな風がオレとナマエの間を抜けていく。
あぁ、もうすぐ春が来る。春が来たら、ナマエと桜でも見に行こうか…
『じゃぁ、また明日ね』
「あぁ。また明日」
月に照らされた被ったウール―の三つ編みを揺らしてニッコリ笑いながら、ナマエは真っ暗な家の中に吸い込まれるように入っていった。
家の鍵が閉まる音が聞こえた後、すぐに奥の部屋の電気がついた。家に明かりが灯ったのを見届けるとホップはナマエの家の敷地から出て、もう一度振り返る。今一瞬何か胸に詰まるような違和感がどこかになかったか…?
振り返ってみても、何もおかしなことはない。気のせいか…?…
きっと思い過ごしだ。自分が望むようナマエがアイツと別れてくれるか心配になって過度に反応しているだけだ。そう言い聞かせ、ナマエの家に背を向けて歩き出す。だが、どうしても足が重い。まるで、本当に帰っていいのかと引きずられているようだ。
ポンッと音がして、自分の後ろにザマゼンタとバイウールーが現れる。
「なんだよ、ザマゼンタ、バイウールー。突然…」
言いかけて2匹の異変に気が付く。なんだ…?
2匹は地響きのような低い声で唸りながら、いつもは優しげな瞳を細めて射殺さん勢いでナマエの家を見つめている。
どうしたんだ、と聞く直前だった。
ドタドタッ…ドカンッ…
明らかに一人では出せないような物音がナマエの家から聞こえてきた。
「ナマエ…?」
次の瞬間、
パリィンッッッ!!!
と何かが割れる音と、ドゴッと鈍く何かが凹む音が同時に静かな夜を引き裂いた。
「ナマエ!?!?」
明らかにただ事じゃない…!
「ウルゥーーーーーーーーーード!」
ザマゼンタがまるで狂暴化したときのような敵意のある遠吠えをしたかと思うと、
「メェェェェェェ!!」
バイウールーまでかつて聞いたことのないような声で鳴きはじめた。
その声を聴き終える前にオレはナマエの家に向かって走り出し、慌てて家のドアノブを捻る。が、鍵がかかっていて、ガチャガチャというだけだった。
「ナマエ!!おい、ナマエ、いるんだろ!!ここ開けろ!」
近所迷惑なんて知ったことか!ガンガンガンガン!と家のドアを殴るように叩く。中でカサッと音がした。
「ナマエそこにいるのか!?」
だがどんなに呼んでも返事はない。
「グメェェ!」
すぐ後ろから低い声がして振り返ればバイウールーが駆けだそうと前足を地面に掻いているところだった。
「頼んだぞ、相棒!!」
パッとオレが離れれば、バイウールーは目にもとまらぬ速さでドアに激突する。バイウールーのすてみタックルにより、木っ端微塵にされた扉をまたぎ電気の付いていない廊下を進む。
「ナマエ!!ナマエどこだ!!どこに…」
真っ暗な家の中、一室だけ灯された電気。ここか!?
「ナマエ、ここにいるのか!?………っ!?」
その部屋はリビングだろうか。部屋にあったのは、4人でも十分に座れそうなL字型ソファに、スクリーン、大きなダイニングテーブル、そして、部屋の真ん中にウール―の帽子と綺麗な銀髪を赤く染めて倒れているナマエ…
倒れたナマエの上には色とりどりの花びらが散っていて…
「ナマエっっっ!?!?!?」
慌てて駆けよれば、ジャリッと何かを踏んだような気がするが、そんなことどうでもいい。
「ナマエ、返事しろっ!」
抱き起こしても呼び掛けても、全く反応はないまま銀髪はどんどん赤く染まっていく。
「ウルゥゥゥド!」
「う、うわぁぁ!助けて、助けてくれ!お願いだ!」
突然ザマゼンタとバイウールーが何かを放り出してきた。その何かはあのダメ男で、情けないことにズボンを濡らし震えあがっており普段のナルシストぶりとは大違いだ。
だが、その手に握られたものは、割れた花瓶の持ち口で。その持ち口と男の服には飛び散った赤が付着していて、不気味な模様を描いている。
ホップの頭の中でプチンッと何かが切れる音がし、目の前が真っ赤になった。
「お前……ナマエに、何しやがった……!!」
オレの怒りに同調するかのように、ザマゼンタがフォルムチェンジする。
「ナマエになにしたって聞いてるんだぞ…!!」
そのままザマゼンタとバイウールーが男に飛びついて、思いっきり押し倒し、踏みつけた。
自分よりも遥かに大きな巨体に飛びつかれて、恐怖が過ぎたのか、男はあっけなく泡を吹いて気を失ってしまった。
あとはザマゼンタとバイウールーに任せて、ナマエを…!
「ナマエ、聞こえるか?!…くそっ!!」
ロトム!と自分のロトムを呼べば、
「もう病院には電話してあるロト!」と告げられる。
「あとアニキにも繋いでくれ!!」
ナマエ、頼むぞ…!すぐ病院に連れて行ってやるから…!
―私、もう終わりにしてくるー
そう言って前に進もうと決めたナマエ。
―また明日ねー
そう言って笑ったナマエ。
その明日さえ、もしかしたら来ないのではないかとさえ思ってしまうような赤に、オレは声が枯れるほど名前を呼び続けるのであった。
★ブラウザバック推奨