ナマエ視点
ここは…どこだろう…
真っ暗で寒くて…
真っ暗な空間で目を覚ました私は、辺りを見回す。
右も左も真っ暗闇で伸ばした自分の手が見えるのが精一杯だ。
上を見れば、何かがゆらゆらと揺れている。あれは、水面…?
コポコポッと水の音がした。
ここは水の中だ、なんて他人事のように心の中で思った。
水の音以外は何も聞こえなかった。
ザーッ
「っ!?」
頭の中に何かがフラッシュバックする。
あぁ、そうだ私はあのとき…
ーーーーー
『じゃぁ、また明日ね』
そういってホップと別れた私は家の中に入った。彼がいない今夜中に荷物をまとめて、明日の朝には新しい人生だ!なんて浮かれながら。
だが、家に入って鍵を閉めた途端、パチンッとリビングで電気がつき、真っ暗だった玄関が照らされる。そこにあったのは今朝彼が履いていった靴だった。
―帰らないんじゃなかったの…?―
私の嫌な予感は的中し、リビングからは逆光で顔なんてわ分からないはずなのに、狂気じみたような彼が出てきた。
マズイ…!そう思った時にはもう遅く、私の腕は彼に掴まれリビングまで引きずりこまれてしまった。
『痛いって…!離してっ…!』
ブチっと服の縫合が切れる音がするくらい懸命に彼の腕を振り払い、リビングで対峙するように睨む。
「どこ行ってたんだよ!」
『あなたがドタキャンしたテーマパークだよ。あなたこそ今日は帰らないんじゃなかったの?』
「お前には関係ないだろ!!」
『っ!!』
ドサッ
ムシの居所が悪かったのか、彼に突き飛ばされその場に尻餅をついた。
今までの経験からそのまま仁王立ちで彼に見下ろされると、恐怖で涙が出そうになる。
あぁ、私はまたここで蹴られるのだろうか…
そんなとき、ふと視界の隅をグレーが横切った。ウールーの帽子…
そうだよ、もう、負けない。私、こんなちっぽけな人間にもう支配されたくない…!
ホップと、あのガラルの美しい光景に、決めたじゃない…!
『私、もうここから出て行く』
彼の目をしっかり見つめながら、ゆっくり立ち上がりスカートをはたく。
足の震えは止まらないけれど、ここでなんとかしないと、きっと私はこのままだ。
「は?何言って…」
『もう決めたから。あなたとは縁を切る』
キッパリと言い切った私に彼はまるで水を失った魚のように口をパクパクさせた。今まで私のことを好き勝手扱ってきた彼がこんなに狼狽えるなんて何だかしてやったりの気分だ。未だになんて言われたのか理解が出来ていないのか顔を真っ青にして何かを言おうとしているが、そんなことに付き合ってられない。
『じゃぁね』
そう行って背を向け、荷物はいいや、もう出て行こうと思った時、
彼の手が私を掴んだ。
「お、お前…!お前の写真がバラまかれても、」
カチンと来た。ここになってまで、汚い男。
『好きにすればいい。そんなもの』
思いっきり彼を睨み付け、また腕を払いのける。そのまま冷たい目線を浴びさせたまま、『サヨウナラ』とだけ言いリビングのドアへと向かう。
後ろで彼がブツブツなにかを言っていたが、そんなことにはもう構わない。
今から出れば、ホップはまだ近くにいるだろうか…予定は早まっちゃったけど、家を出たこと伝えなきゃなぁ…
なんて思っていたら、頭に大きな衝撃と共に視界が真っ赤に染まった。
『え…?』
何…?
頭が、何、コレ…
ドサッと何かが崩れる音。
視界がフローリングを映す。
私が、倒れ…
「オレの元から居なくなるくらいなら、」
死ンデシマエ。
どんどん赤くなっていく視界で、彼が割れた花瓶を持ったまま立ち去る姿が見えた。
あぁ、私は、彼に殴られたんだ…
結局私は彼から逃れられないまま…
逃れるには、彼の言う通り死ぬしかないのだろうか…
そう絶望し、視界が赤く染まる中、目頭が熱くなったのが分かった。
涙…?血…?もう、どっちでも、いいや…
遠くでホップの声がした。
そこで私の意識は途絶えた。
そして気付けば暗い水底。
私は死んだのだろうか…
座り込み、ぼんやりと水面を見上げるが、何も見えない。
死んだのなら死んだでいい。
もし死んでなかったとしても、このまま死んだっていい。
私は、もう、疲れた…
私は膝に頭を埋めて目を閉じた。
ーーーーー
膝を抱えて蹲って、どれくらいが経っただろう。真っ暗に水底では時間さえも分からない。
目を閉じ、眠っていた私のところにふと細い光が差し込んできた。
―ナマエ―
誰かが私の名前を呼んでいる。
(誰…?)
しかしその声も光もすぐに消えてしまった。
気のせいか…
何故そう思ったのかわからないが、あと少しすれば、誰かが迎えに来て私は楽になれる、だから放っておいて欲しい。そう思って私はまた目を閉じた。
だが、その声は止むどころか、日に日に長く、そして光も大きくなっていくのだ。
誰だかハッキリ分からない。それでも声が聞こえてくるのだ。
―ナマエ、今日は天気がいいな…ー
―ナマエの分のコーヒー、ちゃんとミルク入れておいたぞ…ー
―見ろよナマエ。昨日ローズさんが持ってきてくれた花、…―
誰…?誰なの…?分からない、でも、どこか知っている気がする。
水面を見上げると、ゆらりと人影が見えた気がしたが、一瞬でまた暗闇に戻ってしまった。
ホップ視点
ローズさんがお見舞いに来てくれた翌日の朝。オレはターフタウンを訪れていた。
「待たせてしまったかな?」
そう人なつっこい笑顔で現れたのは、ターフタウンジムリーダーのヤローさん。博士になってからも何度か顔を合わせていて、いつもお世話になっている。
「いえ、オレもちょうど今来たばかりです」
「それは良かった。はい、これ、頼まれてた品」
「ありがとうござます…!」
ヤローさんから受け取ったボトルを中の液体が溢れないよう、そっと鞄にしまい込む。
「にしても、どうしたのかな急に。花延命材が欲しいなんて」
「ナマエがお見舞いで貰った花束を飾ろうかと思って…」
「あぁ、ナマエさんの…」
そうなのだ。ローズさんからもらった花束を生けようと思ったのだが、病院には花瓶しかなく…
花瓶はナマエにとって良い思い出はないだろうと今日は代用できるものを探している。
あと、ナマエが目が覚めた時に、少しでも綺麗だった花束の花たちを見られるよう、ヤローさんに花延命材を頼んだのだった。
「この花延命材は僕が特別に配合したから、長持ちすると思うわ」
「ありがとうございます。早速使ってみます」
「それから、花瓶の代わりじゃけどな。マグカップを使ってみてもいいと思う」
「マグカップ?」
ヤローさんはスマホロトムに頼み、写真を出してくれた。
「凄いぞ…!これ、ヤローさんが…!?」
「ほんの練習のつもりやったんやが、つい…」
照れくさそうに頭を掻くヤローさんが作ったのは、マグカップに花を生けたとてもお洒落なインテリアだった。
「これやったら、簡単にできてお洒落じゃ。あとはビーカーみたいな瓶に生けてもええかもしれん」
にしても…とヤローさんは続ける。
「ナマエさんは幸せもんやなぁ。こんなに思ってくれる幼なじみがおって…」
今度はオレが照れくさそうに頭を掻く番だった。
その日の午後、オレは大量のマグカップを買って病室を訪れていた。
早速ヤローさんに教わった通りに花の茎をカットする。あまり長すぎるとマグカップから出てしまうため、カットする長さにも要注意だ。
色とりどりの花を小分けにし、少しずつ丁寧にカットし、花延命材を入れた水が入ったマグカップへと差していく。配色だってオレなりに考えたつもりだ。
全て終わる頃には窓から夕日が差し込んでいたが、中々の出来映えだと自分で自分を褒め称えた。(時間をかけた甲斐があった)
テーブルの上にずらりと並んだ綺麗な花々。それを今度は部屋のあちこちに飾っていく。時折落としそうになってひやりとしたが、無事なんとか全て飾りきることが出来た。
そのうちの1つをもってナマエの隣へと腰掛ける。
「見ろよナマエ。昨日ローズさんが持ってきてくれた花、こんなにお洒落になったぞ!ヤローさんに相談して、オレが作ったんだ」
ナマエから、反応はなくてもオレは一人で語り続ける。
きっと返事はなくても、聞こえているのではないか、といつも思うのだ。
「部屋のあちこちに飾ってさ、真っ白な部屋が今はカラフルなんだぞ!壁が白かったからか、花の色がすっごく映えるんだ」
それに、これ見てみろよ。
「黄色の花を多めにしてみたんだ!これはこのベッドサイドに飾るからさ、ナマエの好きな色にしてみたんだぞ。あー、このちょっとずつ入ってる紫は…まぁ、アクセントってヤツかな…!」
本当は嘘。ちょっとオレの色を入れたくなってしまっただけだ。
なぁ、ナマエ。早く目覚めて、この花たち見てくれよ。オレ、結構頑張ったんだぞ。
「コレ、ここ置いとくからな」
ナマエのベッド脇にそっと黄色と紫の花が入ったマグカップを置いた。
ナマエの白ばかりだったベッド回りが少しだけ華やかになったような気がした。
ーーーーー
それから数日が経ち、午前中は研究所、午後はナマエの病室で仕事を繰り返してもう3週間になる。窓から見える景色も緑が多くなってきつつあった。
タイムリミットまであと3日間。焦るなと言う方がおかしいだろう。それなのに、ナマエは何も変わらなかった。
少しでも届けばと色んな話をしてみるが、ナマエからの反応はない。
「見ろよ、ナマエ。今日の研究データが届いて、」
「ホップさん、そろそろ面会時間が終わります…」
昼から夜までナマエにつきっきりで声をかけて、一日が終わる。
あと、3日しかないのに…!
歯を食いしばって叫びたくなる気持ちを押し殺す。それはもうここ数日毎日だった。ナマエがもしこのまま目覚めなかったらと何度夜中に目が覚めたかも分からない。
「ナマエ、また明日な」
冷たく白いナマエの手をそっとベッドにしまい、するりと手を離す。ナマエの手は冷たくずっと体温を奪われていたはずなのに、手を離した方がオレの手は冷たく感じた。
ナマエ視点
最近は毎日のように誰かの声が聞こえる。その声は私に向かってずっと語りかけているのだ。会話の内容は断片的にしか聞こえず、途切れることも多々。
―ナマエ、おはようー
―今日は酷い雨だぞ…そういえば、お前雨は髪の毛がうねるから嫌いとか言ってたなー
それでもその声はと光は日を重ねるにつれて大きくなる。それに併せて出現する、ゆらゆらと水面にゆれながらこちらを覗き込む紫色の影。
どこか見覚えのあるような気がする…私はこの声を知っている…
そう思った瞬間、頭に激痛が走った。痛む所を抑えれば、ぬるりとした感触。恐る恐る右手を見れば、ベッタリとついた赤。
咄嗟に顔を覆い、悲鳴をあげる。
…怖い怖い怖い…!私はもうあの生活に戻りたくないの…!あんな苦しい思いはもうしたくない…!あんな思いをするくらいなら、ここにいた方がマシ…!!お願いだから消えて…!
そう願った時、右手に温かな誰かの体温を感じた。
この暗闇の中では全く感じることの出来なかったぬくもり。優しさで包み込まれるような感触に私はハッと目を見開いた。
そのぬくもりはゆっくりと消えていく。
…待って…!
―ナマエ、また明日なー
そして辺りはまた真っ暗になった。右手に感じたはずの温もりはもうない。
私はその右手を左手で握りしめると、先ほどまでべったりついていた赤はいつの間にか消えていて、そこにはいつもと何も変わらない手のひらがあった。
知ってる…私はこの温もりを知ってる…
どこか儚げで優しくて、温かい…
ドゴッ
頭が割れる感覚…私自身が倒れる音…赤…
またあの光景がフラッシュバックする。
私を掴む乱暴な手。
違う…さっきの温もりはこんなじゃなかった…!
―ナマエ―
誰かが私の名前を優しく呼ぶ。この声…
ーオレから離れるくらいなら、シンデシマエー
私を押さえつけ、殴る声。
私の中で2つの声が響き合い、ぶつかり合い、ワケが分からなくなる。
そして私は悲鳴のように叫んだ。
『もう、誰も私の中に出てこないでっ!!』
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