22.伝えたかった言葉とか色々あったのだけど

ホップ視点

ついにこの日が来てしまった。今日の夜までにナマエが目覚めなければ、明日にはナマエの延命装置はとられてしまう。

この静かな病室の中で永遠響き渡っていた電子音も最後かもしれないと思うとなんとも言えない気持ちだ。
お前たちも、ナマエがいなくなったらお役ごめんなのか…?
なんて、そんなワケないか。他にも必要とする人は沢山いるもんな。

「ナマエ、お前…今日が最後なんだぞ…」

結局30日間、全く変化のなかったナマエに呼びかける。

「なぁ、ナマエ。今朝もアニキが来ただろ?アニキ、方向音痴のくせにさ、ナマエの病院にはどこからでもちゃんと来られるようになったんだぜ?その証拠に頻繁にここに通ってただろ?その調子で方向音痴直してくれたらいいのに、他の場所にはちっとも行けないままなんだぞ」

「ナマエ、ローズさんとオリーヴさんがしょっちゅう花持ってきてさ、花の入れ替え、結構大変なんだ」

「それから…」

どれくらい話ただろうか。気がつけば日も落ちて、辺りは真っ暗だった。窓からは最後にナマエの笑顔を見た日のような美しい月明かりが差し込んでいる。

面会時間はとうに過ぎていた。

「ホップさん」

ドアが開いたと同時に担当医たちが入ってきた。小脇に沢山の書類を抱えて。

「ホップさん。本来でしたら、面会時間が終わる20時までの予定でしたが、今回ばかりは特別です。あと30分だけ…30分後の深夜0時まで。深夜0時までにナマエさんが目が覚めなかったら…その時はこちらの書類にサインをお願い致します」

テーブルに置かれたのは、無機質な黒いインクで記された【延命治療中止についての承諾書】

たった数枚の、オレが使う資料のような紙切れ。そんなものにナマエの生死は決められてしまうのか。
もし目覚めなければ、サインしなくてはいけないと思っていた。ネットでも調べたし、本でも読んだ。もし万が一は、と覚悟はしていたはずだ。それでも実物を前にすると、頭が真っ白にならざるを得なかった。

「私たちとしても、手は尽くしましたが…」
「…分かってます」

そう、ここの医師が一生懸命あれやこれやと手を尽くしてくれたのは分かってる。それでも目が覚めなかったのだ。先生たちを責めるのも恨むのもお門違いなのは分かってる。

オレは努めて笑顔を作った。
けど、ちゃんと笑えてるかな…

「0時になったら、またナースコールを入れます。その時に、この書類もお渡ししますね」
「ホップさん…」
「色々、手を尽くしていただき、ありがとうございました。あとはオレとナマエ二人で過ごさせてください」
「………わかりました。どうか、ナマエさんと素敵な時間を」

そう頭を下げて、医師達は部屋から出て行った。


静けさに包まれた部屋で再びオレとナマエの二人っきりの時間。

「ナマエ…お前、目、覚ます気ないのか…?」

ベッドにはいつかのオリーヴさんが言ったように白雪姫のようなナマエ。

「オレの声、伝わらないのかよ…?」

視界がぼやけて来る。瞬きをすればそれはボタボタと大粒の涙となってナマエのベッドにこぼれ落ちた。
そのままベッドから出たナマエの右手を強く握りしめる。

「お前は、まだあの夜の中にいるのか…?まだあの悪夢のような日の中にいるのかよ?」

家にいれば、アイツに蹴られ殴られ、安眠すら出来なかったナマエ。
助けを呼びたかったのに、写真で強請られ誰にも助けを求められなかったナマエ。

「怖かったよな…苦しかったはずだぞ…それなのに、オレ、何も気付いてやれなくて…」

ナマエのことを思えば思う程、悔しくて、苦しくて、涙が止まらなかった。その涙はベッドだけじゃなく、握ったナマエの右手までも濡らしていく。

「ナマエ、オレが言えた立場じゃないけどさ…」

どうか白雪姫のように、『よく寝たわ』なんて言いながら起きてきて欲しい…

「もうアイツは捕まった。もう、怖いものは何もないんだ」

あぁ、もうすぐ0時になる。

「次はオレが、ちゃんと守るから…いつも守られてばっかだったオレで頼りないかもしれないけれど、ちゃんと守るから…!」

シンデレラの魔法のように、0時になったら全部嘘でしたと解けてしまえばいいのに。

「だから、お前がまだ、一人であの夜にいるのなら…もう怖いものはなにもないから、オレを信じて出てきてくれ…お前は一人じゃないんだぞ」

「そうじゃないと、オレ…お前がいくなったこの世界で、どうやって生きていけばいいんだよ…」

あと数秒で0時になる…

「ナマエ、頼むから返事をしろよ…!」


PIPIPIPIPI

0時を示すアラームが無情に鳴り響いた。



ナマエ視点

―ナマエ…―
あぁ、また来た。

『誰も入ってこないで』と叫んでからどれくらいたったのか…数時間しか経っていないような気もするし、何日も経ったような気もする。相変わらず、私の周りは真っ暗だ。

そんな中、また水面に人影が映って私に呼びかけている。
人影と共に差し込む光は細いくせに眩しくて。

うるさいなぁ…そんなに呼びかけても無駄なこと、分かってるでしょ。

つん、とまた耳を塞いで無視してしまおうかと思ったが今日ばかりはそれが出来なかった。

その声が何故か震えていて、
その震えた声が何故か私の心をざわつかせる。

ざわつかせているモノはなんなのかと自身に問いかけていると、
ふと、また右手に温かなぬくもりを感じた。

その温もりは、前回よりもしっかり力が込められているのだが、不思議と嫌な感じはしなかった。
それに胸の中でどこか懐かしく感じている自分もいる。

懐かしい感覚は私の中の尖った棘を緩やかに、じんわりと溶かしていってしまう。
その心地よさに気がつけば私は水面の上の彼を見上げ、彼の声を聞こうとしていた。

そして1つの疑問を投げかける。

―あなたは、誰…?―

私と、私の記憶の中で鬼のような形相になってしまった私を殺そうとする男だけの世界に、時々明るい光と共に入り込んでくる。あなたは、誰?

ザザッと頭の中にノイズが走る。
まるで古びたフィルムを見るかのようなセピア色の記憶。
そこには私と背の高い青年の姿。

この姿を、私は知っている…


ボスッと被された少し大きなキャップ。

―日差し、きつかっただろ?ナマエ、色白いし、紫外線ダメだったから持ってきたんだぞー


そう照れた声で言う、あなたは誰…?


―な、ナマエ。これ見ると、悩んでたこと全部吹き飛ばないかー

キラキラと光る夜景を見つめるあなたは誰…?

顔だけがノイズ塗りつぶされて誰だか分からない。
それでも、私は知ってる…


不意に、手にポタポタと何かが落ちてくる感覚がした。
水滴…?

水面を見上げれば、ゆらゆらと揺れている向こうで誰かの頬が濡れている。

―もう、何も怖いものはないんだー

その声に頭の中のノイズが治まっていく。

あぁ、私は…


―いつも守られてばっかだったオレで頼りないかもしれないけれど、ちゃんと守るから…―

ノイズが薄くなっていくと共に、モノクロだった記憶に色味がついていく。

私は…この人に…


―だから、お前がまだ、一人であの夜にいるのなら…もう怖いものはなにもないから、オレを信じて出てきてくれ…お前は一人じゃないんだぞー

この人にずっと、支えられてきたんだ…私はずっと一人なんかじゃなかった…


ポタポタとどんどん落ちてくる水滴が、そのうち水面までも揺らし始める。揺れ始めた水面に、差し込まれた光が水の中を乱反射し辺りをキラキラと包みこみ始めた。
あともう少しでノイズが消える。

私はこの人をこれ以上泣かせてはいけない…
ずっと私を心配して、支えてくれたこの人を、これ以上傷つけてはいけない…

そして、頭の中のノイズが全て消えたとき、太陽のような笑顔の彼を見た。

―ナマエ、頼むから返事しろよ!!―

その言葉が水面中を共鳴させ、乱反射していた光とともに全てを弾かせた。



ホップ視点
どんなに願っても、どんなに語りかけても、ナマエは目を覚まさなかった。

PIPIPIPIPI
横で、0時を告げるアラームが響き渡っている。

結局、ナマエは…このまま…

そう思うとオレの涙は先ほどと比べものにならないくらい、どこにそんな水分あったんだと思う程次から次へと溢れて止まらなくなった。もう涙を拭う労力さえ起きない。

Prrrrr

部屋のテーブルの上にある医師直通の電話機がなり始め、いよいよタイムリミットの時刻を過ぎてしまった現実が重くのしかかってきた。

アラームも電話もどちらも無視してしまいたい…いっそどちらも電源を切ってやろうかとナマエの手を離そうとしたとき、僅かながらナマエの手に引き留められた気がした。

「っ!?」思わず離そうとした手を再度握ってみたが、特に変化はない。

オレが意識しすぎたせいか…そう落胆し、今度こそアラームたちを止めてやると思った時、
『…ップ…』
アラームや電話の音にかき消されてしまいそうな小さな小さな声をオレの耳は拾った。

嘘だろ、オレ…幻聴でも聞こえるようになったのか…?

恐る恐る振り返れば、

『…ホップ…』

先と同じくベッドに横たわったナマエ。

だがそのナマエは、今までと全く同じではなかった。
弱々しく目をあけながら、呼吸器の下で小さくオレの名前を呼んでいたのだった。

オレはベッドの傍にあった椅子を蹴散らすように撥ねのけて、ナマエの顔を覗き込む。いつもなら目は伏せられ、呼吸器の音だけが響いていたはずなのに…
ナマエのうつろげな瞳に、オレの涙でぐしゃぐしゃになった顔が映っていて…

「ナマエ…!ナマエか…!?」
『…ホップ。私、だよ』

話しかければ、呼吸器の音に紛れ掠れながらもずっとずっと待ち望んでいた返事が返ってきた。30日もの間、全く返事がなかった。もう一生聞くことは出来ないのではないかと思っていたソプラノの柔らかい声。

「夢じゃない、よな…?」
『夢じゃないよ…』
「嘘、じゃないよな…?オレ、幻覚でも見えてるのか…?」

もう何度期待して、気のせいだったを繰り返したか分からない。窓から入ってきた風に髪が揺れただけでナマエが目覚めたのではないかと勘違いし、外から聞こえる女性の声にナマエの声ではないかと振り返った。その度に頭を抱えては、胸を掻きむしりたくなるような気持ちに陥っていたのだ。
もしこれがオレが生み出した幻覚なら、もう覚めなくてもいい。覚めてしまったらオレはもう生きていけないかもしれない。

『幻覚、じゃないよ…』

そんなオレの心配を拭うかのように、ナマエの手がゆっくりとオレの方に伸ばされる。

1ヶ月自力で動いてなかった腕は筋肉が衰えているのか、ふるふると震え、今にもベッドに落ちてしまいそうだ。そのままナマエがまた意識がなくなるのではないかとスッと肝が冷えたオレは慌ててナマエの手をとる。

そのまま添えていると、ナマエの手はオレの頬に触れた。

『ホップ…もう、泣かないで…』

ナマエは弱々しく呟いた後、そっと微笑んだ。

『大丈夫、だから…』

その笑顔が、ずっと見たかった。
その声が、ずっと聞きたかった。
キミから差し出され、与えられたぬくもりに、ずっと触れたかった。
キミとこれから先、一緒の世界で生きていける…

そう思ったオレは、涙が止まるどころか、止まるということを知らないかのように溢れ出してナマエの手を濡らしたのだった。

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