ナマエ視点
ダンデさんに予想した通り、やはり検査の途中でまた眠ってしまった。
意識が戻ったからと言って、100パーセントあの日々から戻れたわけでは無かった。
何となく目を閉じれば、あの日の赤が瞼の裏を染めるかのようによぎる時もある。そして、深い眠りにつけばまたあの夜の光景を繰り返すのだ。
脳への衝撃が大きかったこと、暫く意識がなかったことを考えると、一日のうち半分くらいはまだ寝ていることが多いのは当たり前でそれは仕方ないのだが、眠っている間にもあの日々の夢にうなされることもしょっちゅうだ。
医師に相談すれば、日にち薬でそのうち良くなるとのことだから特に気にはしていないのだけれど、それでも目覚めが良いとは全く言えないのが現状だ。
傍で誰かの服が擦れる音がして、私はそっと目を開ける。
もうすっかり日が暮れていて、廊下の方から美味しそうなスープやご飯の香りが漂ってくる。夕食が配られる時間なのだろう。お腹が空くような匂いだなと思っても、私はまだしっかりとしたものは食べられないのだが…
「目、覚めたか?」
ぼんやりと天井を眺めていた私の隣から、優しげな声がした。水底にいた1ヶ月もの間、ずっと聞き続けていたような気がする柔らかい声。
『ホップ…?』
顔だけ横を向ければ、ここ数日間、会いたくても会うことの出来なかった幼なじみが椅子に腰掛けこちらをじっとこちらをみつめていた。いつもの白衣ではなく私服で来ているところを見るに、どこかに行っていたのだろうか。
身体を起こしたいけれど、お昼間にダンデさんが来てくれた時のことを考えるとむやみに起き上がらない方がいいだろう。私は枕元にあったスイッチの上側を押し、ベッドの上半分をゆっくりと起こす。
「無理しなくていいんだぞ」
『ううん、大丈夫』
ダンデさんと同じことを言う辺り、兄弟だなぁと思ってしまう。
『研究、忙しい?』
「……まぁ、それなりには」
『そっか…この間、目が覚めた時はあまり話せなかったから、ちゃんと話したかったの』
ベッドの上半身がしっかり起き上がったことを確認すると、私はホップの方へと向き直った。
『あの日、ホップが私を助けてくれたんだよね…それに1ヶ月もの間、研究もあったはずなのに毎日来てくれてたって聞いたよ。迷惑かけて、ごめんなさい』
いくら幼なじみとは言え、こんな事件に巻き込んでしまって、挙げ句の果てには看病まで任せてしまって…これが普通の友人ならばきっと匙を投げられたっておかしくなかったはずだ。それをホップは全てこなしてくれていたのだ。
どれだけの迷惑を、私はかけてしまったんだろう。そう考えると、ホップには頭が上がらない。
謝ってから暫くの間、時計の針の音だけがやたら大きく部屋に響いていた。
でも、ホップは何も言ってくれない。やはり、嫌われてしまっただろうか…
『ごめん。やっぱり、本当に迷惑だったよね。いくら幼なじみとは言え…ごめん』
いつもなら、気にするな!と笑って言ってくれるのに…
本当に呆れられてしまってるんだ…
あまりのいたたまれなさに私はつい早口に喋ってしまう。
これでもうホップとの幼なじみ関係もおしまいかもしれない思うと、辛くて切なくてただ俯いてシーツを握りしめる。
『もう、私は大丈夫だから、明日からのお見舞いも来なくて大丈、』
「お前、本当にオレが迷惑かけられたから怒ってるって思ってるのか?」
私のちょっとした強がりをホップの冷たい声が遮った。
やっと口を開いてくれたホップの顔を恐る恐る見上げると、ホップの目には怒りやら悲しみやら色んな色の感情が渦巻いていて、見上げた私の方が目を逸らしたくなっていまう。それなのに今のホップにはそれをさせない雰囲気が漂っていた。
「オレが迷惑かけられたから、お前のこと嫌いになったって本気で思ってるのか?」
『…そうじゃ、ないの…?』
そうじゃなかったら何だと言うのだ。私には、何故ホップがこんな顔をしているのか、何故こんなに苦しそうなのか理解できない。心当たりもそれ以外に無かった。
「…っ!」
一瞬ホップがとても辛そうに眉間にシワを寄せたのを私は見逃さなかった。
ホップは何か言葉を発する訳でもなく、私の方に手を伸ばす。
え、何…?
そのまま私の腕を掴んだかと思うと、配布された病院着を肩まで捲り上げた。
『…!?』
今度は私が息を飲む番だった。だって、そこには…
「お前、何してたんだよ…」
そこには…私が彼に蹴られたり殴られた時の…
「お前、何されてたんだよ…!」
あの日々に身体につけられた沢山の痣が…
「何なんだよ、この身体中の痣は……!!」
『っ!』
今まで何の感情も含んでいなかったホップの声が、怒りや悲しみを滲ませて部屋中に響き渡った。
バレてないとは思わなかった。だって入院してる最中にきっと看護師さんたちからも説明があったはずだ。
隠し通せるとも思ってなかった。
でも、きっと優しいホップのことだから、見て見ぬふりでこの事には触れてこないと思っていたのだ。意図して誰かに見せることも、見られることもないと思っていた忌わしい痣は1ヶ月が経った今でも私の腕に模様を描くかのように残っている。
「ナマエ、言ったよなオレに。オレにだったら何でも話せるって。何でも話せるのはオレだけだって」
私はハッとしてホップの瞳を見つめる。この怒ったような悲しむような目の理由はもしかして…
「こんな大事なこと話せないで、何が何でも話せる幼なじみなんだっ!そんなにオレはナマエにとって頼りない幼なじみだったのか!?」
そう言い終わったホップは言葉の続きが出なかったのか肩で息をしながら俯いた。
こんなに怒ったホップを見たのは、いつぶりだろう…いや、初めてだったかもしれない。
いつも私のことを「しょうがないな」といいながらも面倒を見てくれていたホップ。
そんなホップの怒った姿を見て、私はすぐには言葉を紡ぐことは出来なかった。
「……ごめん。意識戻ったばっかなのに…オレ、このままじゃまた怒っちゃいそうだから今日は帰るな。なんかあったらアニキに言ってくれ」
じゃぁな、と小さな声で呟いて椅子を立とうとするホップの手を、私は伝えたい言葉も浮かんでいないのに咄嗟に掴んでしまった。
『待って!そうじゃ、ないの…!』
ホップは立ち上がったまま、足は止めてくれたがこちらを向いてはくれない。ただ、いつもなら大きな背中がちょっとばかり小さく見えて…彼がまだ俯いていて、傷ついているのだと、その背が語っていた。
私はホップを傷つけてしまって、本当にバカだ。
『違うの、ホップ。ホップのこと頼りないなんて一度も思ったことなかったよ』
ゆっくりと、頭の中でなんて言えばこの気持ちが伝わるのだろうと考えながらホップに語りかける。
「じゃぁなんでだよ…なんで知らせてくれなかったんだよ…もっと早くに知らせてくれてたらこんなこと…オレにはなんでも話せるって、オレしかいないって言ってたじゃないか…」
先ほどまでの勢いが嘘のようにホップは小さな声で返してくる。その姿はまるで幼い子供が傷ついて泣いているようだった。
『だからだよ…私にとってホップは誰よりも大事な幼なじみ。だからこそ、これ以上迷惑かけたくなかった。嫌われたくもなかったの』
「嫌うなんて…!」
『それに…!私がDV男と一緒にいるなんて知ったら、いくら過激ではないとはいえども写真ごときで強請られるようなヤツだって、バカな女だって軽蔑されると思った。それが怖かったの…』
「ナマエ…」
僅かな沈黙のあと、ホップはやっと振り返り、元いた椅子ではなく私のベッドに腰掛けた。
その表情は怒った顔でも悲しんでいる顔でもなく、目には力強い意思のようなものが込められており、その目は私をしっかりと捉えていた。
そして、静かな、それでも部屋の空気を突き破るような声で、
「もし、ナマエがこのこと話したとしても、きっと軽蔑なんかしなかったぞ」
むしろ相手をぶん殴りに行ってた、と痣をそっと撫でた。
きっとその時の私はホップの顔を見ながら目を見開いていたはずだ。
ホップのその言葉に、痣を触れた手に、瞳に私はずっと握っていたシーツから手を離す。
そんな私の目をしっかり見つめる金色の瞳に、また返す言葉が浮かばない。その代わりにじんじんと疼いてくる胸の痛みはなんだろう。
「オレにとってお前は大事な存在なんだ。その存在をこんな風に痛めつける奴を、オレは絶対に許さない」
ホップの言葉が、私の胸の痛みを強くする。ホップの瞳を見つめているはずなのに、段々とその瞳がぼやけて見えるのはなんでだろう…
「もっと自分を大事にしてくれ。お前が自分を大事に、自分を守れないなら、その分オレがお前を大事にする」
その言葉に今度は鼻の奥がツンとするのは何故だろう…
「オレがお前を守るから…だから、もう無理しなくていいんだ」
ポンポンッと頭を優しく撫でた揺れのせいか、ホップの言葉のせいかは分からない。
分からないけれども、私の瞳からはボロボロッと効果音がつくのではないかと思う程大粒の涙が溢れだし、まだ空気に触れている腕の痣を洗い流すかのように伝っていく。腕を伝った涙は真っ白なシーツに吸い込まれは消えて、また吸い込まれては消えてを繰り返す。
そんな私の涙を見て驚いたのか、先ほどまで落ち着いていたホップはどこにいったのやら、おろおろと慌てふためき始めた。
「な、泣くなよ…!そんなに泣くことか!?」
『だって、ホップが…ホップが…』
「お、オレか…!?オレだよな…!怒りすぎたよな…!?」
『違う、の…!』
「違うのか!?」
『違う、けど…ホップのせい、なの…!』
わんわんとワケの分からないことを言う私にホップは暫く狼狽えていたけれど、そのうち何で泣いてしまったのかを察したらしく、私の身体を優しく引いて抱きしめた。
「よしよし。分かった。分かったから、落ち着けよ」
そのまま私の背中を優しくさすってくれた。
上下する温かな手と、身体に伝わるホップの体温。
その体温に身体を預ければ、また涙が造られるわけで…
『ごめんねホップ。心配かけて本当にごめんなさい…』
「いいって!怪我はしたけどお前が生きててくれて本当に良かったよ」
その言葉にまた嗚咽を漏らす私を、ホップはあの日、あのファイナルトーナメントで私が泣いてしまった時のようにずっと抱きしめていてくれたのだった。
ーーーーー
その次の日から私の病室はとても賑やかになった。
朝はダンデさんが、昼からはホップが、そして時折ローズさんとオリーヴさんが遊びに来てくれるようになった。
ローズさんなんて、私が目覚めてから初めて会った時は片手で目元を覆って涙していたくらいだ。オリーヴさんがハンカチではなくタオルを差し出していたのには少々笑ってしまったのだが…
そんなローズさんやオリーヴさんたちは来る度に花を持ってきてくれる。その花は毎回種類も色も異なっていて、見ているだけで気分が明るくなるので、結構楽しみにしているのだ。
今日も朝一番に持って来てくれて、今はそれをホップが部屋の中央にあるソファでカットしている。
『これ、全部、ホップがやってくれてたんだってね』
私は部屋のインテリアの一部のように飾られた、マグカップと花たちを指さしながらホップに声をかけた。
「そうだぞ。ヤローさんに相談して、作ってみたんだ」
バチンッと長さも計らずにハサミを入れていくホップは、もうきっと沢山の花を生けてくれたのだろう。
『凄いね、ホップは。何でも出来るんだ』
「これに関しては、ローズ委員長たちが沢山花を持ってきてくれるからな。もう慣れたぞ!」
そのまま、マグカップでまだ元気に咲いている花を摘んだかと思えば差し替えてしまった。
『それ、まだ元気そうだけど…捨てちゃうの?』
それはそれで可哀想だなんて思いながら尋ねると、
「これはドライフラワーにするんだぞ」
と横に置いてあった大きな密閉式の箱を振る。その箱はとても重たそうで、中でサラサラと音がした。
『…砂?』
「これの中にはシリカゲルっていう乾燥剤が入ってて、ここに元気な状態の花を入れておくと一週間くらいで綺麗なドライフラワーになるんだぞ」
全部ヤローさんからのウケウリだけどなっ、そうニカッと笑ったホップはとても得意気だった。研究でポケモンたちを触ったり、細かい作業をしたりすることも多いから元々手先が器用なのかもしれない。
『ねぇホップ』
「なんだ?」
私はベッドサイドにあったマグカップを手に取り、見つめる。
そのマグカップは私が目覚めた日からずっと同じ花が生けられている。花延命材を上手く使っているのか、萎びる気配は全くない。
『これもホップが生けたの?』
「あ!そ、それは…!」
何故かホップがしまったという顔をした。
『これ、私の好きな黄色がメインだけど、この所々に入ってる紫…』
そう言いながら紫色の花をツンツンとつついていると、ホップが慌てて立ち上がり私が持っていたマグカップを取り上げてしまった。
『ちょっと、なんで取り上げるの』
突然取り上げられた私は、自分でも分かるくらい、おもちゃを取り上げられた子供のような声で文句を言う。
「な、なんでもないんだぞ…!これ、今日貰った花と混ぜて生けようと思ってたんだぞ…!!」
だから没収な!と言ったホップに私は更に駄々をこねる。
『やだよ。それ、気に入ってるんだもん』
「花なら、他にも…」
『それがいい』
なんとしてでも私からそのマグカップを取り上げようとしているホップに不信感を抱きながら口を尖らせる。
『それ、私とホップみたいだから。気に入ってるの』
そう言うと、ホップはボンッとカレーが出来上がるような音と同時に顔を真っ赤に染めた。
「な、お前、それ…」
『何?幼なじみカラーで私は凄い好きなんだけど…』
そういうと、今度はホップは力なく項垂れてしまった。今日のホップは忙しそうだな、なんて思いながら手を伸ばしホップの腕からマグカップを奪い返す。
「は〜…お前は…」
腰に片手をあてながら頭を抱えるホップの姿に私はケラケラと笑いながら元あったベッドサイドにマグカップを戻すのであった。
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