ホップ視点
「あと2.3日でナマエさんには退院してもらっても良いでしょう」
「ほんとですか!?」
よく晴れた日の昼下がり。
オレとアニキはナマエの担当医と、午前診の終わった診察室で面談をしていた。診察室の壁に設置されたモニターにはナマエの経過観察資料や検査結果などが映し出されていて、その経過の長さからあの日からもう2ヶ月以上経ったことを実感させられる。気がつけば季節はもうすぐ梅雨に差し掛かろうとしていた。
ちなみにナマエを殴った張本人はと言うとアニキとローズ元委員長の口添え(圧力?)もあり、手続きや受け入れ先などがあるため、まだ暫く先にはなるが他地方の刑務所へと島流しになることが決定している。
「はい、まだ少しふらついたりすることも多いですが室内での生活には問題ない程度まで歩くことも出来るようになりましたし、あとは日常生活でのリハビリと通院で大丈夫でしょう」
医師の説明を聞いているうちに自分でもどんどん顔が綻んでくるのが分かった。
だって、やっとだぞ?ずっと病室にいたナマエがやっと日常に戻れるんだ…!嬉しくないはずなんかないじゃないか…!
「じゃぁ!早速ナマエに知らせて…!」
「ただし、条件があります」
あまりの嬉しさに気持ちが急いてしまって担当医の話を最後まで聞かず診察を飛びだそうとしたオレは、ドアノブに触れる直前で振り返った。
「条件?」
オレの代わりに冷静なアニキが腕を組み顎を撫でながら先生に向き直る。
「はい。まず一番始めに、ナマエさんが退院したからといって、今まで通りの日常生活にすぐに戻ることは難しいと言う点です。貧血による目眩も起こりますし、フラつきも皆無とは言えません。必ず誰かと一緒に生活をして、ナマエさんを助けてあげることが必要です」
そんなこと言われても、ナマエは親もいなくて1人暮らしだ…
「それから…住むところはどちらでしょうか…?」
「は?」
住むところはどちら…?住むところって…?
「あぁ、なるほど。そうだな…」
担当医の発した謎の言葉に、アニキだけがすぐに状況を飲み込んだように頷いているが、オレはさっぱりである。住むところ?
アニキは突っ立ったままのオレに再度椅子に座るように促した。
「ホップ。ナマエが昔1人で住んでいた所は、逮捕されたあの男に勝手に解約されてただろう?」
「そうだけど…」
「そして、ナマエとあの男が同居していた家だがな、あの男は逮捕された後に家を売り払っているんだ。元々男名義の家だったしな」
「はぁ!?」
「なんだ、お前だってあの家にナマエを住まわせるのは嫌だろう?」
あの嫌な空気の家にまたナマエを…そう考えただけで虫酸が走りアニキに即答する。
「それは嫌だぞ」
「だろう」
じゃぁ、ナマエの着替えとか小物とかは買い直しになるのか…アイツのお気に入りとか拘りあっただろから、とんでもない買い物になりそうだ。そして、選ばれる荷物持ちはきっとオレだ。……別にいいけど。
「そして、新居探しだが。今の季節はなんだ?ホップ」
「今の季節…梅雨前だぞ」
「そう、梅雨前。引っ越しシーズンはいつだ?」
「春だぞ」
「ということはどうなる?ホップ」
「……引っ越しシーズンが終わって…物件が、な、い…?」
アニキのクイズに答えながら頭の中でパズルを当てはめていけば行くほど、頭からサーッと血が引いていくような気がした。視界の隅では担当医が答え合わせをするかのようにタブレットロトムに「新着物件0件ロト」なんて言わせているから、オレの答えは100点満点だろう。
「てことは、どういうことだ?結局ナマエは退院できないままなのか?」
なんだそれ…せっかく退院できるまで回復して、リハビリも頑張ってきたのに結局退院出来ないのか?
「そうは言っていないだろう」
担当医の代わりにアニキが答える。その目には何かをひらめいたような光が宿っていて、これはアニキがとんでもないことを言い出すのではないかという弟としての勘が警鐘を鳴らしている。
「ナマエが次の引っ越しシーズンまで、誰かと一緒に住めば全て解決する話しだぜ」
ほら、やっぱりな…弟だから分かるんだ…オレの予想は当たるんだ。
「って、えぇ!?」
「ナマエと本当に仲が良い人は限られているからな…」
なんてオレのリアクションを無視し天井を見ながら一緒に住める人たちを考えているアニキはやはりとんでもないことを言い出した。
誰かと一緒に住む!?アイツと一緒に住めるような友達ってナマエには失礼だけど、アイツいたか!?だってこの入院期間だって来てくれたのは数人で…
「見舞いに来てくれた人を思い返してみたが、ピンとくる人はいなかったぜ」
今度は肩を落として呟くアニキ。そりゃぁそうだろう。ナマエはあくまで女優であって、その友達のルリナさんだってモデル友達で、もしナマエと一緒に住むなんてなったらマスコミも五月蠅いだろう。
「となれば………オレだな。オレの家でナマエの面倒を見るぜ!」
「はぁ!?」
「オレの家なら部屋は空いてるし、オレが居る間はナマエに付き添うことも出来る。オレが仕事でいない間は家政婦の人でも雇うさ」
それで問題ないですよね?なんて笑顔で担当医に聞くアニキは、さぞ今思いついたかのように張り切って言っているが、本当は最初から候補に入っていたのは言う間でもないだろう。
確かにアニキは人望も厚くてカリスマ性もあって、男らしく強い。仕事で何度もナマエと共演していたし、オレ自身もそれら全ての媒体を見ていた。見て、切り抜いて、録画して…格好良くて憧れで自慢のアニキと、美人で優しくて自分が好きで好きで仕方ないナマエ。端から見ればお似合いだと思う。それでも燻るような胸の痛みは消えなかった。どんなにアニキを羨んだか分からない程に。
今回のあの男の逮捕や病院の手配だって全てアニキがやってくれたことだ。アニキと一緒に住んだとしても、ナマエのことをきっと大事に守ってくれるだろう。そんなこと分かってる。分かってるけど…
もう、ナマエを手放したくない。ナマエを守るのはオレだけでいい。また疼き出したこの胸の痛みに、オレはもう耐えられなかった。
「オレが…オレがやります」
ーーーーー
ナマエ視点
3日後
『本当にお世話になりました』
病院の出口で看護師さんに押されていた車椅子から地面へと足をつく。2ヶ月以上ぶりに病院の敷地内からでたその日もとても良い天気だった。久しぶりに履いた靴の感触がなんだかくすぐったい。ゆっくり立ち上がろうとする私の腕をホップが支えるようにそっと引いた。
「ナマエ、しんどくなったら必ず言うんだぞ」
『分かってるよ、ホップは心配性だなぁ』
まだ長距離移動は車椅子を使うように先生からは薦められていたのだが、日常生活で車椅子は邪魔になると思い私が頑なに断ったのだ。それに、自分の足で歩きたいじゃない?
そんな私に過保護なくらいに「いいのか?本当にいいのか?」と聞いてきたホップはまるでお母さんのようだった。
「定期検診には必ず来ること。勿論、おかしいなと思うことがあったらすぐに電話すること」
『はい』
救急で入ってきて、治療してくれて、懸命に看病してくれて…聞くところによれば、どこから嗅ぎつけてきたのかコッソリやってきたマスコミも撃退してくれていたようで…
沢山お礼の言葉を述べて、私とホップは帰路へと歩き始めた。
『次の引っ越しシーズンまでとは言え、本当に私がホップの家にお邪魔しちゃっていいの?』
つい3日前ホップの口から告げられた内容をもう一度、念を押すかのように確認する。
その時は言葉をどもらせ詰まらせながらホップが告げてきたことに、私は驚いて手に持っていたマグカップを落としそうになった。一緒にいたダンデさんがキャッチしてくれたので大惨事にはならなかったのが救いだ。
勿論嫌だとか反論なんてなかったが、こうやって毎日病室に来ては私のリハビリや面倒を見てくれていたのにこれ以上お世話になっていいのだろうかと心配になったのだ。
「3日前にも言ったけど、オレが面倒を見たいって言ったんだから気にしなくていいんだぞ」
私の入院中に使った荷物を肩から下げ、私の歩幅に合わせて歩いてくれるホップはまっすぐ前を見ながら迷うこと無くそう言った。
「ナマエは、嫌だったか?」
『全然!むしろホップで良かったって思ってるよ』
そう返した私はなんだか照れくさくて、
『その荷物、1つ貸して!私持つ!』
と荷物を奪おうと背伸びする。すると
「ダメだ!」
なんて笑いながらヒョイと高く上げられてしまった。
こうやって気心知れたホップと生活することになって本当に良かったと思う。
ダンデさん宅と言う案もあったらしいのだが恐れ多い気がするし、モデル仲間のルリナだと何かとお互い気を遣ってしまうだろう。
昔からずっと一緒のホップとなら、きっと楽しく生活出来る。ホップにはまた負担をかけてしまいそうなのでその辺りはちょっとした家事とか何かでお返ししたい。勿論返しきれないだけの恩なのは重々承知だけど。
私の息切れが大きくなってきた頃、何度も遊びにきたホップの家が見えてきた。
途中、荷物を抱えたまま「大丈夫か?負ぶるか?」と心配そうに聞いてきたホップもようやく見えてきた家にホッとしたようだ。
「ナマエ、家に着く前にオレからの決まり事な」
『?うん』
家への坂道を上りながらホップはその一、と続ける。
「オレが居ない時はちゃんと鍵を閉めること」
『うん』
「その二、ご飯は少しでも良いから食べること」
『はい』
「その三、定期検診で、1人で出歩いてもいいって言われるまでは、1人で外出しないこと。どこか行きたい時は必ずオレと一緒な」
『…ホップは面倒じゃない?』
「その四、そういうオレに気を遣うのも禁止だぞ」
『…分かった』
そして家の前に着いた。庭で日向ぼっこをしていたバイウールーたちが主人の帰りに気がついて走ってきて、私が大きく手を振ればとても嬉しそうな鳴き声が聞こえてきた。
「それから、最後な」
ホップは私の正面に立った。私の両肩にホップの手の重みがトンと落とされた。
「何かあったらすぐオレに言うこと。ちょっとした、些細なことでもいい。嬉しい、楽しいとか、悲しいとか不安だとか。全部オレが受け止めてやる」
『ホップ…』
「約束だぞ」
フッと肩から重みが消えたと思ったら目の前にホップの右手の小指が差し出された。
真面目な顔をしてこちらを見下ろすホップの言葉に、目頭が熱くなってくる。
ホップはいつも私がしんどいときに助けようと、傍にいようとしてくれる。
その優しさにどれだけ救われただろう…
ホップにはここ暫く泣かされてばかりだ。
『うん…!約束…!』
私もホップのように左手小指を差し出す。
『ホップ、これから暫くの間お世話になります!』
「おう!」
ホップの声に合わせるかのよう、ポケモン達が鳴いている。きっと皆私のことを受け入れてくれているのだろう。
太陽のように目の前でニカッと笑っているホップに、お互いの小指同士が絡まり出来上がった1つの約束は、私の心を温かく包み込んでくれたのだった。
そしてここから私のホップとの同居生活が幕をあけた。
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