▲メリーメリーバッドエンド
初めてあのゾルディック家に招かれたのは私が5歳の時。その時に何をして誰と話して過ごしたかなんてのは全く持って記憶にないのだが、珍しく母が自ら私の髪を結ってくれて「▲▲はお姫様ね」と鏡越しで此方を見て微笑んだ光景と、着慣れないふわふわのチュールドレスが嬉しくて、スカートの裾をいつまでの眺めていたのは何故か強烈に覚えている。母の言葉と相まってまるでその時よく読んでいた絵本のお姫様になった気分だった。
そういえば、あの絵本ってどんな話だったっけ。
「久しぶり。と言っても俺は割りと君に会っているんだけどね」
気付いてなかったでしょ。と付け加える目の前の男はそれは綺麗でそして恐ろしい。
私はというとまだこの状況が理解出来ず男の顔を見つめるしかなかった。
視線を逸らせないのは頭が回らないだけじゃなくて、下を見れば足元で倒れているだろう彼の姿が目に入るのが分かっていて、それを見て理解してしまうのを本能が酷く拒んでいるからだと思う。
ほんの数分前まではこんな事もこんな人もいなかったのに、どうして。
私の彼は小さな街の小さなレストランで雇われているしがないシェフだ。給料をつぎ込んで買ったと言う自前の安い包丁で何度も肉は捌けど人を刺したことなんてない実直で笑顔が素敵な普通の人。
私はというと実家は代々工作員としてこの国に仕えてきた一族の5人兄妹の末っ子。で、しかも女。さらには三女。
家を継ぐ義務は兄さん達が担ってくれているためある程度解放されていたものの、女が求められるのは一族に良縁を繋ぐパイプラインとしての役割だ。
まぁでもこれも上に姉が2人いるため、私は比較的好きに過ごしてきた。というより期待されていなかったのかもしれない。
実力主義のお家では優秀なことがステータスで、出来損ないだと疎まれるだろうがぼちぼちそこそこを地で行く末っ子なんて基本空気なのだ。必要があれば呼ばれ使われる。そんなものだろう、と達観していたのは皮肉からではない。
そんな私がその街に長期の潜入捜査をしていた頃、身分の拠点にしようとバイト募集の紙を眺めて入った
そこまで特別美味しいわけでもないチープなレストランで彼と出会い、恋に落ち、そして半年が経った。
勿論彼には私がスパイだと言うのは話していない。ただの出稼ぎのフリーターだと思っているはずだ。現地で恋人を作るのは上手く溶け込める方法の一つなのでこの点で言うと女は比較的に便利である。だから定期報告の際に話してもなんとも思われていなかった。
しかし、しかしだ。私は本気になってしまったのだ。彼の笑顔、優しさ、面白くも無いのに私を笑わせようと必死にするジョーク。
一方的じゃないセックス。ずっと甘いピロートーク。自分にだけ向けられる暖かさを知ってしまった。
ずっとこのままだったらいいのに、そう思い始めた頃に限って現実残酷なもので。
1年を予定していた捜査対処のテロ組織がある日を境にぷつりと消息を絶ったのだ。それも見事に上から下っ端の下っ端まで構成員からドライバーまで全て。
大きな組織ではなかったが大きくなる可能性はある程度の連中に何が起きたのか。素振りは微塵もなかった。横の関係は把握しつくしていた筈なのに。見逃した?まじかよ。極刑覚悟で慌てて実家に連絡をすると意外にもあっけらかんと言われたのが了解と撤収だけ。前者はラッキー以外の何物でもない。きっと私以外が知っている何かがあって、もしその何かがどうなってもどうでもいいように何も知らない駒が派遣されたのだろう。ちくしょーなんて悪態をつきながら不測の事態により私のこの町での生活は急遽終わることになった。
だから、適当に別れを告げて逃げようと思ったのに。
すっかり片付け終わった私のアパートへ今夜彼が突然来たのも不測の事態だ。
玄関を入ってすぐ何もなくなった部屋を見て何かを察したのであろう彼は、持ってきたワインとデリを放り投げて私を抱きしめた。行かないでくれ、と結婚しよう。なんて熱い抱擁と共に言われるとついぐらりと気持ちが揺らいでしまう。どうすれば、どうしたら。このまま逃げてしまいたい、彼と一緒に。そう一瞬でも思ってしまった時、抱きしめ返そうと回した腕がぴくりと固まった。
「え?」
開け放たれたままの玄関に誰かがいる。
こちらを見ている。
長い黒髪に女性かと思ったが、体格で男だと分かった。誰だこの人。そう思った瞬間その男は土足でつかつかと部屋に入ってくると、彼の首根っこを掴みべりっと私から剥がして、そして、そして。
「まさかと思うけど裏切ろうとしたの?」
「裏切るって、」
「家と、俺の事」
裏切ったりしないよね?そう私を見つめる瞳の奥は真っ暗で底がわからない。
彼の言葉から考えるにきっと実家からの御目付け役か何かだろう。まさかこの程度の任務で裏切りを心配されるほど関心をもたれていたのも驚きだが、私が一般人にお熱だったのがバレていたのかもしれない。
ここでようやく自体を把握しようと冷静になった私は足元で倒れる彼を見た。まだ助かるならと思ったが、状態的にどうみてももう遅いだろう。一瞬だったのが幸いかもしれない。込み上げてくる思い出と彼の存在を今はぎゅっと蓋で閉じ込めて私は再び目の前の男を見た。
「見ての通り、明日には引き上げて戻る予定でした」
貴方のおかげで最後に死体処理の仕事が増えましたけど。と付け加えたが彼の顔が心なしか険しくなった。
さすがに自然に演技できてなかったか、私も冷や汗が背中を伝う。それにしてもきちんと終わらせるつもりだったのだからせめて制裁はちゃんと裏切ってからにして欲しい。いくら蓋をしてもじわりじわり彼への罪悪感が込み上げてきて涙が出そうになる。
「これ以上▲▲がこいつに構わなくていいよ。俺のほうで手配しとくから」
その言葉に私はふと疑問を抱いた。
てっきりうちの人間かと思ったが、出涸らしでも一族の末娘を呼び捨てにしてくるようなこの男を知らない。そもそも我が家は工作員だ。目立たず溶け込むのが基本なので有事の際以外、必要以上に殺しはしない。
それなのに、こいつは。なんだ。
「あれ?どうしたの?」
こちらに伸びてきた手を反射的に払い、下がりながら距離を取る。
困った。一般人といえど一瞬で大柄な彼を殺した腕。気配のない動き。傭兵というより暗殺者か?困った。本当に困った。最低限動けるがそのレベルの私がガチのこいつにどこまでやれるだろう。いや下手に応戦しようとせずに逃げに全フリするほうが得策かもしれない。幸いリビングの窓の下は川が流れている。ぶち破ってそのまま郊外まで逃げるか。逃げるってどこに?実家?いやこいつは私の家の事を知っていて裏切りを確認してきた。つまりこれって身内が私を口封じにきたってパターン?嘘でしょ。まじで極刑だった。
どうしよどうしよと頭をフル回転で問答していると「あー違う違う。ダイジョウブだよ」なんて抑揚のない声とは裏腹にぐっと間合いを詰められる。やば。下がろうと後ろ足に力を込めるが、そのあまりの速さに反応が遅れ、私の体はそのまま床へと倒れこんだ。こうなればこいつの無駄に長そうな股下をくぐって玄関から逃げるコースに変更だ、とそのまま体を滑らそうとしたのだが、それも見越されたのか腹部にどすりと重圧。奴が私に馬乗りになったのだ理解した時には両手首を掴まれ床に押し付けられていた。足を動かそうにも腹に乗られてるんだ、動きようがない。
あーあ、これはだめだ。
「降参です」
「なにが?」
「いや、普通に打つ手が無いなと」
はぁ、と溜息を吐いて私は目の前の男を見る。男の私を見ているが何を考えているのかは分からない。私程度にこんな格上遣さなくても。なんて考えながら「さしずめ恋人と無理心中とかそんな設定なんでしょう?ほらさっさと殺してくださいよ」と私は目を閉じた。
恰もソレっぽい事後処理だ。色々と思うところはあるものの、私のくだらない人生を好きな人と同じ場所で終えるならそれもいいかもしれない。別に捨て駒にされようが悔しくないもんね!と心で悪態をつきふんっと鼻を鳴らし目を閉じ受け入れた。
「お前、何言ってるの?」
が、いつまで経っても生きている。恐る恐る目をあけると相変わらず目と鼻の先に男の顔はあるのだが、いぶかしむような、なんとも言えない様子で私を見ている。
「殺されるんじゃないの?」
「俺が?▲▲を?」
「父さん達が貴方を遣したんじゃないの?」
「別に。俺が勝手にしてるだけ」
なにを、と言いかけて私は口を噤んだ。
「まぁ知ってはいるみたいだけど?そこは流石の情報網だよね。だからってどうこうできる相手じゃないってのも分かっているだろうし。俺の父さん達には連絡あったみただけどさ」
この男が何を言っているのかまだ理解が追いつかない。
「俺って理解ある婚約者だから、ちゃんと▲▲の家の仕事も分かってるしそれを邪魔するつもりはなかったけど。浮気はだめだよね?ましてや俺から逃げようなんて許されないよ。今回みたいに一般人に騙されて、本当にどうしようもないなぁ。やっぱり時期を待つなんて悠長な事せずにさっさと進めてしまえばよかったんだ」
▲▲は弱くて馬鹿なんだから。押さえつけていた手が離れ、私の頭から頬をするりと撫でる。手首の拘束はとかれたのに身動き一つできないのは恐怖心からだ。なんだこいつは、何を言っているんだ。混乱する頭の中でふと、先程の彼の言葉に覚えがあるを思い出した。
「▲▲は弱くて馬鹿なんだから」
記憶の奥底で目の前の男と同じ目をした少年が私の頭を撫でる。私は彼の視線に耐えられなくて下を向き、あのチュールスカートの裾を必死で握り締めていた。
そう、あの夜の――――。
「イルミ、ゾルディック・・?」
嬉しそうに目を細めた男は、
「俺がこんなに長い間愛してあげていたのに、まるで自分が孤独みたいに思い込んですぐに他の男に尻尾振るんだから、君って本当に面倒で我侭な女。でも大丈夫だよ俺は寛大だからね。まだお前をうちに迎える手筈が済んでないから今から何かと面倒だけれどまぁ2人なら乗り越えられるさ。手始めに毒の耐性ね。▲▲のその程度じゃうちで通用しないからもっと頑張ってもらうよ。後はもう少し戦えるようになって貰わないと。あの程度で簡単に降参して死のうとするなんて俺が離れられないじゃん。そういうの面倒くさいから少しは自立してよね。あぁそれに俺長男だから他にも婚約者候補とかいてそっちもどうにか片付けないと。もっとゆっくり準備する手筈だったのに急に急がしくなるなぁ。
▲▲はいいよね気楽な家でさ」
待って待ってどういうこと?と聞きたいけれどあまりの事に口がぱくぱくと動き呼吸が漏れるだけで言葉にならない。そんな私を見て「あはは間抜け面」と棒読みで笑う彼は立ち上がると私の腕を引き起き上がらせた。のだが足の力がぬけてがくりと再び崩れ落ちる。「え?腰が抜けたの?面倒だなぁ」よいしょっと私を抱え彼は玄関に向かって歩き出した。「どこ、いくの?」かろうじでこぼれた言葉と同時にぐちゃりと踏み付ける嫌な音が聞こえた。何かは察しがつく。短い間過ごした部屋も、愛した男だったものも見る勇気のない私はぎゅっと目を閉じた。せめて少しでも視覚から入る現実を受け入れないように。
「帰るんだよ」
その声と同時に玄関のドアが閉まる音がした。