▲擂り粉木で重箱を洗う


仕事で何かと付き合いのある暗殺者から数日前にメールが一通届いた。そこには詳しい日時と指定された場所で待つとのこと。
正直な所、実力でいえば彼は間違いなく私より格上なのだが有り難い事にこれまで敵対されることも無く、お互いに面倒な仕事等は手伝ったり斡旋したりと便利で友好的な関係を築けている。
なので今回のその突然送られてきたメールもてっきり仕事の依頼なのだと思ったのだ。その時の私は自身の浪費癖のせいで悲しいかな丁度金が無かった。これはラッキー極まりなし。喜んですぐさま了解とだけ返信をし、返す当てができたのをいい事に金の前借りへ出向いたあの夜の軽率さを呪う羽目になろうとは思いもしなかった。

何故詳しい内容を彼に確認しなかったのだろうか。
何故私の浪費癖は治らないのだろうか。
何故あのブランドの今季の新作バッグはあんなにも可愛いのだろうか。

何故、今夜のイルミさんはおめかしをしているのだろうか。

「お前ドレスコードって知ってる?」

いつもと変わらない私の軽装に彼は顔を顰めながらそう言うので「まさか今夜それが必要だとは知らなかったんです…」と返すしかできない。彼が指定してきた場所はそれはそれは街で有名な所謂グランメゾンのお店。なのでてっきりそこに来たターゲットを消す手筈だと思っていた私は殺る気満々で店の裏口で待機していたのだが、連絡のあった予定時刻を1分過ぎた瞬間にイルミからかかってきた電話で私は壮大な勘違いをしていたのだと知ることになる。

これはそもそも仕事の依頼でもなんでもなかったのだ。

急いで店の表に回った私を待っていたのはそれはまぁ良く着こなされた格好の彼。私に気付いたようで目が合ったのだが、すぐさまゆっくりと視線が上下に動き、このくたびれた服装を認識したのだろう。不機嫌そうな顔になりながら放った第一声が冒頭のそれである。その様子から薄々と気付いていたのだが、まさかまさかと思い「今日、仕事…ですよね?」と問えば一瞬の静寂の後に聞こえてきた深い、深い溜息。あぁやっぱりかぁ。

「普通ターゲットの情報もないのに暗殺依頼だと思う?」
「すいません、当日聞けばいいかくらいに考えてて…」
「報酬の話も何もしてなかったと思うけど」
「すいません、いつも通りの相場くらいに考えてて…それも当日聞けばいいかと思いまして」
「お前、馬鹿なの?」

呆れて腕を組みながら私を見下ろすイルミさんに「面目ないです」としか言えなかった。まさか普段ビジネスライクな付き合いの相手に食事に誘われるなんて考えないし、それならそうともう少し文面で伝えてくれればいいんじゃなかろうか。と思ったがこれは口が裂けても言えない。言ったら本当に私の口が裂けることになりかねない。

「そんな格好の奴連れて店に入りたくないんだけど」
「あ、じゃあ自分は今日はもう帰りま、」
「今回は許してあげるけど、次もし間違ったら殺すから」
「わぁどうしよう。色々凄く遠慮したい」

ほら行くよと腕を捕まれそのままずるずると引き摺られて行く。私が抵抗したのも一瞬で、私の姿を見て恐らく入店を止めに来たオーナーらしき人物の頭に針が数本刺さった瞬間命惜しさにすぐさま大人しく着席した。
そして相変わらず解せない様子で此方を見つめ続ける向かいのイルミさんの視線から逃げるように、置かれたメニューに手を伸ばしてみたのだがそこに書かれてある沢山の0に私の目はひん剥かれる事になる。さらに驚くはドリンクメニューだけでこの値段。今朝食べたマーケットのサンドイッチが何個買えるだろうか。

「イルミさん。私の実はイルミさんがびっくりするくらいお金が無いです」
「知ってる。別に驚かないよ。呆れる事は多いけど」
「ぶっちゃけ今日仕事だと思って昨日散財しちゃいました」
「知ってる。馬鹿だよね」
「なので直近で早急に回して貰えるお仕事があれば助かります」

どうぞよしなに〜と両手を合わせながら態とらしく大袈裟に頭を下げると、イルミさんは「うーん」と顎に指を置き考える素振りをしたと思えば「まぁ遅かれ早かれだしもういっか」と独り言のように呟く。何か当てがあるのだろうか、私が尋ねようとしたその時にイルミさんは此方を見て言った。

「俺にそういう趣味は無いけど、特別に買ってあげようか」

何を、と声に出す前に彼の妙に熱っぽい視線や、私の手の甲をつつつと撫でる仕草で分かってしまった。まぁもうこれは考えるまでもない。私の頭の中の天秤がぐらぐらと揺れる。

「よれよれのTシャツ女ですけど、高いですよ私」
「俺に吹っ掛けるなんていい度胸してるね」

「安売りしたくないんで」これでも良い体してるんです。と微笑めば「お前の借金全額に色と指輪付けてあげる」との返答。現金な私の天秤が瞬時に傾いたのは言うまでもない。

「やださすが金持ち」
「特別にって言っただろ」

この時の私はまた浅はかにもちゃんと確認せず彼の買おうとしてる時間というのをどうせ今夜一晩の事だろうと軽く考えていた。まさかまさか一生のつもりで彼が話しているなんて想像もしていなかったし、誰が予想できただろうか。
翌朝高そうなホテルのスイートルームで目が覚めた私に帰る家すらなくなっている事を告げられるまで、私は呑気にもあの気になっていた新作バッグが手に入る喜びに浸っていたのであった。