そういうイベントが迫ってきているのは嫌でも知っていた。街中の装飾はどこを見てもそれ仕様だし、イベント事に乗っかった商売もそこかしこ。
かといって特別花を送ってくれたり愛を囁いてくれるような男も随分いない仕事人間の私には関係の無い話である。その日の過ごし方は、いつも通り仕事でいつも通りこなすだけ。だが今日の仕事は組織等とは何も関係のない個人の依頼だった為どうも痴情の縺れのようなものを察せざるを得ない。バレンタインデー。過ごし方は人それぞれだなぁと考えながら私はこれまたいつも通り仮住まいをしているホテルに帰るのであった。
「ねぇ勝手に入らないでっていつも言ってるでしょ」
部屋に入るや否や人のベッドで寛ぐ男を目で捉えるとなんだか疲れがどっと出てきた。「もう帰ってきたんだ」と平然と答える彼は同業者で、しかもあのイルミゾルディックである。数年前たまたま同じ場所で別々の依頼があった時に知り合い、利害が一致すると一時的に手を組んだのをきっかけで妙な縁が出来てしまった。少し前までは情報交換も兼ねて食事に出たりしていたものの最近ではわざわざ時間を取るのが面倒になったのか随分とお座なりになり、こうして無断で人のプライベートにずけずけとあがりこんで来るようになったのだから全くどうしたものか。「聞きたいことあるんだけど」「何?長くなりそうなら先にシャワー浴びさせて」なにか気に障ったのか軽く眉間に皺を寄せこちらを見てくる彼。その意味ありげな視線には気付いているが無言は肯定と捉えた私はそのまま浴室へと向かった。元来自分が図太い方だとは自覚している。
最初は彼に気を使いはしたものの、私も諦めの境地に入るのは早く、図々しさには図々しさで返してやろうとしているとこうして恥じらいすら無くなっていたのであった。
さて今日はどんな案件の用事なのだろう、ぼんやり考えながらシャワーの湯を止める。すると途端に備え付けの冷蔵庫に入れていた昨日の報酬のおまけでついていた年代物のウイスキーの存在を思い出した。しまった!忘れてた!手早くバスローブを纏い髪をタオルで包んだ私は、どうか暇を持て余した彼が飲んでいませんようにと足早に部屋へ戻ったのであった。
「それで?今日はまた何?」
幸いにもウイスキーは無事であった。今日は寒いしホットウイスキーにでもするかとケトルで湯を沸かしている間、彼のほうを見れば相変わらず人のベッドに腰をかけてこちらを見ている。…まぁどうせ飲むだろう。私はグラスを二つ出した。
「なまえが俺に用事があると思って」
面倒だから先に来てあげたんだと彼は言うが全く何のことやら検討がつかない。一瞬イルミゾルディックの暗殺なんて依頼されてたっけ?と思ったがそんなssr級の自殺案件あっても受けるものかとすぐに冷静になる。ならばなんだろう、何かやらかしたかと考えていると彼は「バレンタインでしょ今日」と。
それはまるで頭に盥を落とされたような衝撃だった。
「何その顔」
「いや、貴方からそんな時事ネタが出るとは思わなくて。意外と行事事に浮かれるタイプなのね」
「馬鹿にしてる?」
「いやいやまさか」
なんだかおかしくて笑っていると、立ち上がり近付いてきた彼が不意に私の目の前に手を差し出す。
この会話の流れから何かくれるのかと一瞬期待したがその手には何も乗っていない。もしかしてそういうあれなのかと思い凝で見てみてもやはりそこには何もなかった。なんだよ。
「…手相見て欲しいの?」
「チョコ」
「は?」
バレンタインだから、と補足されても頭の中はハテナでいっぱいだ。繋がらない私に彼も分かりやすくムスッとした表情をする。だからなんだよう。
「俺にチョコくれるよね?」
「バレンタインだから?チョコ?なんで?え、待って、だとしてもイルミが私にくれるんじゃなくて?」
「なんで俺があげるの?」
「え、なにこれカツアゲ?」
相手はあのイルミゾルディック。
下手すれば殺されかねないなんて顔が引き攣る私に溜息を吐いた彼は「ジャポンでは」と続ける、ジャポン。あぁ、あの偏狭の、島国の。
「女が男にチョコレートを渡す日なんだって」
「へぇそうなんだ。…あぁ、それでチョコをくれ、と?」
「うん」
「本当にただのカツアゲじゃん」
急に来てこの暴挙。せめて事前に言ってくれよと思いながらも辺りを見回してもそもそも私はあまり甘いものを食べない。チョコなんてないよなぁ、余程食べたいのだろうから今からでもショップに誘ってみるかと考えながらも不意にケトルの湯が沸騰した音がして私ははっとした。そうだ確かあれがあったはず。私はグラスをやめてマグカップに手を伸ばした。
「なにこれ」
「カカオティー」
それは先日道端のワゴンの匂いに釣られ仕事中にも関わらず珍しく衝動買いしたものだった。チョコレート、ではないがまぁこれで許してもらえないだろうか。訝しそうに手の中のマグカップを見つめる彼に「美味しいよ」と言うと「まぁいいか」との返答。失礼な奴。
「ありがとね」
こいつ素直に御礼が言えるタイプなんだと思いながら心なしか機嫌良くマグカップに口をつける彼を見つめる。そして来年はちゃんと準備してあげるかぁなんて思ってしまった自分の優しさに感心するのであった。
「俺も好きだよ」
「待って待って待って。ちょっと待ってごめんなんでそうなった?」