▲イルミ
2月13日の夜。
特に用事があったわけではないけれど、なんとなくなまえの家に向かった。
鍵は勝手に作っているので呼び鈴を鳴らすでもなく部屋に入ればドアを開けた瞬間に鼻につく甘ったるい匂いに思わず顔を顰める。
そういえば彼女は数日前に会った際に産まれ故郷でもあるジャポンのマーケティング戦略の文化をだらだらと語っていた。
思えば明日はその日であり、この匂いと語っていた内容から何をしているのかは想像がつく。
キッチンに入れば案の定そこには鼻歌まじりに何かを作っているなまえが居て、普段現場で見かける際の手際よく冷たい機械的な雰囲気とはうって変わった平凡なその様子に胸の奥がざらりと嫌な感じがした。
「なに作ってるの?」
「っ!?」
気配を消したまま背後に忍び寄り話しかければ油断していたのであろうなまえは、驚いたように一瞬息を飲んだと思えば反射的に近場にあった包丁を俺に振り下ろす。
そんな大振りな動き、避けるのは造作も無い。
振りかぶり空を切った彼女の腕をそのまま掴むと俺は背後の冷蔵庫へと叩きつければ、彼女の腕から落ちた包丁がカランカランと小さく音を立てて床に転がっていった。
「・・・イルミさぁ、勝手に入らないでっていつも言ってるじゃん」
「なまえが油断しすぎなんだよ。いつもだったらすぐに気付いていただろ?」
俺の視線に居心地が悪くなったのか「はいはい精進します」と適当に返事を返しながらなまえは落ちた包丁を拾うとシンクへと投げ捨てる。
「それで。この前話していたチョコがどうこうっていうのがそれ?」
「そー。生チョコ」
「なまえってこういうの作れたんだ」
「溶かして固めただけの簡単なものなんだけどね」
そう言いながらなまえはココアパウダーを振ったそれを一口サイズに切っていく。
手先を眺めながら「ジャポンのバレンタインデーって絶対手作りなわけ?」と聞けば「既製品の場合も多いよ。でもまぁこういうのは気持ちだからねぇ」との返答。ふーんと生返事をしながらも彼女のいう気持ちとはなんなのだろうと思う。
時間と労力をかけて作ったそれはきっと大した物ではなくて、材料を買ってきてレシピを眺めながら慣れないことをする手間の後には散らかしたキッチンの掃除までしなければならない。それならば手ごろな値段で既製品を買ってくる方が遥かに賢い。
普段の彼女ならそれが分からない程の馬鹿というわけでもないだろう。
じゃあ、何故。
「食べる?」
ふと目の前に差し出されたそれはカットされたチョコレート全体の端の方にある歪な形の物で。
誰が見ても分かる要らない余りの箇所を渡された不快感はあったが、彼女が自身が作ったそれをフォークに刺して俺のもう口元のすぐ側まで差し出してきているのだから、なんとなくそのまま口に含んでしまった。
「美味しい?」
「普通」
その言葉に柔らかくあははと笑いながら先程まで俺の口の中に入っていたフォークをそのまま使って、生チョコとやらを口に運ぶその動きが妙にスローモーションのようにゆっくり時が流れてつい見入ってしまう。
彼女の唇の端についたココアを見つめながら俺は気になっていた疑問を投げかけた。
「それ。誰にあげるつもりで作ってたの?」
「え?彼氏だよ。当たり前じゃん」
That’s the way the cookie crumbles
2月14日の夜。
とある家のリビングで俺は小さく真四角に均等に切られたチョコレート一粒口に含んだ。
行儀が悪いのは分かっているが指先についたココアパウダーもそのままべろりと舐め獲る。
足元にはこのチョコが入った箱を綺麗にラッピングしていた包みとリボンと、頭に針を数本刺した男の死体。
素性も良く知らない男だったが、彼女と交際して2ヶ月ほど経っていたのは知っている。
これで3人目。なまえにそろそろ勘付かれそうだがバレた所で大した問題ではない。
それよりも今俺が考えなければならないのはこの口の中で舌に纏わりつく甘さである。
どろりと唾液と口内の温度で溶けていくそれに彼女の顔が浮かんだ。
「これがなまえの言う"気持ち"ってやつかぁ」
同じものを食べたはずなのになんだか今食べている物の方が美味しい気がするのだから、
嗚呼、癪に障る。