弐ノ弐

私が連れてきたこの時代、2205年で彼女に与えられた役割や、ここに現れた経緯、政府の意図、様々告げられることに、主は戸惑うばかりのようだった。
致し方ないことではある。彼女を憐れみ、連れてきた私はすべてを理解した上でここに来たが、彼女は違う。
何の迷いもなく鷺原左京の凶刃にかかって死のうとしていたのだ。これからまだ未来があると言われても困惑するばかりだろう。

だが納得してもらわなければ困る。彼女の幸せのためにも。今は納得できなくても、左京の存在が自らの幸せに不必要と気付くのは、そう遠いことではない。


鷺原左京‐‐

公家の生まれで、家族を鬼族に殺された男。
彼もまた、憐れな人間ではあった。

知性も容貌も生まれも、他者から頭ひとつ、ふたつゆうに抜けていながら、復讐に取り憑かれ、妖刀に肉体を奪われ、罪なき人々を殺戮し、最後には愛した女を殺してしまった。

だが彼は、悔い改め、自らを省みる時間は大いに与えられていた。
復讐の闇に自ら足を踏み入れたのは、彼自身の意思だ。

彼は、神楽の言葉を、涙を、何度も与えられていたのに。

妖刀に精神と肉体を奪われてから、彼女を失ってから、自らの過ちに気付いたところですべては手遅れだ。

『彼女は、死んだのだ』から‐‐‐


ここを選んだのは間違いではなかった。
鷺原左京の過ちのために、彼女は今や命どころか存在、魂の危機に瀕している。救うには、これしか道はない。

幸い政府の担当者は若いながらも正しい心根の男。彼が担当でなければ、こうもうまく事は運ばなかった。

彼女も今は、納得出来ない事や混乱する事が様々あるだろう。だが最後には分かるはずだ。

私の選択が、唯一彼女を救う方法で、彼女への優しさなのだと。


「・・・というわけです。何か御質問はありますか?」


淡々としてはいるが、彼の説明は非常に分かりやすく、要点が纏められていた。要するにここは遥かな未来で、時間逆行軍なる敵と戦っている。そのための存在が、数珠丸のような刀剣の付喪神と、彼等を率いる審神者。彼は神楽に審神者になってほしいと言っているのだ。

何でも数珠丸はまだ実装されていなかった刀剣で、どの本丸にも存在しない。そんな彼を顕現させ、なおかつ主と認められている神楽は非常に貴重な存在なのだ。
神楽が審神者となり、数珠丸を出陣させたり生活をさせることで問題がなければ、他本丸での顕現も可能になる。審神者としての霊力はさほど多くないが、神楽はずいぶんと期待されているようだった。


「数珠丸恒次様は非常に貴重な刀剣男士であるため、こちらも相応の待遇で迎えさせていただきます。本来審神者様には初期刀一振りのみ与えるのですが、あなたには初期刀の他、政府所有の三日月宗近と小狐丸をお渡しいたします。」

「三日月・・・宗近・・・。」


その特別な名を聞くなり、ピクリと顔を強張らせる。


「あなたは天下五剣とも縁が深いと窺いました。小狐丸のことはご存知で?」

「・・・はい。能でも有名ですから・・・。」

「であれば問題ありませんね。お侍様でもあられるようですし、刀剣男士の皆様とも相互理解を深めやすいでしょう。」

「あ、あの・・・。」

「あなたの本丸は西端になります。私の管轄で、これからも対応させていただきますので宜しくお願いします。」

「は、はい・・・。」

「生活に必要な金銭はひとまずお渡ししますが、これからは本丸に送ります。衣服や食材も同様です。ただ、金銭以外はあなたや刀剣男士の皆様で各自注文していただくことになりますので、端末の使い方をお教えします。」


てきぱきと話が進み、神楽はもう相槌を打つしかなかった。けして悪い人ではないとは思う。事細かに説明してくれるし、江戸時代初期の人間である神楽には現代のことなど未知に等しいから、後程また改めて説明に行くとまで言ってくれている。
だが神楽は、自分の意思でここに来たわけではない。数珠丸に選ばれたことも、遥かな未来に連れて来られたことも、納得できていない。
ちらりと数珠丸を見れば、彼は微かに微笑んで頷く。ここに連れてきたのだから、もちろん神楽の戸惑いなどお構い無しだろう。

憐れだから、不遇だから。彼はそう言った。
今度こそ幸せになるのだと。

けれどわたくしは不幸だと感じたことはなかった。
自らを憐れと思ったこともない。
あるがままの運命として受け入れていた。

もしかしたら、皆もそう思っていたのだろうか。

わたくしは憐れで、不幸せだと。

左京さんも‐‐‐


そう思うと、たちまち頬にカッと熱が上った。
皆に憐れまれ、施さなければならないと思われていたなら、恥ずかしくて、確かにもう戻れない。

あまりに惨めで、情けない。


「・・・審神者殿?」

「・・・っ!ぁ・・・、はい・・・。」

「初期刀を選んでいただきたいのですが。」

「初期、刀・・・。」

「三日月宗近、小狐丸は既に数珠丸様にお渡ししておきました。あなたには、この六振りの打刀の中から一振りを初期刀として選んでいただきます。」

「・・・・・・。」

「初期刀を選んだら、本丸に移送します。左から・・・」


初期刀候補の六振りの名を順番に知らされる。どれも有名な刀で、触れることを躊躇うほど。

この中から初期刀を選べば、もう戻れない。だからかなかなか指が動かない。

けれど、どうやって戻ればいいのかも、分からない。


「・・・数珠丸。」

「はい?主。」

「・・・、・・・ひとつだけ・・・ひとつだけ教えてください。・・・左京さんは・・・あの後、どうなったのですか・・・?」


妖刀に操られていたとはいえ、彼は市井の罪なき人々を何人も殺した。磔のち晒し首にされてもおかしくはない。それでもあの場には信春がいた。他の皆もいた。左京は生きて、逃げ延びたかもしれない。
そんな期待を込めて数珠丸を見つめる。けれど彼は、緩やかに首を振った。


「鷺原殿は、あの後自害されました。」

「‐‐‐‐、」

「・・・あなたまで刺してしまったのです。蛍丸で首を斬り、湖に身を投げました。」

「・・・っ・・・、・・・!」

「・・・どのみち、彼は死罪でした。己か他人かの差です。」

「・・・さ、きょう、さ・・・っ!」


涙で歪んだ視界がぐらつく。倒れかけた神楽を、咄嗟に政府の担当者が支えたが、数珠丸はそれを眺めているだけ。


「・・・審神者殿、大丈夫ですか?」

「・・・、・・・っ・・・左京さ・・・っ」


大粒の涙を次々溢しながら机に寄り掛かる。そうして震える手が、一振りに当たると、神楽は涙を流しながら、その刀を手に取った。

打刀 山姥切国広。

穢れた手で触れるのも恐れ多い名刀。本来なら触れることすら有り得なかった。


( 左京さん。)


優しく笑ってくれた彼は、死んだ。

あの妖刀さえなければ。

あの鬼達さえいなければ。

けれど憎しみは何も生まない。すべてはあるがまま、受け入れなければならない。

否、もう・・・どうでもいい。

守りたかった人は死んだ。
今さら戻っても死んだことになっているなら、余計な混乱を与える必要もないだろう。

( ・・・兄上の、ためにも・・・。)

わたくしは罪を犯した。
極楽には逝けないし、地獄に堕ちても左京さんがいるとは限らない。

彼がいないなら、せめて‐‐‐


( 世界を救うなんて、そんな大それたことは考えていない。でもどうか、御仏の慈悲を。あの人の罪が、少しでも消えるように。)


ぐっと山姥切国広を掴み、両手で持つ。「・・・この刀を、選びます。」と呟くと、政府の担当者は「・・・わかりました。」とだけ答えた。


「何か分からないことがあれば、すぐに連絡をください。明後日、とりあえず本丸にお伺いしますので、山姥切国広、三日月宗近、小狐丸の顕現をお願いします。ただまあ・・・このこんのすけがいれば、大抵は問題ないでしょう。」


トトッと軽快な足音をさせながら現れたのは管狐。
狐がどうかしたのか、と担当者と管狐を見ていると、「お初にお目にかかります。」と管狐が口をきいて、神楽はビクリと肩を強張らせた。
妖・・・!?と身構えると、「こんのすけはあなた方と政府の掛け橋・・・とでもお考えください。」と政府の担当者が言った。


「こんのすけには様々な知識があります。とりあえず本丸についたら、こんのすけの指示通りにしておいてください。」

「・・・わかりました。」


どうでもいい。
今は、何も考えたくない。

「・・・行きます、どこでも・・・。」


左京さんがいないなら、どこでも同じなのだから。