参ノ弐

八つ当たりだ。
分かっている。三日月には三日月の、のっぴきならない考えがあったのだろう。
天下五剣は、数ある刀剣の中でも自ら使い手を選び、その力を与える。そんな素晴らしい刀が、使い手として選んでも力の発現を許さないのは、信春と三日月の間の問題で、三日月の側に理由があるのだろう。
大切だと言うのなら、それなりの理由が。

けれど、忘れられない。
本当の意味で天下五剣を扱うことが出来ない。将軍の後継ぎという重圧よりも、それは真面目で責任感のある彼の心に深い傷痕を残した。

兄にも等しい存在として慕った彼の、うちひしがれた後ろ姿を、忘れられない。


「・・・っ、」


はあ、はあ、と厨近くの廊下で立ち止まり、しっかりとした梁に寄り掛かる。じわりと浮かんだ涙に頭を振って誤魔化した。

悪いことを、してしまった。

理由も聞かずに責めるような物言いをして、傷付けてしまったかもしれない。
何だかひどく好意的で優しそうだったのに。
怒っているかもしれない、と目を伏せた時だった。


「追いかけっこは終わりかな?」

「・・・っ!?」


のんびりとした声に振り向くと、三日月が豊かな袖をひらひら遊ばせながら、笑顔で立っている。息を乱した様子もなかった。


「み、みか・・・づき・・・。」

「うむ、いかにも。」

「・・・も、申し訳・・・」

「何を謝る必要がある?」

「え・・・!?」


笑顔のまま首を傾げる三日月に、神楽は目を丸める。何を、とは、彼はどんな思考回路をしているのだろうか。
あんな失礼な振る舞いをしたのだから、怒っていて当然なのに。


「お前は信春を想うがゆえに、俺を責めたかったのだろう?優しさではないか。」

「・・・で、も・・・。」

「お前が何ら変わりなく優しいことが、俺にはむしろ喜ばしい。だから謝る必要などないのだ。」

「・・・っ、」

「さしずめ、なぜ使い手と認めていながら、力を与えなかったのかと、言いたかったのだろう?」


お見通しな発言に、神楽は萎れた表情のまま、こくりと頷いた。


「そうさなあ・・・、大きな理由を挙げるとするならば、信春を危険な目に遭わせたくなかったからだ。」

「危険・・・?」

「・・・お前達人は気付いていなかっただろうが、日ノ本は常世の干渉を強く受け始めていた。マレビト信仰なる邪教の教えがあることは、お前も知るところだろう?」

「はい・・・。常世の神、マレビトを崇拝する者達が、江戸にも増えたと・・・。」

「どの神を信じるか、それは人の自由ではあるが、あれは危険な信仰でな。我々五剣を振るえる者は、常世と現世の均衡を保つ役割を担うのだ。」

「・・・!?」

「無論、それを知る使い手はいない。・・・家光あたりは、さすがに知っているだろうが。」


常世の神、マレビト。
常世を治める神で、彼が振るう死の鎌に薙がれると、たちまち命を奪われるという。お伽噺でしか聞いたことのない存在が話に上るとは、予想もつかなかった。


「無論、マレビト信仰そのものが誤りであるとは言わぬ。中には純粋に崇めている者もいるだろう。だが一部の狂信者が問題なのだ。」

「・・・町で、信仰を強要する信者のことですか?」

「さよう。あれらはマレビトを現世に呼び寄せようとしていた。・・・それに、マレビトの影響を強く受けていた者がいたこともある。その双方の理由から、妖が活発化していた。」

「・・・だから・・・昼間でも妖が・・・?」

「マレビトが現世に具現すれば、我々五剣の使い手はマレビトを常世に戻し、開いた異空の扉を閉めねばならぬ。」

「・・・五剣の使い手は、妖を封じるのでは・・・。」

「無論、それも務めではある。だが五剣を振るうということは、命を懸け、現世と常世の境界を守るということだ。」

「そんな・・・っ」

「・・・いつかは、必要になったかもしれん。それでも俺は・・・、信春を死なせたくはなかったのだ。」

「三日月・・・。」

「あれは普段放蕩者として振る舞っているが、心根清く、真面目で優しい。あれほどの色男を失えば、世の損失であろうからなあ。」

「・・・確かに、数多の女子が涙に暮れて過ごしましょう。」


悪戯っぽく笑った三日月に、つられて神楽も微かに微笑む。それに満足げな笑みを浮かべ、三日月はそっと美しい指で頬を包んだ。


「お前の笑顔など、久方ぶりに見た。いつもそうして笑っていてくれ。それは俺の望みであり、信春の願いでもある。」

「・・・信春様は、お幸せに・・・なられましたか・・・?」

「妻も子も出来はしたが、お前の墓へ参ることだけは忘れはしなかった。・・・幸せかは・・・どうだろうなあ・・・。人は幸せに見えても、時折孤独を覗かせるものだ。奴にしか分からぬだろう。」

「・・・・・・。」

「・・・それだけか?」

「え・・・、」

「他に・・・聞きたいことはないか?」


悲しそうに微笑む彼が何を言いたいか、分からないほど神楽は鈍くはない。もっとその生涯を知りたい者がいるはずだと、彼は言っているのだ。


「・・・いいえ、いません。」


幸せになったに決まっている。今まで存在していたから、苦しめていたのだから。

目を伏せた神楽に、三日月は悲しそうな顔のまま、「・・・そうか。」とだけ答えた。


「・・・戻ろうか。皆を置いてきてしまった。」

「・・・はい。」

「では俺が手を引こう。」

「え・・・、いえ、いいです・・・。」

「む、なぜだ?」

「・・・子どもではありません。」


俯き、少しばかり不満そうに呟く神楽に、三日月は目を丸めた後、声を上げて笑う。そして拒否されたにもかかわらず、三日月は神楽の手をぎゅっと握った。


「三日月・・・っ、」

「俺が何年存在していると思う。お前など赤子のようなものだ。」

「・・・それも・・・そうですね・・・。」

「俺はお前が可愛いのだ。・・・信春の分まで、甘やかしても構わんだろう?」


そう言われてしまっては断れない。神楽は暫く迷ってはいたが、結局は頷いた。
それは彼が、本心から言っていて、優しさに翳りがなかったからだろう。

神楽は、数珠丸が怖かった。
優しくしてくれているはずだし、不憫に思って救ってもくれた。
崇拝している日蓮聖人の護り刀でもあった彼を、恐れる必要などないはずなのに。

なぜか、端々が引っ掛かる。

だから余計に、三日月の優しさはすんなりと入ってくるのだ。
だが彼も自分を憐れんでいるからなのか、と思うと、足が止まった。


「・・・神楽?」

「・・・名前、」

「ああ、すまんな。皆がいる時は呼ばぬように気をつけていたのだが・・・。」


二人きりになると油断してしまう、と照れ笑いする姿からは、そんな素振りは見られない。


「・・・いえ、二人だけ、なら・・・。」


言いたいことは他にあるのに、つい顔色を窺ってしまう。
それは単純に、臆病だからだ。知りたいのに、真実を知るのが怖い。

世の理は、常に厳しいもの。
都合の良い結果など起こり得ない。
それならば最初から知らないほうがいい。

数ある名刀を集める、と担当者は言っていた。いずれは残りの五剣も顕現できるようになるだろう。鬼丸国綱はともかく、大典田や童子切には複雑な気分になる。

けれど、唯一。

蛍丸には、会ってみたいと思った。

彼の背に負われていた大太刀。神秘の謂れを持つ聖なる刀。


( ・・・左京さん・・・。)


叶わなかった想いに、胸はどうしても傷んだ。