肆ノ壱

「山姥切国広様を出陣させてみましょう。」


三日月と共に鍛刀部屋に戻ると、こんのすけが次の指示を出した。一通り教えてもらうのは有難い話だが、たった一振りでいきなり出陣をするなど、とても受け入れ難い。他の本丸のように初期刀一振りならばまだ分かる。だがこの場には既に数珠丸、三日月、小狐丸がいるのだ。なぜ山姥切だけ、と思うのは、至極当然だった。


「・・・なぜ山姥切様だけを?」

「どこの本丸でも、最初の出陣は初期刀のみで行います。」

「・・・まだ顕現したばかりで、ですか?」

「はい。どこもそうです。」

「どこもそうだからと・・・、ここには他に刀剣の皆様がいらっしゃいます。皆で出陣すべきではないでしょうか?」

「しかし、こちらだけをそうそう特別扱い出来かねます。」

「・・・・・・。」


目の前の管狐の物言いに神楽はひどく失望した。望んで審神者になったわけでもないし、特別扱いしてほしいとも言っていない。すべて己の預かり知らぬところで勝手に決められたことだ。
いかに決まりごとであろうと、少々乱暴すぎる。頷けずにいると、山姥切は淡々とした声色で「・・・構わない。」と呟いた。


「所詮写しの俺には、単騎出陣で無様に敗北するのがお似合いだ。」

「・・・山姥切様・・・。」

「名だたる名刀を傷付けるわけにもいかないんだろう。」

「お待ちください・・・!」


本体を手に腰を浮かせた山姥切の裾を掴むと、彼は戸惑った様子で「な、なんだ・・・!」と狼狽える。だが神楽はそれに答えず、管狐を見つめた。


「・・・単騎で出陣しなければならないならば、わたくしが参ります。」

「な・・・っ!?」

「ぬし様・・・!?」

「山姥切様だけを行かせるくらいならば、わたくしが出陣致します。」


どちらかと言えば遠慮がちで大人しい娘だったのに、管狐を見つめる眼差しは武人のそれ。そんなことが認められるはずはない、とこんのすけが呆れていると、三日月が「ふむ・・・。」と顎に手を当てた。


「ならば俺が単独で出陣しても構わんな。」

「三日月殿まで何を・・・!」

「むしろお前がなぜそうまで山姥切のみを出陣させようとするかが気になるが?」

「ええ・・・、何か謀でも?」

「あなた様方は本来初期刀ではありません!ですから山姥切殿に・・・」

「・・・最初からいる、という条件ならば、わたくしも満たすはずです。」

「審神者様・・・!」


我が儘もいい加減にしろと言いたげに唸るが、神楽はそれを無視し、刀を手に立ち上がる。山姥切が慌てて「お、おい、待て・・・!」と前に回り込んだ。


「あんたは審神者だろう!俺が行くと言っているんだぞ・・・!」

「わたくしはあなたを悪戯に傷付けるために選んだのではありません。」

「・・・!」

「・・・写しと軽んじてもいません。」


ぐい、と山姥切を押し退け、ゲートに向かう。開閉の権限は審神者にある。最初に向かう維新の記憶、函館への扉を開くと、足を踏み出そうとした。


「ぬし様、お待ちください。恐れながら、ぬし様にお仕えする身としては、お一人での出陣など承服致しかねます。」

「・・・わたくしは、誰かが傷付くのは嫌です。」

「しかし、女子のぬし様では・・・。」

「心配には及びません、小狐丸殿。主は優れた剣客・・・。敵に敗れたりはしません。」


追ってきた数珠丸がまるで心配する様子もなく言うが、小狐丸は紅の瞳に燃えるような怒気を込めて睨み付けた。


「・・・黙れ。貴様・・・、ぬし様の御身を何と心得る。ぬし様がいかに素晴らしい武人であろうと、我等は尊き御身を御守りする立場であるぞ。」

「出陣は主の意思。それを阻むことは仕える者として正しいのでしょうか?」

「女子であるぬし様の御身体に消えぬ傷痕でも残ればどうしてくれる!貴様、御守りすべき御方だけを戦の中に放り出して、己は本丸で安穏と過ごすと言うのか!」

「お、お二方・・・落ち着いてください・・・!」


激昂する小狐丸。対して淡々と反論する数珠丸。対極の反応をする両者の舌戦に、原因となった神楽はあたふたと交互に見ながら諌めようとするが、どちらも引かない。
山姥切は「・・・やはり俺が、」とゲートに足を踏み入れようとしたが、三日月がそれを留めた。


「小狐丸、そうかっかするな。」

「何を言う!この無礼者の性根は叩き直さねば・・・!」

「案ずるな。俺が行く。」


え、と皆が振り返ると、三日月は既にゲートに入っていて、淡い光に包まれている。


「いけません・・・!宗近!」


つい三日月を振るっていた彼と同じように呼ぶ。すると三日月は、光の中で笑った。不敵に、余裕たっぷりで。伸ばした腕に、彼も腕を伸ばす。そして彼は笑顔のまま、「よしよし、では共に行くか。」と呟く。まさか、最初からそのつもりで‐‐‐と思った瞬間、視界は白一色に煌めいた。

三日月に抱えられて降り立ったのは、広い広い平原。戦の只中。遠く雄叫びが轟き、硝煙と血の匂いが鼻を突いた。


「ここは・・・。」

『函館、五稜郭です。』

「数珠丸・・・?」


どこかから響いた声は数珠丸のものだ。なぜ、と辺りを見渡すと、『本丸からあなた方の様子を確認しています。』と声が聞こえた。どうやら審神者部屋の端末からは、出陣した者の様子が見えるらしい。


『今そちらでも情報を確認出来るようにするそうです。』


唐突に中空に現れた文字の羅列に、神楽は驚き、つい三日月にしがみつく。だが彼は「はっはっは。摩訶不思議だなぁ。」と笑っていて、大物・・・と呆然と見上げた。


『そこでは幕府軍と新政府軍が戦っています。』

「新・・・政府・・・?」

「・・・後世に戊辰戦争と名を残す、日の本の有り様を大きく変えた戦。徳川幕府の時代が終わった戦いだ。」

「・・・!」

「・・・虚しいものだなぁ、人の世は。栄華も極めれば必ず終わり、大きな戦と共に新たな時代の幕が引かれる。・・・家光も信春も、己が心血を注ぎ守ってきた幕府が、こうして倒れるとは思わなかっただろう。」

「・・・幕府・・・が・・・。」

「・・・なるほど、敵は新政府軍を倒し、幕府軍を勝たせようとしているか。・・・さて、どうする?主よ。」

「・・・・・・。」


乾いた風が吹く大地。この遥か北の蝦夷は、一度も足を踏み入れたことはない。それだけ自分が生きた時代では幕府の力が確固たるものとして存在していたのだ。敗者は北へ上る。それは昔から変わらないことだ。最北端にまでやって来たのなら、ここで負ければ後がない。戦は一度敗けの風が吹けば巻き返すのは難しい。ここまで負け越したなら、幕府の未来はないのだろう。


「・・・世は諸行無常・・・。平氏が源氏に負けたように、源氏が足利に敗れたように・・・。そして権現様が幕府を開かれたように・・・時は巡り、新たに時代が開かれます・・・。」


だからこれも、新たな時代がやって来るために必要な終わりであり、また神仏もそれを認めた。


「・・・ならば抗うことはできない・・・。正しき歴史を、続けなければなりません・・・。」


それが今自身に与えられた役目だ。
刀を抜き、一歩進む。すると眼前に敵が姿を現した。ここを進軍する新政府軍を待ち伏せ、壊滅させようと言うのだろう。突如現れた神楽と三日月に敵の短刀二振りが身構えた。


「さて、主。陣はどうする?」


敵の陣は、横隊陣。ならばこちらは鶴翼陣。二振りしかいないが、戦において陣形は勝敗を左右する。


「・・・鶴翼の陣を。先陣はわたくしが。」

「あいわかった。では・・・、やるか。」


勝敗は圧勝だった。先陣を切った神楽の圧倒的な速さに敵の目はついて行くことが出来ず、一刀で両断されてしまう。残った短刀一振りがそれに呆けている間に三日月も両断し、初陣は完全なる勝利で幕を下ろした。
敵の姿が掻き消えると、かしゃん、と短刀が一振り落ちる。敵が持っていた短刀は黒い靄に包まれ穢れていたが、あれはそんな雰囲気はない。ここに打ち捨ててしまうのは忍びない、としゃがみこみ、指先が触れる。その瞬間‐‐‐光が溢れた。


「っ!?」


この光には覚えがあった。そう、先程本丸で三日月達を顕現させた時と同じ光。
目も眩むような光が和らぐと、小柄な少年がふわりと舞い降り、ゆっくりと瞼を持ち上げる。神楽を目にした彼は、折り目正しく膝をついた。