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ハルルへの道すがら、デュランダルは静かに語った。娘にも、アレクセイにも、妻にすら語ったことのない過去を。

「・・・俺は親を知らない。物心ついた頃には闘技場の中にいて、剣闘士の一人に育てられた。育てられたと言っても、毎日毎日稽古ばかりで殴られ蹴られ、身体中斬り傷だらけにされていただけだったが。食事も満足に与えられない中、生きるためには勝ち続けるしかなかった。」
「・・・闘技場の中には、人が暮らす場所があったの?」
「ないよ。大して広くもない部屋にむさ苦しい大人ばかりの中に一人子どもが紛れて雑魚寝をしているだけ。・・・身内のいない、いつ消えても構わない人間を集めた、使い捨ての道具をしまう玩具箱のような場所だった。俺は子どもの頃から人並み以上に何でも出来たから生き残れたが、俺以外の同年代の子どもは全員死んだ。貴族への見世物として魔物に食い散らかされたり、大人だらけのバトルロイヤルで追われて、理由は様々だったが、死体はどれも酷いものだった。」

平坦な声色で、平素と変わらない表情で語るデュランダルだったが、その横顔に彼が捨ててきた様々なものが次々によぎるようで、ジュディスは握ったままの手に力を込める。
それに「大昔の話だよ。」と彼は笑った。

「辛いと思ったことはない。ただ・・・、あまりに普通とは違いすぎる環境に俺はあまりにも早く適応しすぎた。信じることは裏切られること。心を許すことは死ぬこと。他の子どもが気付かないようなことにもいち早く気付いたし、周りがすべて敵であることも知っていた。だから、いつかこいつらを全員ぶち殺して、外へ出てやると思って生きていたよ。」
「・・・石碑には、11歳でチャンピオンになったと書かれていたわ。」
「発育が良くてね。11の頃にはお前くらいには身長があったし、力も強くて、戦うことに才能があった。あっさり俺の目的は達せられてしまった。チャンピオンになると途端に優遇されて、家も、金も、何もかもついてきた。」

手のひら返しの凄まじさに、普通なら舞い上がるだろうに、デュランダルはそうではなかった。

「そんな日々だから、俺は外に出るまで、自分の容姿がひどく恵まれていることすら知らなかったんだよ。だから初めて女に群がられた時、うっかり殺してしまった。」
「・・・全員?」
「全員。まあ中には俺を殺そうとした女もいただろうし、構わないんだけれど。」

話ながらデイドン砦を抜ける。街道を歩きながら、デュランダルは懐かしむように空を見上げた。

「・・・酒に煙草に女に薬。色んなものに手を出して、色んな知識を身に付けて、人を出し抜いて、騙して、殺して、利用して・・・長年剣闘士なんてものをやっていたが、俺は心底人でなしだった。死体を見ない日はなかったし、剣を握らない日もなくて、女といない日もなかった。」
「薬って、どんなもの?」
「飲んでからセックスをすると、信じられないほど良くてね。嫌がる女に無理矢理飲ませたこともあったよ。」

思わず眉を寄せると、デュランダルは悲しげに笑った。

「だから言ったろう?軽蔑されるような人間だと。ただ・・・薬は十六の時にやめた。」
「何かあったの?」
「女が一人死んだ。」
「・・・!」
「生まれつき知能に障害があって、なぜか俺に懐いてね。ただ俺は人でなしだったから、平気で外に放り出したりしたんだが・・・側にいるのをやめなかった。それを見て、俺を追い落とそうと画策していた奴が、その女を薬漬けにした。」

ゾッと背筋が震える。それを聞いて、初めて彼の日常が、いかに危険で、生死のギリギリのラインの上にあったかを思い知った。

「薬漬けにされて、犯されて、それしか考えられなくなって・・・、・・・生きていくのが難しかった。だから、俺が殺した。」
「・・・おじさま・・・。」
「・・・急に虚しくなって、ひどくつまらなくなって・・・、すべてが下らなくて・・・。何のために生きて、戦うのかも分からなくなった。俺は一生、こんな下らない毎日をただ生きていくのかと思うと、死んでもいいなと思った。」

ハルルの桜の花弁が舞う町の入口に立ち、デュランダルは暫くじっと艶やかに咲き誇る花を見上げる。ややあってから、ふ、と笑ってジュディスを見た。

「・・・死ななかったから、今があるが。」
「・・・今も、つまらない?」
「俺が手にするには、過ぎた幸せに満ちているから・・・また失うのが恐ろしい。」
「・・・・・・。」
「だから、壊れないように、失わないように・・・俺はすべてを壊していくと決めた。これからも罪を重ねて・・・いつか、地獄に行く。そうすればようやくすべてが終わる。」

今が過ぎた幸せだと語った唇で、早く死が我が身に訪れることを願うような物言いに、ジュディスは目を見開いた。桜の中にいる彼が、そのまま連れて行かれてしまいそうで。
嫌だ、と感じた瞬間、ジュディスの指は彼の袖を掴んだ。彼がこのまま、終わりを迎えてしまわないように、どこにも拐われないように。

「・・・ジュディス?」
「・・・長生きしてちょうだい、おじさま。」
「どうしたんだい、いきなり。」
「・・・長生きしてくれないと、私が行くまで、おじさまは長い間一人になってしまうもの。」
「ジュディス・・・。」

リタもこんな気持ちだったのだろうか、と思う。類い稀な才能と美しさゆえに一人で、己の意思の及ばぬ生き方を強いられたがゆえにどこか歪んで。そのせいで、ずっと一人で生きてきた人。今も一人と同じかもしれないねと、彼は言った。ようやく掴んだ幸せすら奪われた人。
普通なら自棄になって、悲観して、自ら命を断ってもおかしくない。それでも彼は、妻への贖罪と娘を見守るために生きている。孤独感に蝕まれながら。
過去に何をしていても、彼は優しい人だ。強くて、大きな人。たくさん助けて、支えてもらった。

( この人を、一人にしたくない。)

「奥様は地獄に行くような人ではないでしょう?だから私が、地獄に行くわ。」
「・・・なぜ?」
「だって、おじさまがいる場所が、私の帰る場所なんでしょう?そう言ったのはおじさまよ?」

帰る場所を今まで意識したことはなかった。ジュディスもまた、人と交わらずに生きてきた部類だ。世界中を転々として定住することなく過ごしてきて、帰る場所が必要不可欠とは考えなかった。
けれど仲間と出会い、ギルドの一員として歩きだし、彼に出会った。

「・・・だから私は帰らないと。おじさまが、一人にならないように。」
「・・・お前は優しい子だね。俺にそこまで義理立てる必要はないんだよ。お前にはこれからいくらでも新しい出会いがあるんだから。」
「でもおじさま?あなたほど凄い人と一緒にいる私が、他の男の人に魅力を感じるかしら。」

にっこりと笑って首を傾げると、デュランダルは目を丸め---、やがて、くく、と喉を鳴らした。

「確かに、それは難しいかもしれないね。」
「おじさまはすべてにおいて素晴らしすぎるんだもの。最近は見かける男の人達がおじさまと同じ人間かも疑わしいわ。」
「それは悪いことをした。俺が責任を取らないとね。」

くすくす笑うデュランダルに笑みを返すと、ジュディスはそっと彼の長い腕に寄り添った。

「・・・だから、私を置いてどこかに行ってしまわないで。おじさまがいなくなってしまったら、私は帰る場所を失ってしまうわ。」

あなたが好き。
あなたがいる場所へ、私は帰る。
他に帰る場所はいらない。

「どんなに酷いことをしても、悪い人でも、私にはおじさまが必要よ。」
「・・・ありがとう、ジュディス。」

大きな手が頭を撫でる。肩を抱いて引き寄せたデュランダルの胸元で目を細めると、「遅いから夕食にしようか。」と促される。宿に向かう彼の横顔は、何だかさっきまでとは違っているような気がした。



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